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舞踏の「次の一歩」は……

鈴木晶

舞踏批評は、ひとつには独特の隠語と難解な文章によって、いまひとつには特定の舞台を観たことを特権視することによって、舞踏を秘教化し、みずからを頑なに閉ざしてきた。10年前に書かれた舞踏論のほとんどが今日読むに堪えないことを考えれば、この頑なさの弊害が推し量れよう。この閉じた世界に外側から穴をあけ、風を通さねばなるまい。

舞踏は落ち目だと言われはじめてから何年経つだろう。舞踏がかつてもっていた衝撃力を失っているのは事実である。舞踏家たちだって楽天的ではない。一人ひとりが「次の一歩」を模索している。
そして土方巽が死んだ。舞踊家たちの舞台には、ここしばらく彼の死が影を落とすことだろう。むろん土方の死と舞踏の衰退とはまったく無縁の事柄であるとはいえ、舞踊家たちは巨人の死と舞踏の現状を重ね合わさずにはいられないにちがいない。

──室伏鴻のソロ公演(324日、25日、スタジオ200)を見ながらそんなことを考えた。彼が東京で踊るのはじつに5年ぶりだ。土方の《肉体の氾濫》に衝撃を受け、アスベスト館に学び、1972年には大駱駝艦の旗揚げに参加した室伏だが、一般にはもっぱらアリアドーネの會の振付・演出家として知られているにちがいない。日本およびヨーロッパでのアリアドーネの高い評価は室伏のおかげといっても過言ではあるまい。この5年間、彼はまるで故国を忘れ、デラシネになりきったかのように、アリアドーネとともにヨーロッパをまわっていた。最近そのアリアドーネと手を切ったという。具体的な理由は知らないが、彼がアリアドーネにひとつの限界を見、別の場所に新たな可能性を求めようとしていることは確かだろう。実際、彼はこのたび日本人、ヨーロッパ人をまじえた新たなメンバー(もちろん女性だ)とともに新しいカンパニーを結成し、パリで新作を公演するという。自身のソロと、女性ダンサーたちに「振りをつける」ことを平行させることによって、彼の内面は幸福なバランスを保っている。彼が掲げた「トランス・ナショナリテ」「トランス・セクシュアリテ」という語を松浦寿夫はいみじくも「無邪気」と評したが、室伏が、ヨーロッパでエグゾティスムを売り、日本で錦を飾る、といった姿勢とはおよそ無縁なところにいることは確かだ。

さて舞台となるフロアには1トンの塩によって、菱形に近い四角形の「白い磁場」がつくられている。その上に無造作におかれたオブジェ。白いレースのスカートの上に外套、帽子を深々とかぶった室伏は緩慢な、そして重い動きをみせる。外套を脱ごうとするがどうしても脱ぎ捨てられないというその動作に、土方への想いを感じないわけにはいかない。だが彼がいわば本領を発揮したのは後半、裸になってからだ。荒削りのごつい上半身と、それを支える驚異的に柔軟な下半身とのコンビネーション。肉体は次から次へと変容する。次の動作を教えるのは肉体そのものらしい。室伏は、作品への過程で生成してくる諸力を失わぬまま踊る方法を考えねばならぬと語り、「未了」という語をしばしば口にする。作品は「結果」であってはならないのだ。彼は自分の肉体でそれを裏づけてみせた。そして彼は受動に徹してデーモンに身を委ねるのではなく、霊感を真正面で受けとめ、肉体を投入し、そこを通過させる。時折、口から「ぽっ」と出る言葉。ある瞬間には地中からのびた地霊の手に足首をつかまれているように見えたのが、次の瞬間にはじつにのびやかに跳躍する。その自在な動きは、観終わったあとに清々しささえ残した(ただしこれは2日目のことであって、1日目は彼は肉体の深層にではなく感情の深みに囚われ、その底なし沼から抜け出そうというあがきがことごとく裏目に出、無残な出来だった。また後藤治によるイーノ風の音楽はじつによかったが、集結部に用いられるウェルテンのミニマル・ミュージックは再考の余地あり)。

室伏は、舞踏が曲がり角にきているという事実を自分のごつい体にぶちこみ、いま「次の一歩」を踏みだそうとしている。

June 1986
『IS』

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1986