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室伏鴻へ

長谷川六

わたしは室伏鴻が死んだということを信じない。
信じることができないのだ。
わたしが彼と親しく会うのは、1980年代から90年代(奔放、独立)、モンペリエの夏の名物、国際ダンス・フェスティヴァルだったり、パリのテアトル・ドゥ・ラ・バスティーユのロビーであったり、その近くのマルシェだったりする。
日本ではまず会わない。
それだけ、彼は放浪の人だった。
テアトル・ドゥ・ラ・バスティーユで初演したカルロッタ池田とのデュオ『AiAMOUR』は、池田が頭を彼の肩に軽くもたせて並んで立つ長いシーンで始まる。ゆっくり時間をかけて揺れながらもつれる。
《愛》と、病気にかかると《痛い》を意味する《ai》=《avoir》をひっかけたタイトルである。男女の微妙な関係を示唆する作品で、日本人の寛容と曖昧さと、それに接近するフランス人の感性を揺さぶるような大胆な身体を示し2人だけの空間を創る。
フランス人に限らず欧州の高学歴の層は、おおむね、自分がそこまでに築き上げた知的特権を手放さない。それに揺さぶりをかけたのが室伏鴻の舞踏で、欧州人の知性に侵入した。カルロッタ池田に寄り添う室伏鴻は膝を緩め次第にだらしない身体を見せるかと思うと、祈念の対象にもなりうる素直な直立に入る。それは彼が常に抱く万物への疑義を漂わせ高貴なアウトローとしての自意識を吐き出す瞬間である。
この公演の後、カルロッタ池田と室伏鴻にインタヴューを試みたが、彼は、空中に漂う色つきの空気のような不思議な言語を吐き出した。福井の山奥で室伏鴻が旗揚げをしたとき、わたしは松山俊太郎と公演の次の日の午後、海水浴に出かけたが、このインド哲学者は前夜の公演を絶賛「不羈(奔放、独立)の身体」と語った。白い松山の皮膚は朱く夕陽に染まり、室伏鴻の重厚な皮膚との対象を思わせた。放浪の身体、いま彼はどこにいるのか。どこへゆこうとしているのだろうか。

July 2, 2015
『<外>へ!<交通>へ!』