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高密度マシン=室伏鴻に接続せよ

岡本義文

悲しいから泣くんじゃない、うれしいから笑うんじゃない。平面をこする反復行為による摩擦が私を泣かせるんだというふうになってくると、これは機械の問題、技術の問題ですね。そこに隠れた恋愛があると。大脳から分泌されるホルモンが泣くとか笑うとかいうことを実は司っているのだと。分子活動が恋愛しているんだと。まあ恋愛という言葉を学者は使っていませんが、もう使ってもいい時期に来ているというふうに考えて技術というものを洗い直しているわけです。だからその技術が問題なんで、ヒューマンに、或いは神秘主義的に眺められると、そうとう大きいシコリを残すわけですよ…

土方巽


甲虫みたいな特異な身体が空っぽの空間で微細に振動しながら、熱をためこんで、うなる。
身体にひしめく無数の点が線で接合され、ほつれ、からまり、ポカンと口を開けた観客の神経組織にからんで軋む。ノイズ。それも、シカゴ音響派あたりの知的で適度に制御と屈折のきいたそれでなく、打ちっぱなしのコンクリートと共鳴して箱全体をガンガンゆする、とびきり野蛮な生のノイズの塊だ。空間を反射板にしてノイズを増幅させながら、見る者の身体に勝手に侵入してノイズをつかみ出し、とんでもない音圧でもって俺/君/内/外の壁をゆさぶられるからベリクールな態度で呑気にかまえてはいられない。

この室伏鴻というダンサー、ウイルスのように、われわれの背中から取りついてオカマを掘り、怪物を生もうとしている確信犯。室伏の痙攣は、エイリアンが出産するときの、胎細胞が発生する際の身震いと同じだ。すさまじい痙攣で身体の輪郭がブレて、人間のゾーンからはみ出ちゃってる。この驚異的な生体エネルギーの力動に巻き込まれた者は、以後、単なる超絶技巧の、目に見えるだけの高速度というヤツがアホらしくなるだろう。
点を線に変容させない速度なんて、退屈で見てられないから。

これが舞踏だったら、今まで観てきた舞踏とやらは、黙りこくった、ちょっと不気味な歌舞伎じゃないか。そう、機械が、技術だけが問題だ。

なのに既存に寄りそうことばっかり考えて、表象されているものの中身にうつつを抜かす連中だらけ。何を表すかでなく、表面が、その波動が舞踏のキモだというのに、回帰したい日本があると本気で信じているナルシシストたちは、坊主眉なし白塗りプルプル顔面硬直の型をルーズになぞる。粗暴とガサツを等号で結んでどうする。

冒頭の引用は舞踏のオリジネーター、土方巽の言葉だよ。例によってワケのわからんレトリックで煙に巻いているけど、舞踏の人たちは、その難解さをありがたがって雲をつかみ、田舎臭い大げさな身振りと文学臭をゴリ押しし、そのくせ自分は白眼をむき、貧しい内面の方を見つめ。最初から他者との共鳴は拒否。だったら、とっとと好きなだけ突っ立って、死体でも何にでもなってくれ。まなざしにさらされる緊張感がないから、そのぶんえらく硬くこわだった空間に心底うんざりしながら天を仰ぐ。土方はかわいそうだな。
舞踏も暗黒と手を切ったのだから、こっちもそろそろおめでたい連中ときっぱり手を切らなきゃ。そんな今日この頃に、室伏鴻が久々に日本に帰って来る。引きこもるのはやめにして、室伏という高密度のマシンに身体をすべてあずけよう。

人間も機械なんだから、機能不全を起こしているなら、ほかのマシンと接合し、強引に運動にもてあそばれ、サビを落とさないと早晩機能は停止する。一瞬でもいいから、自分はゆるぎない自分なんだというちゃちな自己同一性の奴隷の身分から自由になろう。
知ってるつもりのイメージを粉砕し、納得するんじゃなく、戸惑い、失うことで変容しよう。

どこかの誰かさんが声を大にしていう“次にクるヤツ”が気になり、実際それがよく見えてしまって、その場かぎりでは自主的に変わったようにも見えるけど、誰かに操作されないと変われない困った体質。そんな体質だって、室伏が放出する熱にやられれば、ゼロにリセットされるに違いない。

2000

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