Ko Murobushi Exhibition

2025.7.30
シンポジウム

失われたもののモンタージュ

江澤健一郎

展示すること。しかし、なにを展示するというのか。もはや存在しないもの、失われたものだ。だが、いかにして、もはや存在しないものを展示するというのか。いかにして、不在となったものを潜在的なものとして展示できるのか。もちろん、資料によってである。写真、動画、日記、チラシ、パンフレット、などなど、などなど、無数の資料を構成することによってである。

今年、われわれは室伏鴻に関する展示を行い、シンポジウムを行っている。室伏鴻は2015年に亡くなった。彼を生きかえらせることはできない。この展示は、彼のダンスを再現するのではない。復元するのではない。彼のダンスは失われてしまった。しかし、その資料が残されている。彼の死後に、渡辺喜美子が、チラシ、パンフレット、動画、写真を収集して整理し、室伏の日記をデータ化する作業を続けている。それらをモンタージュすることによって、室伏を不在のものとして召喚し、現れざるものの指標現象を、徴候を形成するのである。

2005年にImPulsTanzでワークショップを行ったときに、室伏が執筆したメモが残されている。そこにはジョルジュ・バタイユの『内的体験』への言及がみられる。

ダンスとはなんであったか/驚きであり「発見」だ/自己が他者である事の/それは「絶句」である/例えば はじめて見た真っ青な海/水平線へ放り込まれる様な/原爆に可能う/可能事の極北だ 極限までゆくという/可能時の極限だ/つまり 恍惚とバタイユが言うものは/体験-内的体験とは 何なのか/を 突きつめてゆけば/舞踏ではなく/〈舞踏性〉というものに/突き当たる筈なのだ/宗教的 神秘的体験と紙一重のところで/一歩手前にある/それを 発動させるところの救い・救済という幻影の/一歩手前にある 嘆願のカタチ[*1]

ダンスとは驚きであり、「自己が他者である事」の発見である、と室伏は言う。さまざまな解釈が可能であるが、どのような意味だろうか。「私とはひとつの他者である」と語ったアルチュール・ランボーを思わせずにはいないが、ここでの問題はバタイユの内的体験である。バタイユに則りながら考えてみよう。一人称単数主語の主体的「私」と「自己」でありながらも「私」にとっては他者である「自己」を弁別しながら考察したい。われわれの「自己」には、主体的で合理的な「私」には還元しえない部分がある。それは、「私」にとっては剰余であり、「私」には見えず、判明には意識されない「自己」の部分である。それは「私」にとっての「他者」であるが、それでも「自己」の部分ではある。その部分は、「恍惚とバタイユが言うもの」「体験-内的体験」と関係している。

バタイユの「内的体験」は「恍惚=脱自(extase)」の体験である。それは一種の神秘体験であるが、そこでは合一の対象となる神が存在しない。体験においては、むしろ神という対象は消失して、対象の不在が現れる。それは限定なき未知なるものであり、それを見つめながら主体は非-知となり、「私」を喪失する忘我の体験をする。「恍惚=脱自」と訳されるextaseの語源は、教会ラテン語のecstasis、あるいは教会ギリシア語のextasisであり、「自分の外部に存在するという行為」を意味している。それは自己が体験する状態だが、私の喪失状態、「私」という限定の外に存在する状態である。それゆえに、それは自己の体験でありながら、私の体験にはなりえない、私にとっては未知の体験である。そして体験が終了すると、私が再生するが、自己が体験したその体験の体感は残存しても、その体験は私にとってはそれ自体としては失われる。それは、私にとって盲点のような体験であり、室伏が語るように「自己が他者である事」を示している。私は、その体験のさなかにそれを語ること、記述することができず、それを思考することができない。それは沈黙の部分である。ただ体験の終了後に、残存する体感から出発して、「事後的」にそれを語り、思考するだけである。したがって、それは私にとっては踏み外し(faux-pas)の体験である。

バタイユは『内的体験』という、彼にとっての最初の書物において、その体験を語ろうとして、思考しようとした。それは「私の沈黙」、室伏が「絶句」と呼ぶものを語る試みであり、私の知の限界を非-知へと開く極限的な試みであり、私の不在を私が語るという不可能な試み、「可能事の極北」へ向かう試みであった。この書物は、そのような「絶句」という喪失をめぐって、失われる体験をめぐって構成された言葉のモンタージュである。書物の構成は、一見無秩序にみえるが、それは体系的秩序とは別種の構成に向かう試みを示していた。だが、このバタイユの問いは、なぜ、いかにして「舞踏」、いやむしろその核心にある「舞踏性」と関係しているのだろうか。私のいない自己の身体の状態とは、「死体」ではないだろうか。体験においても舞踏においても、私が不在となった自己がまだ生存して突っ立っている。それは、土方巽が「突っ立った死体」と呼んだ踊る身体ではないだろうか。ここで室伏の別のテクスト、「[私は痙攣するダンサーである]」を参照して、この問題をさらに考察したい。

痙攣とは、『大辞林』によれば、「筋肉が不随意に急激な収縮を起こす現象」である。それは、私の意志を裏切り、制御不能な筋肉の収縮が生じることであり、身体運動の踏み外しである。通常の運動する身体、たとえばバレリーナの身体が、意志的に身体運動を制御して、予定調和な運動を生み出すことを目指すとすれば、痙攣は不随意な予定不調和であり、欠陥、一種のステップの失敗、踏み外し(Faux-pas)である。しかし室伏は、そのような痙攣こそがダンスの核心であると論じていた。少し長くなるが、室伏の文章を引用しよう。

私は痙攣のダンサーである。痙攣のないダンスを私はダンスとは認められない。/なぜか。それは、ダンスが痙攣だから……これでは、なにも言ったことにはならない……。/なぜか。私は私がいつ生まれたかを知らないのだが(誕生日を忘れたわけではないけど)、私が生まれるその〈以前〉から身を引き離す/引き離されるようにして私は生まれてきた、以来、(永遠に回帰する)痙攣なのだ。私の生とは。/だから、私のダンスは誰に教えられたものでも、習ったものでもない。生まれると同時に私に与えられた(贈与された)なにものかなのだ。/それは、私を超越する〈私=非-私〉なのだが、決して〈神様=超越〉にとどくことのない・可能わない私である。「私のダンス=突っ立った死体、それは神社、仏閣のためのものではありえない」と土方巽が言っていたではないか。[*2]

われわれは、生まれて死ぬひとつの存在であるが、生まれたときのこと、死ぬときのことを主体的な「私」として経験できない。そのため、私の一生は、誕生と死という絶対的未知の間で宙づりとなっている。その「私の未生状態」から「身を引き離す/引き離されるようにして」私が生まれるとき、私の生は痙攣のさなかで誕生する。その痙攣こそがダンスであり、それは私が「生まれると同時に」気づいたら贈与されていたものである。それゆえに痙攣であるダンスとは、私の成立に関わるものでありながら、私の外部でもある「私=非-私」である。つまり、痙攣=ダンスは、「自己」のなかで震動し続けるが、それは私の外部の震動であり、私にとっては残存する体感、忘却された記憶である。私が死亡して私が不在となった身体が「死体」であるとすれば、痙攣=ダンスは、私が不在な身体、つまり死体でありながら、それでも自己として生存する「突っ立った死体」の震動である。そうして室伏は、痙攣としてのダンスという問いを、かつて土方巽が語った「踊りとは命掛けで突っ立った死体である」 [*3]という言葉へと接続していく。そして、この原初的な震えは、私の意志的記憶をすり抜け、私にとっての「非-場所」に、意志的に想起できぬ無意志的な「非-私」の記憶として潜在しているのだ。それはバタイユの内的体験の非-場所でもある。

そうして室伏は、不思議な回想をする。

私が記憶している、のは、実に曖昧な記憶である。なぜなら記憶の〈外〉に記憶がある。私が知らない非-場所に(私が忘れ去られた)私の別の記憶が残っているのだから……[*4]

私の外部の非-場所に、別の記憶、忘却され、私にとっては曖昧になった記憶が残存している、と室伏は言う。それは石のように硬直した水死体を見たときの記憶である。その死体を見たとき、私自身が死体のように、石のように硬直して、死に襲われた、と彼は言う。その私の死の経験の間、「〈時間を喪失した時間〉のあいだ」に、自己の身体に生じたのが「痙攣」である。

ダンスとは、私の生のただ中に死をもたらすことだ。私のいないその自己の身体に生じるのが、痙攣というダンスだ。それは、有為の生を穿つ苛烈な無為であろう。

だが、問題は単なる忘我、「私を失うというような経験」ではない、と室伏は注意深く付け加える。私は単に不在なのではない。私は在りながら消去されるのだ。バタイユは『エロティシズム』において、禁止と侵犯の力学を以下のように定義していた。人間は、自分に対して自然状態を禁止することによって理性的な「私」になる。ならば、禁止の侵犯は自然状態への回帰、単なる無私に導くのだろうか。そうではない。「しかし侵犯は《自然への回帰》とは違うのだ。侵犯は、禁止を抹消することなく解除する」。これを別様に定義しよう。「しかし内的体験は無私への回帰とは違うのだ。内的体験は、私を抹消することなく解除する」。体験において、私の喪失が自己に生じる。しかし、私は無効化されながらも残存している。だからこそ、私の死の経験の記憶が、意志的に想起できない「別の記憶」として残存し、私には体験の体感が残存している。その私なき自己と私の境界、際(エッジ)こそが重要であり、痙攣=ダンスはそこで生じるのである。

忘我の、私を失うというような経験とそれは違うのだ。私は境界線上の身体である。どちらへでも脱出「できるのに、できない」その線上で、その縁〔ルビ:ふち〕、縁側で、踏みとどまったまま、宙づりにされてふるえている身体。〔……〕もはやダンスではないような「なにものか」、生成する、泡立ち、痙攣としてダンスが成立するのか、しないのか? その〈際〔ルビ:きわ〕〉なのだ、いつでも。〈間際〉なのだ……もはやそこでは、ダンスである必要もないのだ……ただ、痙攣が波打つ。そして別の波状へと連なる……折り返す……波打つ〈際〉(エッジ)なのである。[*5]

そして痙攣=ダンスは、無為に消失していく。さらに室伏鴻本人が、現実に客死してしまった。その失われた室伏の踏み外しをめぐって、展示を組織し、資料のモンタージュを行うことは、彼のダンスの本質を損なうことにならないだろうか。その瞬間にすべてを賭け、ダンスを踏み外した彼の行為は、その瞬間瞬間に生まれ、永遠に失われた。それをめぐってモンタージュすることは、踏み外しを「着地するステップ」として再構成することにならないだろうか。必ずしもそうではないだろう。それは、モンタージュ次第である。失われたものを失われたものとして潜在させながら、顕在化することなき喪失の指標現象、徴候を構成することが問われるのである。

そこでわれわれは、ディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお』を思い出さなければならない。その本で、ディディ=ユベルマンは、ジェラール・ヴァジュマンとエリザベット・パニュの批判に対する反論を試みていた。ディディ=ユベルマンは、ビルケナウ収容所で被収容者が盗撮した4枚の写真をめぐって論じていた。ホロコーストやショア(絶滅)と呼ばれる歴史的出来事、すべてのイメージ、すべての資料が廃棄されるように計画され、そもそもその出来事が進行していることも、その痕跡もなかったことにされようとしていた出来事が主題である。その表象不可能、想像不可能とされる出来事から、盗撮者は4枚のイメージをもぎ取っていた。それらの不鮮明な写真は、表象不可能とされるショアのすべてを見せることはできない。しかし、それでも4枚のイメージが残存するのであり、われわれは表象不可能という思考停止を乗り越えて、そこから歴史的想像力を行使しなければならない。4枚のイメージのモンタージュ、そして言葉とのモンタージュは、そうして表象不可能性というアポリアの超克を可能にするのだ。それに対して、ヴァジュマンとパニュの二人は、クロード・ランズマンの映画『ショア』の制作原理を、ホロコースト表象における絶対的原理として信奉していた。つまりガス室で人々が死亡する場面を記録したイメージは存在しない。そのホロコーストの核心は、表象不可能である。それゆえにランズマンは、記録映像も再現映像も用いずに、生存者のインタビューと場所の映像だけで映画を構成した。それは、過去の出来事そのものを現前させずに、過去から残存した現在を可視化して、現在に刻まれた潜在的過去の傷口、痕跡を読み取らせる試みであった。そのモンタージュは、求心的モンタージュであり、現前する映像と言葉は、現前しない表象不可能性という暗闇をめぐって組織されていた。ディディ=ユベルマンは、『イメージ、それでもなお』に先行する「場所、それでもなお」において、この『ショア』的なモンタージュそのものは高く評価していた。それは、表象不可能性を表象し、想像不可能性を想像する試みである。だが、ヴァジュマンとパニュは、『ショア』だけがホロコーストを映像化する唯一の方法であるとドグマ化を行う。それに対して、ディディ=ユベルマンは、すべてが表象不可能であるか、すべてが表象可能である、という二項対立、あるいはイメージはすべて存在しないか、すべてを見せるイメージが存在するという二項対立の一方を原理とする思考形式を批判して、それを弁証法化することを要請する。二者択一的な「すべて」に対して、それでもなお、「すべて」に抗って断片的イメージが残存しているのであり、それらをモンタージュして表象不可能なものの表象を試み、想像不可能なものの想像を試みなければならない、それが彼の思想的立場である。そして両者が前提として批判しているのは、安易なスペクタクル化、恐怖のイコンを形成する表象可能性を原理とするモンタージュである。とりあえずそれを、ハリウッド型の表象可能性と呼んでおこう。

室伏鴻の無為のダンスをめぐって、こうしてわれわれは展示を構成し、シンポジウムを行っているが、それは失われたダンスの再現をめざすものではない。かといって、失われたダンスを神聖視して、表象不可能性をめぐるモンタージュを行うのでもない。われわれは残存する資料を構成し、再構成し、それを思考し、再思考しながら、失われたもののモンタージュを試みている。それは過去に対して多様な照明を与えながら、複数の視点で再考し検証することであり、同時にそこから未聞のダンスの可能性を導き出す試みである。こうして行われるモンタージュは、常に問いを発し、それに応答する試みであり、結論が存在するわけではない。そのような失われた過去をめぐるモンタージュについて、さらに付加的考察を行いたい。

ヴァルター・ベンヤミンは、先駆的な写真論である1931年の「写真小史」で、同時代写真の傾向を二つに弁別していた。一つは創造的写真であり、もう一つは構成的写真である。創造的写真の代表格はアルベルト・レンガー=パッチュであった。彼の写真集「世界は美しい」が象徴するように、創造的写真は、世界を断片的イメージに変換して世界から抽出し、美的形態へと抽象化する。そうして写真は、人間的脈絡、現実世界の文脈から剥離されて、単なる美的享受の対象に還元されてしまう。例えば、抽象形態と化した鉄橋は、その下で暮らす路上生活者の生存とは断絶し、表層的形態へと純化されるのだ。創造的写真は、世界を物神化して流行にゆだねる。こうして世界を商品化し、広告化し、連想形式にしたがって組織する創造的写真を、ベンヤミンは批判的に論じていた。それに対して彼は、構成的写真を高く評価する。その代表格は、アウグスト・ザンダーやジェルメーヌ・クルルである。ザンダーは、多様な社会階層の人々の肖像写真を撮影して、ドイツ社会を構成する人間の多様性を呈示しようとした。彼の写真に現れる人々はそれぞれが特異であり、単なる美的形態に還元されてはいない。一人一人が生活の中で形成された姿を呈示し、けっして同質的ではない異質なドイツ国民の姿を呈示している。そうした構成的写真には、キャプションが付加され、イメージと言葉のモンタージュによって多様なイメージの読解が促される。探偵や警察官が無人の犯行現場の痕跡を読解しなければならにように、われわれもまたイメージという痕跡を読解するのだ。そうして写真という過去のイメージを見ながら、失われたものを読解するのである。「構成」とはそのための方法である。

ここで、ベンヤミンから離れながら、失われたものをめぐる構成的写真、モンタージュの一例に言及したい。それは日本の写真家露口啓二による『地名』(赤々舎、2018年)と題された写真である。そこで露口は、北海道の地名をめぐって、写真と言葉を構成していた。日本の北部に位置する北海道は、長いあいだアイヌ民族が暮らしていた土地である。しかしその地は、明治時代以後に内国植民地化されていく。天皇制を中心とする日本国家によって開拓され、日本化され、アイヌの人々は土地を奪われ、日本語を強制され、日本人化されていった。もはや現在の北海道には、アイヌの地であった面影はほとんどない。もはやその「かつて」は失われてしまった。だが、それでも場所そのものは「かつて」から残っているのではないか。そう考えた露口は、現在の北海道の風景を撮影しながら、失われたかつての徴候を形成できないだろうか、と試みる。現在の北海道の地名には、かつてのアイヌ語が日本語化されたものが残っている。露口は、そのような地名をもつ場所に赴き、まずワンショットの撮影を行う。続いて一定の日時が経過した後、もう一度同じ地に赴き、最初のショットからパンして、隣接する場所のショットを撮影する。その二枚の写真は、いっけん何の変哲もない風景に思える。だが、ひとつの場所を二つのショットでパンしながら異化した写真には、時間的な差異が含有されている。それらの写真は、「同じ」場所に含まれる時間的差異、そしてパンによる空間的差異を呈示している。それらの写真は、同じ一つの場所とされるものには、差異が、時間的差異が含まれていて、現在目に見える風景には、実は時間の地層が含まれていること、「いま」の風景には「かつて」が潜在していて、「いま」には「かつて」が残存していることを読解させてくれる。さらにそこに、キャプションの言葉が加わる。キャプションは「地名」を示している。ただし、その固有名詞は一義的ではなく、多義的である。北海道の地名は、アイヌ語の地名が表音化され、最終的に漢字化されて現在に至っている。露口は、その歴史的プロセスをキャプションで示していく。まず現在の漢字の地名が示され、それを表音化したローマ字が示され、次にそのローマ字がアイヌ語の音節にしたがって分節される。それに加えて、さらにアイヌ語の地名の意味が日本語で示されるのだ。つまりキャプションは、漢字で表記された地名に潜在する歴史を呈示しているのだ。それが二枚一組の写真に添えられることによって、露口の写真は、それ自体としては現前しない「かつて」、アイヌの地を、複数のイメージと言葉によって徴候化するのだ。そうして形成されるのは、ベンヤミンが「弁証法的イメージ」と呼んだものである。

過去が現在を照らし出す、あるいは現在が過去を照らし出す、と言うべきではない。逆に、一つのイメージとは、閃光のなかで〈かつて〉が〈いま〉と出会い、星座的な状況を生み出す場なのである。別の言い方をするなら、イメージとは静止状態の弁証法である。なぜなら、現在の過去に対する関係が純粋に時間的であるのに対して、〈かつて〉と〈いま〉の関係は弁証法的だからである。後者の関係は、時間的な性質ではなく、形象的な性質をもっている。弁証法的イメージだけが、真に歴史的なイメージ、すなわちアルカイックではないイメージである。読解されるイメージ――つまり、認識が可能になるこの〈いま〉におけるイメージ――は、あらゆる読解の根底にある危機的で危険な瞬間の徴を、最高度に帯びているのである。[*6]

ならば、われわれはどうすれば良いのだろうか。失われた室伏鴻のダンスをめぐって、いかなるモンタージュを構成すれば良いのだろうか。問いは常に開かれている。今年のウイーンで、われわれは「Faux-pas(踏み外し)」という展示を行った。これは試みにすぎない。そして試みそのものがFaux-pasなのである。そのFaux-pasを構成して、われわれは失われたもののモンタージュを試み続けなければならないのだ。

  • 1.室伏鴻『Ko Murobushi Workshop memo』一般社団法人Ko&Edge、2024年、25頁。
  • 2.室伏鴻「[私は痙攣するダンサーである]」『室伏鴻集成』河出書房新社、2018年、342頁。
  • 3.土方巽「人を泣かせるようなからだの入れ換えが、私達の先祖から伝わっている。」『美貌の青空』筑摩書房、1987年、87頁。
  • 4.室伏鴻「[私は痙攣するダンサーである]」『室伏鴻集成』前掲書、343頁。
  • 5.同書、343-344頁。
  • 6.ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(三)、今村仁司ほか訳、岩波文庫、2021年、211-212頁。

Profile

江澤健一郎Kenichiro Ezawa

上演されるとダンスは失われる。ダンスの根底には無為があり、それは効力なき活動をつくっている。室伏鴻は、なにか意味のあるものへとダンスを制度化することに抵抗し、その場で完全にダンスを消尽し、無為へと差し戻そうとしている。アーカイブ資料を用いて室伏のダンスの展示を企画することは、彼の無為を裏切ることだろうか?必ずしもそうではない。写真、テクスト、ビデオ、ちらしといったさまざまな資料をモンタージュすることによって、失われたものを保存し意味のあるものにするよりも、むしろ失われたものの喪失そのものを潜在的に現前させることが可能なのだ。それは潜在性の兆候をかたちづくる異なる種類の創造となるのだ。