木乃伊の舞踏──室伏鴻

土方巽

室伏さんからは、昔から上等の和菓子をいただいたり、そう旅先から全国の、あれは相当良い和菓子でしょうね、ずうっといただいたり、この間はメロンをいただいたりして、もう書くことなくなったんですよ。あなたのことについて書きますと、いや誰のことでもそうなんですが、柄にもなく反省したりするようなことが出てきたりして、それで今日は喋ることにします。

また夏ですね。この暑い夏が来れば、あなたの踊りを思い出すという具合にこれからも進行するといいと思います。ところで去年の五太子の公演であなたが踊られた木乃伊ですがね、あの踊りについておおかたの人は、あまり触れたがらないですね。何か異様なもの、異形なものという、そういうことで片付けているようですが、私はそうは思わないんです。あの踊りを見たときには、あらたな仏骨をまのあたりにしたという感じを抱きました。その異様な迫力というものは、魔性な情景の実像を把握している。さらに異様な、まあ私たちの顔前で転げまわったと、そういうあらたな木乃伊の発見、そういうふうに私の網膜に映ったわけです。だいたい舞踏するもの、また自分のからだを舞踏場として揺りいて往くというふうな行為のなかにですね、だいたい人の如きものになされてしまって、その為にぐらぐら揺らいだ口元だとか、擦り切れた形なんかをもたせられてしまうわけです。挙げ句の果てにその行為を売りに歩くことさえ覚えてしまう。そういうふうなものを根底から覆すような新しい舞踏の、まあ発見、古い言葉でいえば、原点というようなものを確かにこの眼で確認したと思います。だいたいあの木乃伊だって幽霊に抱かれた乳呑児についての考察を進めていけば、だいたいあの木乃伊の乳呑児は年の頃7才ばかりに私には見えた。これは私がただそこに転ばされて、眺められることの感動を味わった20年前の舞踏の原点と非常に近いんじゃないかと、そういうふうに感じたわけです。ただそこにおかれて在ることの。ところがあなたの木乃伊は更にこう、発展したものだ、そう思います。

糊口をしのぐようなこういう刑苦にみちたようなダラダラした暮し方にはやはり鋭い爪でひっ掻きたくなるような心情が必要だし、それはいつの時代でも人を打つものが含まれているのではないでしょうか。だがもんだいは、そこにその踊りを見た人にただちに悟られるという、そういう感化力のもんだいだと思います。まあ年齢が長けてしまって俊速の才に欠けるところがありましてね。あなたの木乃伊には、そのいろんな哭霊が合掌の形をとっておりましたよ。それはその観客のなかに手を合わせていた老人も、四・五名、こういう状態というものは、私の経験では確かに異様なものではあるが、その異形さの中に含まれている、まあ邪気のない幼さというか、他奇のない幼さというか、そういうもののなかに、ついぞまあ試みられなかった舞踏の木乃伊というものがひそんでいて、のたうったり転がったり、ふきあげてくるようなひとつの形相がありましてね、そこに私は一瞬、あやふい艶っぽさを見い出すことができた。ここらへんに大きなもんだいがあったんじゃないかと私は、今でもそう考えているわけですよ。だいたい私達のからだにしたって、あなたの宇宙塵を浴びた砂鉄みたいな、極限まで踊りを追い込んでいくという、解消していくエネルギーだって、この暗いからだを探していけば、饅頭がからだの中にどこか隠れているんじゃないか、とか、この炎天下をまじめに歩けば至る所に死んだ顔がいききとして生きかえっているんじゃないか、だいいちそこらへんの曲がっている道が死んだ顔じゃないか。まあ私なんかはこういう暑い陽に炙られますと、なんとなくぼぉーっと涙が出てきて犬の年齢など考える馬鹿くさい所におちてしまいましたが、どんなとこだって踏みこんでいけば、死なんていうよりもっと暗い水なり、なんなりがたっぷりたまっているわけで、それがあなたの踊った7才の木乃伊の表情の中に私は確かにそのひとつの舞踏の地下水を見た。焦げる肉片をぶらさげた仏骨を視た。かすかな未知の記憶をつかんでいた。むしろあの焼かれる渦中に炎の妹も介在していた。こういうものがいっしょくたになって合掌の形を生じせしめたのではないか。それは、はなはだ尊いものなのでして、今流行の肉体論などではとても把握できないもんだと、そう思います。まあ舞踏のいろんな探究のしかたがあることはもちろんでしょうが、一度からだをバラバラにしてしまいたい、まあ、太陽を乗せた馬車があるならその馬車引きになって炎天下を歩きたいんだとか、そこらへんの道路に転がっている石を拾って乳を、石から乳しぼる、そういうふうな始源の記憶といいますかねえ、そういうものに舞踏は誘われていっているわけなんですね。そう思いますが。ええ、あなたの舞踏の中にもうひとつの苛烈な無為、為さない行為という側面も私は見たわけですね。それを人間という薄明かりを通して眺めたり、無の中に自分が入って、焼かれることを願ったり、これを夏の暑さを着てガマに変貌したり、空耳をもってみたり、そして私達の思考というのは、だんだんおれてたたまれて、引出しに入れられて、樟脳をかけられて、そしておしまいになってしまうという所があるんですが、そういうふうな所にだって凶暴なやさしさが、まあより添っているわけなんでね。あなたが火炎につつまれて私達の顔前で転げ回った最中に、私はその裏側に股って、真黒い筒を落下していたわけですよ。そうしてああいう乳呑児の木乃伊、それがそのまま夏を背負って、種が黒こげになって、真黒いように堂々と落ちる滝を連想させる。そういう所からね、眼をころっと転がすとなんかそこらへんの、その固まった思考でも、人間でも、なんでもいいんですが、火薬がつまった怒りっていうか、そういうふうなものさえ連想する。ちょっと火放つと瞬時にでも爆発するんじゃないかと、それをそこらへんに咲いている瓜の花が、こう、浸ったりしてそよいでいる。もうこたえられないような所にですね、木乃伊の舞踏はあったわけなんです。

どうも舞踏の自殺行というふうなものが新しい芽をふかない。そこらへんの植物だって盛んに自殺しながら新しい芽をふいているのに、どうも舞踏が危険な、危険というか、安易な所に生い先を狂うような所へ持って行っている。だいいち人間で終わるなどというような、したたかな覚悟のものも見当たらない。まあこういうことをべらべらしゃべっていますと際限がないわけですが、今回の舞台を見せていただきまして、前回の踊り、私の少年時と重ねてみたりして、本当にあの木乃伊には私のこうだらけた肉も荒縄で縛られるような一瞬を見る事ができたのでどうか、あれを舞踏の原点、竈としてやっていただきたいと思います。あなたの創造された舞踏と私が、今、頭の中で炎天下を日傘が歩いている、それを怪獣がうしろから守って歩いているような、そのくせ、泥鰌があぶくからそれをうかがっているような、そういうものと一緒に重ねてみてですね、ええ、誰も踏み込まなかった窒息状態に入っていきたいものだと思っているわけです。

July 11, 1977
常闇形公演パンフレット

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