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追悼

岡本義文

尽きせぬ意欲と衝動が唐突に断ち切られた。出来事そのものについて語るとなれば、ただ途方にくれるばかりで、大きな空白をもって応じるほかない。木谷さん(敬意をこめて、ふだんからそう呼びならわしてきた「木谷さん」で通させていただく)が一挙手一投足を賭けて突き抜き、踏み抜いてなした圧倒的な提示から何を得、どう使うかを考えてみる作業は、ひとりでは到底できぬ、皆が負うべき仕事に属する。完結に心を砕いて細部にまで磨きをかけ、不動のかたちの追求に鎖されるより、失敗を繰り返してたえずゼロに立ち戻り、多方向に散乱しながらおびただしい試作を積み重ね、ひたすらがむしゃらに進んでゆく。それが、木谷さんから教わった第一のものだったはず。解釈でなく実践。木谷さんはそう説きつづけたのではなかったか。生きたまま入棺すること。──そして僕は〈私〉の二重化を超える方法について考えていたのだ。すなわち事件とは、〈私〉と〈私〉のそれまでの在り様の〈死に方〉なのであり、雪崩れこむように、その炸・裂の一点に向かって殺到し、到来する不吉な速度に支えられた〈誕生〉という力そのものを感じることであるかもしれない。〈私〉そのものが棺桶であるとともに初湯をたたえた湯桶であること。死に往く衝迫と誕生の一声が等価である地点にふれること……”*1]。
19799月、大駱駝艦天賦典式「貧棒な人」。グレゴリオ聖歌のミサからの引用「怒りの日」にもとづく楽曲が響きわたる序幕と終幕にはさまれ、大駱駝艦一党とその分派が勢ぞろいして豊玉伽藍の落成を祝した夜。それまでも大駱駝艦への客演に接したことはあったのだけれど、あのときの木谷さんの木乃伊に、息を詰めた。呼吸を止め、ほんの少しだけ死者の領域に近づいた状態で、胸苦しさに苛まれ、徹底的に打ちのめされた。その年の終わり、同じく豊玉伽藍で久しぶりに石井満隆さんが開いたリサイタルの打ち上げで──なぜ宴席にまぎれこむことができたのか、まったく記憶にない──遅れてきた木谷さんが隣に座し──口髭をたくわえた強面で、まして木乃伊をおどった人だ、正直、おっかなかった──福井・北龍峡で翌年3月に催される公演のチラシを手ずから受けとった。舞踏派背火公演・常闇形Ⅳ「オルガンと硫酸」。細やかな心づかいと荒ぶる力が同居するたくみな勧誘に翻弄され、あろうことか、舞踏とはいちばん縁遠いみじめな身体を、その公演で晒すハメになろうとは。それからは稲妻の速度だ。信じがたいことに新宿スタジオアルタのオープニングを飾ったのが背火で、そこでも不束ながら木谷さんの振付を懸命になぞり、LOTUS CABARET'80sの名のもとに繰り広げられた「木乃伊」「タラフマラ・トランス」「舞踏病草紙」ほかに参加、アリアドーネの會の公演では裏方もやった。浅草ロック座等では金粉ショウの末席に連なったこともあったっけ。当時、大森・山王にあった稽古場で木谷さんの傍らにいて学んだことはあまりに多く、書物の頁のなかから、木谷さんが引いた線を探しだしては読み耽り、折口信夫、坂口安吾、ルネ・シャール等々をめぐる、とぎすまされた評言に耳をそばだて、と、思い出はとりとめもない。感情教育。その一語に集約できるような、ずいぶんと贅沢で濃密な時間を共有させてもらったものだな、と改めて思う。
贅沢さ。それは木谷さんを語るに欠かせぬ鍵言葉であるだろう──贅沢さとともに「品位」も大切な教えのうち。ただし、これほど値打ちの下がったことばもないので、伝えにくい。木谷さんの師・土方巽は「品位」を重んじていた──12世紀プロヴァンスのトルバドゥール、ベルナール・ド・ヴァンタドルンの絶唱「喜びにあふれた雲雀が」、フライング・リザーズの調子っぱずれなブレヒト・ソング、雅楽とスティーヴ・ライヒ、ベートーヴェンの月光ソナタとキース・ジャレットのピアノ・ソロとが、クセナキスと李香蘭とポインター・シスターズが平然と綯い交ぜにされる舞台音楽──福井・北龍峡のだだっぴろい階に鳴り響いていたオーヴェルニュの歌第集第曲「野原の羊飼いの乙女」(曲目が「バイレロ」だ)やXTC「メイキング・プランズ・フォー・ナイジェル」を想うと、今でも耳のあたりが軽い熱気につつまれる──も贅沢なら、背火・アリアドーネの會本公演における、過剰なまでに物質的な生々しさをたたえた舞台装置の数々も、贅沢の極みだった。舞台床面に敷き詰められる黒い地絣の些細な汚れひとつに嫌悪を隠さないのが、木谷さんという人なのだ。
ソロに転じてのち、慎ましく、薄い音量で流されるモートン・フェルドマンのピアノ曲も、音素材の乏しさをいっさい露呈させぬ、贅沢な劇場空間の彩りに変じていた。どんなに貧しく頼りなげな場所も、ひとたび木谷さんが介入すれば、そこはとびきり贅沢な劇場になった。折りたたまれた身体の線が電圧を帯びて床面に接触すると、平面がグラグラ歪む。限られた空間が身体の線と交錯・共振しつつ自在に伸縮し、厚みを帯びてゆく。小屋そのものをつかんで激しく揺さぶり、鳴らしてしまうという大胆なアクションを目の当たりにできるとは、何と贅沢なことだろう。木谷さんも読みこんでいた哲学者のいう、うしろから強引に抱きすくめ、オカマを掘って新たな怪物を創出せしめるという営為の、それは強靭な具現化のように見えた。

僕は今〈室伏鴻〉である/〈室伏鴻〉は劇場である/僕は〈劇場〉である/僕は 生まれついてのこの方〈劇場〉だった/またまた、たまたま僕は〈室伏鴻〉となる/それら全部は〈舞踏〉である/それらはもはや僕のあなた だ/僕の外から来た外の僕なのだ/いま・ここに際立つところの〈舞踏〉はdis-tanzである/おどられないおどりだ/(中略)/劇場は外よそとなる/〈室伏鴻〉は あなた距たりへと行きつこうとするプロセスにすぎない/なぜなら 外はプロセスとしてやって来る/それは いつもかえるところのない よそ道なのだ/それは死に至るまでの生のことじゃないか/しかしそれは不動のなにものか、不可視のなにものか、前後の間のなにものかを/たえず横切り、旋回する行程だ/……


記憶のフィルムを巻き戻すのは、いいかげん止しにしよう。木谷さんを過去形で語ることは、〈室伏鴻劇場〉で息を詰めた経験のある方であってみれば、永遠に禁じられてあることを、即座に理解されるにちがいない。あの「人を泣かせる背中」に導かれ、ひとすじのジグザグな道を、これからもつまずきながら、ずっと進んでいくよりほかに、道はない。

*1“”は木谷さんの手稿からの引用による。

2015
『〈外〉へ!〈交通〉へ!』