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若い振付家にむけて

2015

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ダンスは、上手に構成し、組み合わせたりしても面白くならない。逆に、構成の下手なダンスでも、ダンサーの身体に力があれば見応えのある面白いものになる。
ダンスの魅力、それは身体の変容する/させる力だ。トランスフォーメーション、縁 Edgeで、それは限りなく死の快楽に接している。わたしたちは踊り、そして狂う。踊りは自己を分断する、その亀裂と破砕、破滅し陶酔する力のなかで、身体の、闇のリズムと出会う。そこが創造の根=源だ。J-L.ナンシーが書いている。「ひとつの極限に達したダンスが頂点で・・・熱狂状態のなかに投げ込まれ、投げ捨てられる(熱狂=フレネジーという語は、狂気、動揺、興奮、法悦、放棄などを喚起する・・・)。熱狂状態のなかで身体は同時に、最も内密な、そのリミットに触れるのかもしれない。・・・完全なもの、統合されたものとしての身体は解体され、みずからの所有権が剥奪される状態へと触れるのかもしれない。(・・中略)この身体はある痙攣状態を踊る、この痙攣のなかでダンスはダンスの外部へ迸り出る。ダンスはいわば野蛮さの、その究極的な運動において、ダンスそのものを奪い取られる。」
ダンス、それは表現の死=身体の<零度>に立つことなのだ。それは絶えざる現在形の、瞬間の出来事である。揺らぐ境界の、<いま・ここ>に身をさらすこと、それは事件であり、一つの<実験>である。ソロの身体が「複数の異なる言葉と身体」に分裂し、その分断によって語る<未だ名のない、非人称の身体>の冒険となるだろう。
表現を超えて、その絶えざる革新であり、別の、新たな生を生きること。その時、私の身体はすでに一つではない。私たちが踊るとき、私の身体、それは無数のポジションで、無数の「批評criticと臨床clinic」を生きている。

室伏鴻


室伏鴻