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「最初の舞踏家は、鍛冶師だった」と僕は書く

1992

from Program

「最初の舞踏家は、鍛冶師だった」と僕は書く

われわれの身体は金属で出来ている。

孤児的なもの、探求的なもの、流浪的な物、遊牧的なもの、
北へ向かうもの、金属に引き寄せられるもの、渡り鳥の“渡り” 落ちて死ぬのか?
いずことも知れぬ<間>や<スキ間>にあって力=意志であるもの。それは変成的なものだ。

少なくとも水でも土でも火でも空気でもない。いやそれらを寄せ合わせ、それらの混成によってそれらを超脱し、逸脱するもの、それが金属だ。

その孤児性!そしてその切断性!
硬くそして同時に柔らかい。

われわれの筋肉・神経の秤は、
重量を欠いた軽味だ。
軽さを欠いた重味だ。
だからどこへでも移動するする旅人だ。

「最初の舞踏家は旅人であった」と僕は書く
そして旅人は、また鍛冶師は、すなわち<金属>は
「共同体と自然の間に宿命的な切断の線を走らせる。やわらかな自然の身体にザックリと傷口を刻み込んだ鋭利な金属器」
こうして閉じた共同体は<外>へと開かれる。<交通>へと。

<舞踏>への焼きの入れなおし、それは鎚音にはじまる!
それは溶鉱炉を通過する。
すなわち終わりのない始まり
カオスへの道が同時にコスモスへ開かれること。

「最初の舞踏家は片目、片足…片腕であった」と僕は書く。
びっこのヘパイストス。小人のアルベリヒ。片目の不自由なタタラ師……そして
<One eyed Jack><丹下左膳>に至る片目、片腕、左ききの血統。

しかし、片目・片足が<全体性>復源の幻想・ファンタジーに向かって回収されるのではなく<共同性>に於けるそれ・幻想を排撥したまま、それをもて遊び、愚弄し、迷走するこの撹乱の足、ブトーの足、忍びの足、抜き足、擦り足と、と、、とノマディックでヘルメティックなメタリック!

ノマデイスムに於いては面のみが問題なのだ。
なぜならいかに条理的に選別、分節化された空間もすなわち、内・外に区別された空間をノマディックにあっては、一枚の敷きのべられた<皮膚>のように滑走することが可能だ。ノマディックにあっては内側が外側へ連続することによって……全ては素顔へと露らわになる。さて……

「最初の舞踏家は、金属を、皮膚、一枚の皮のように舞台に敷きつめる」と僕は書く。
あらゆる技術的な習熱を、経験的記憶を、瞳による所有を拒否するように一枚の金属が
われわれを切断する。
「そうだ、しょせんここはわたしと関係のない劇場なのだ。
そうだ、しょせん、この大地に自分の家などあっただろうか?」
と僕は呟く。

1992 Paris
室伏鴻