失われたもののモンタージュ
上演されるとダンスは失われる。ダンスの根底には無為があり、それは効力なき活動をつくっている。室伏鴻は、なにか意味のあるものへとダンスを制度化することに抵抗し、その場で完全にダンスを消尽し、無為へと差し戻そうとしている。アーカイブ資料を用いて室伏のダンスの展示を企画することは、彼の無為を裏切ることだろうか?必ずしもそうではない。写真、テクスト、ビデオ、ちらしといったさまざまな資料をモンタージュすることによって、失われたものを保存し意味のあるものにするよりも、むしろ失われたものの喪失そのものを潜在的に現前させることが可能なのだ。それは潜在性の兆候をかたちづくる異なる種類の創造となるのだ。
Profile
1967年生まれ。フランス文学専攻。博士(文学)。立教大学兼任講師。著書、『バタイユ――呪われた思想家』(河出書房新社)、『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』(水声社)『中平卓馬論』(水声社)『思想家 岡本太郎』(月曜社)。共著書、『中平卓馬——来たるべき写真家』(河出書房新社)ほか。訳書、ジョルジュ・バタイユ『有罪者——無神学大全』『ドキュマン』(以上、河出文庫)、『マネ』(月曜社)、『聖なる陰謀——アセファル資料集』(共訳、ちくま学芸文庫)。ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージの前で——美術史の目的への問い』(法政大学出版局)。ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』(共訳、法政大学出版局)。