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仲間であり素晴らしいアーティスト 室伏鴻の思い出

カヨ・ネルス

2015618日 世界的に最も尊敬された舞踏家室伏鴻が68歳で亡くなりました。鴻は本当に恵まれていました。なぜなら彼の芸術活動は彼の死の直前まで続けられたからです。そして彼はこの世界に、内的なインスピレーションと創造的なエネルギーを残しました。

個人的には、私は鴻と1988年に出会いました。80年代後半から90年代半ばまで ジェイムス・サンダースと私は鴻を定期的に我々の夏と冬のフェスティバル「ダンスプロジェクトケルン」に招待し、そこで彼はアマチュアの生徒たちに熱心に舞踏を教えました。そしてステージにはデュエット「Out of ephemeral」(1989 with 草薙うらら)、「EN89」(ソロ1989)、忘れ得ないソロ「White Presence」(草薙うらら 10.7.1993)の初演を持ってきました。

近年になって横浜ダンスコレクションで鴻と再び会えたことは、私にとって光栄なことであり喜びでもあり、私たちは友情を再開しました。私はそれ以降、鴻がヨーロッパで、そして世界中の多くの国で成功を収め、また彼の母国においても、若者からも年を重ねた人たちからも尊敬と感謝を受けていることを聞くにつけ、大変うれしく思っていました。そして彼は私たちの再会を楽しんでいるようでした。

横浜ダンスコレクションの授賞式で、鴻は彼のダンスと人生に対する考えを説明する短いスピーチを行いました。私にとってこのスピーチは、彼の芸術と人生についての考え方のエッセンスを表しているもののように思われます。

賞をあげる喜びって言うか、頂いた鈴木さんが本当にびっくりなさって素晴らしい笑顔で賞を受け取って頂いたんですけど、私は人間が、なんかまあ、一緒に喜びを越えて驚くっていうんですかねえ、そういう場面に出会うとある種の感動を覚えます。

賞を上げる立場って、私は全然そういう立場ではないですけど、たまたま審査委員を引き受けたのでそういう場面に立ち会うことが出来て、大変幸せな気持ちになりました。

今日賞を頂いた人の喜びっていうのは、それを見ている者にとっても一つの驚きですよね。ダンスっていうのは、驚きを追求する仕事っていうか芸術だというふうに理解しておりますけれど、人の人生そのものが毎日毎日が一つの実験だと言うふうに私は考えています。
それはなぜかと言うと、人の生っていうものは刻一刻新しい、何か見知らないものに向かって生きていくっていうか、成っていくんだというふうに思っていますけど、ダンスはそれを自分の体で生きると同時にそれに形を与えると言う、なんていうんですかね、難しい仕事ですね。だから決して失ってはらないものっていうものは、なにか驚きっていうようなものなんだと思うんででよね。 

今日もなんかへんなとこで見たんですけど、芥川賞ってのは事件なんだと書いてあったんですね。賞というのはお祭りなんだろうとは思いますけど、全く未知の形に足を踏み入れていくって言うのかな、そういう実験なんだろうという風に思います。  
結論はないんですよね。なにしろ賞を頂いた方に頑張ってもらうのは勿論なんですけど、今回賞を逸した人も、毎日、日々実験を素晴らしい形で生きて欲しいというふうに思います。

2012室伏鴻 横浜ダンスコレクション授賞式審査委員高評より

 

translation
渡辺 喜美子
2015
『〈外〉へ!〈交通〉へ!』