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細川周平によるインタビュー

1983

01
細川──鴻、まず、「暗黒」についての考えをききたい。「暗黒舞踏」・・・・なぜ君のダンスはそう呼ばれるか。

室伏──暗黒舞踏は五十年代のおわりに土方巽がまずそう名付けた。当時、全ての芸術分野劇的をおおう攻撃的な動きにまきこまれ、まきこみながら、彼はパフォームした。それは伝統的日本と近代的(アメリカナイズされた)日本に反対するマニフェストだった。彼は私のダンスの師だが、なぜ新しいダンスを彼が「暗黒舞踏」と名付けたのか正確には知らない。私個人としては、「暗黒」の意味を日常感覚をこえる何か説明しがたいもの、我々を原初的な、又、別の状態(アルタード ステージ)に押し出す 不可視の力、あるいは我々の世界のかくれた次元と解釈している。私のいう「暗黒」をいわゆる「オリエンタリズム」、「アジア神秘主義」、自然食、ヨガ、クリシュナ、集団瞑想、占星術、なんかと混同しないでほしい。私が今言った「暗黒」はそういう(ヨーロッパ人の心にとって)「エクゾチックな」テクニックや哲学──、そういいたいなら──ではなく、人間の普遍性、普遍的態度のある原初的基盤なのだ。例えば、変身への法悦への、トランス、への、錯乱への、誘惑への、愛への、そして最後に死への欲望なのだ。

02
細川──君は土方巽への名を挙げた。何度か招待しているのだが、まだフランスでやったことがなく、神秘的に、神話的になっている。彼の素顔を紹介できますか。

室伏──彼の素顔を私が知っているか、彼が私にそれを見せていたかどうか自信がない。率直にいって、彼は疑いなく私の人生で、最も偉大で、最も影響のある人その人───その中の一人(ワン オブ ゼム)ではなく───だ。彼なしではダンサーにならなかったろう。初めての出会いは一九六七年、『肉体の反乱』というパフォーマンスのときだった。その頃の私は、政治運動にも、アヴァンギャルド演劇運動にも、アンダーグラウンドシネマにも無関心な学生だった。ハプニングをやったことがあったが、何も起こらなかった。生は、ハプニングをパフォームする以前に、既に「起こって(ハプニング)」いるからだ。ヒッピー運動も同じだ。アメリカの風俗のイージーな選択と思った。我々にはヴェトナムがなかったら。孤立して生きていた。土方は偉大な前衛アーティストの一人として知っていたので、何かが起こりそうだと、その前の夜に予感していた。その日がやってきた。少し急いでホールに一人で向った。入口の前で、まず馬を見つけた。ロビーは、日本のシュールレアリズムや現代芸術のパイオニアたち、瀧口修造、加納光於、中西夏之、の無数のオブジェに飾られていた。公演は模型飛行機で始まった。それは観客の上を何度か回った後、鋭いノイズをたてて、舞台後方の巨大な金属板に突進した。土方はあたかも、たい冠式の行列の王のように客席後方から現れた。うなりながら、そしておそらく踊りながら。次の場面では、くもの巣にひっかかった蛾──蝶というよりも──のように天井に吊り下げられた。見たところ優雅でも美的でもなかった。むしろ荒々しく、デリケートだった。彼を初めてみたとき何を感じたかまだ覚えているが、何を見たのか、何が正確に私に起こったのか、まだ説明できない。ともかく次の瞬間、私はダンサーになる、「ダンス自身になる」という運命を意識していた。凝縮された存在、それが土方だ。彼ほどラジカルに「存在」しうる人はいないだろう。暗黒詩人、暗黒哲学者、それが土方だ。

03
細川──ええと、君のこれまでのシリーズのパフォーマンス(一九九七)『ヒナガタ』は漢字では、永遠の闇の形、と書きますね。「暗闇」に対する君の関心と想像力は、どこから来たのですか。例えば『息iki』※の中でも持続しているのですか。(※iki は1983年のソロ作品のタイル)

室伏──過去の仕事についてはあまり語りたくないが・・・ここではダンス、少なくとも私のダンスにとって「暗黒」とは何か、ということについて、はっきりさせておこう。列車がトンネルを通過するときの子供たちのはしゃぎぶりを思い出して下さい。バースデイパーティーや新年パーティーで、ろうそくを消したときの子供や大人の荘重な気持ちを思い出して下さい。そのとき、我々は何か奇妙で、形が悪く、魅惑的なものに出会っているのです。それが日常生活の中で見出される暗闇の力です。しかしながらふだんは、その力について考えません。トンネルが短すぎるからでしょうし、パーティーはうるさすぎるから・・・ダンスはその虚構のアクション、演劇的な身体性によって、暗闇の効果を結晶化し凝縮します。それは虚構であるがゆえに現実的(リアル)です。虚偽であるがゆえに真実なのです。暗黒は、生のもう一つの面、死に光をあてます。死は虚構で虚偽です。我々生きるものは、死それ自体を決して経験できないからです。しかし他方で、死ほど「現実的」で「真実」な経験はありません。家族、友人、ペット動物を死によって失ったことのない人はいないからです。従って死は存在し、かつ不在なのです。暗闇の中で一旦、死を経験します。列車がトンネルを出るとき、いきかえるのです。これは、たとえわずかであれ、バースデイパーティー、新年パーティーの演出で、無音の暗闇が必要な理由でもあります。舞踏、あるいは私のダンスは我々の意識の「原初的な」※を※りつづけます。それは「生きられた死」 にほかなりません。

04
細川──ああ、何と人類学的なんだ。それをきちんと学びましたか。どの人類学者に深い興味を覚えますか。

室伏──本当に?ミルチャ・エリアーデ、ケレーニイ、ユングなんかを少し読みました・・・しかし彼らは人類学者ではありませんね。儀礼、神話、マンダラについての彼らのシンボリックな解釈にはとても興味があります。それはたしかにクリアーだしよくできていますが、私の興味は彼らが記述した規範からの逸脱、侵犯にあります。私の意見ではニーチェをのぞけば、バタイユこそがこの過剰に最初に注目した人です。『呪われた部分』をよみましたか。それは私が満足した最初の「人類学的」著作です。西洋でも東洋でも、人間はエロスの遊び(プレイ)の産物です。いいかえると、消音・消尽と交換のゲームのなすがままなのです。日本では三島由紀夫が真の意味でバタイユ派であるに違いない。「太陽と鉄」という短いエッセイではそれが本当にはっきりしています。そこで彼は肉体と魂がいかにして、極限的な状態──何にも反応できなかったり、周囲の速度のゆえに、何も感じなかったりするような──で統合するか、ということを論じている。(彼はジェット戦斗機の急降下の体験、イカルスの墜落を例にあげている)それはまさしくエロス的次元なのです。その次元で生と死は可逆的になる。もっと正しくいうと、陽気な死を生き、悲惨な生を死ぬのです。しかし、目がくらくらするような速度の中で、自己を失ってはならない。我々が住んでいるのは、「真の」道化とスケープゴートによって「真の」祝祭を行えるほど、政治経済が単純な原始社会、古代専制社会ではなく、(ポスト)資本主義社会なのです。祝祭はより人工的に、虚構的にならざるをえません。(原始社会とその祝祭が「自然」だといっているのではない・・・人が作るものは、あるいみで常に「人工的」なのだ)眩惑の中で、我々は正気と狂気に分かれる。狂気が正気を完全に圧倒するとき、我々の肉体はパラノイア的になる。舞踏は正気と狂気の間の、自分自身と自分-他者の間の距離をはかる。アイル・ビー・マイ・ミラー!

05
細川──今度は急に精神分析に突入した。エロティシズム、舞踏の話にもどって下さい。

室伏──サムライの聖書である、十七、八世紀の書、『葉隠』から好きな文句を引用しましょう。

至上の愛は距離にたえなくてはならない

二人が会ってしまうと、愛は貧しくなる

悲嘆をいだいて死ぬまで一生涯忍耐すること

それが真の愛だ

愛の秘儀はその過剰性、無限定性にある。第一種接近遭遇、それはコミュニケーションだ。二人の恋人は互いの理解のために、情感を交換しようとする。第二種は献身だ。自己を消費し忘却しながら、互いにつくしあおうとする。その消尽ゆえに疲れはててしまうカップルもいる。第三種は死だ。消尽のあとには、相手さえ望まないようになる。沈黙が残るのみ・・・・・・これが経済人類学者としてのバタイユ、三島の図式的な理解です。一たん恋におちいると、モラルをこえて自分の宇宙の涯てまで行ってしまう。ラヴ・ノン・ストップ!「呪われた」部分にこそ、失われた儀式、散逸した神話、中断されたオージー、忘れられた子守唄に根ざす真の自己を見出す。大島渚の『愛のコリーダ』は完全に他のどのフィルムよりもバタイユ的、つまりエロス的(・・・・)だ。ヒロインの(サダ)は、サド以上に、愛を恋人の死の物質的(象徴的ではなく)交換によって昇華している。ダンスもまた、ニーチェがいくつかのバラードを捧げたものとしてある限り、「エロス+虐殺」にかかわらざるをえない。舞踏もまた、太古の想像力の内に秘めた直接性、強烈な即興の内発的強度によって死のフィギュールを結晶化する。舞踏にはスクールがない。視のフィギュールにスクールがないから。舞踏は無定形だ。そのフィギュールと同じく。舞踏は誘惑的だ、フィギュールがそうであるから。舞踏は生と死の循環を反復する。

06
細川──つまり、舞踏は一種のイニシエーション、通過儀礼なんですね。別のパフォーマン『ミイラ』もこの考えと結びついているのですね。

室伏──もちろん。ミイラは生と死の中間にあります。漸進的な「死」を生きるのです。死の欲望の漸進的横滑り!あるいみで彼は例外的な存在です。我々もしかし、同じ「変身」の過程を知っています。病気です。日本語では、病い(・・)は、ヤミ(・・)ヤマ(・・)と結び合っています。病い(・・)が、死からの(異郷の、エキゾチックな、外国の、見知らぬ)力として、我々に死の深淵をのぞかせ、生と死の間の知られざる不可視の部分、つまりヤミ(・・)、を見せ、日本の神話体系では死者の国と考えられているヤマ(・・)に我々を近づける、というのは、決して偶然ではない。そのうえ、聖なるヤマ(・・)は、ギリシア神話のハーデスに対応する黄泉(・・)と呼ばれる他の国(・・・)なのです。私のダンスは魂の案内人(プシコポンポス)に導かれたオルフェウスの異界めぐりなのです。巡礼の中で私は自身をこえ、自分の状態の外に立ちます。エクスターズ、エクスタシーです。パフォーマンスの中でいつも私は、生きられた死と、死の生の中の可逆的で交換可能なものを呈示しようとしている。「気が狂うほど好きだ」とか「死ぬほど好きだ」ということをよくいう。無意識の内に、生と正気よりも、死と狂気が、愛、誘惑、パッションと多く関係していることを知っているのです。そのうえ「愛の病い」ともいう・・・私のダンスは恐らく「暗闇」に導かれたこの一連の連合(病い、死、エクスタシー、狂気、誘惑、パッション、愛・・・)を見せるのだ。

07
細川──パフォームしているときに、西と東の差を感じますか。

室伏──はい。ヨーロッパの観客の方が日本の観客よりポジティヴです。たぶん距離のせいでしょう。私のパフォーマンスにとって、距離はとても重要です。まさしくそれこそが私を踊らせ、私の舞踏欲を生むのです。さっき「エキゾティズム」、ヨーロッパの東洋ブームを否定しました。しかし私も彼らと同じく、ある種のエクゾティズムに魅惑されているといわざるをえません。エクゾ・ティズム、文字通りには「外にあるもの」、それはいうまでもなく、我々を参加させたり、まきこませたりする動機づけです。私はいつも近くでなく遠いもの、見慣れたものでなく見慣れぬもの、吉兆でなく、不吉なもの、安全ではなく危険なもの、ノーマルではなくアブノーマルなもの、と探しています。私が渇えているのはギャップ(・・・)なのです。パフォームするときはいつも、何か「エクゾチックな」ものとの同一化を拒みます。道ができあがるや否や──たとえ私が作った道であっても──それからはずれ、もっとエクゾチックなもの、もっと(・・・)遠いものを求めます。一つのできあがった道にいつづけたことはありません、私の仕事はいつも「途中」で「仕事中」なのです、私がときにヨーロッパ人の中で流布している「エクゾチズム」を拒むのも、そんなわけです。どうも私には、かいならされ、あたりまえのものになっているように見えますし・・・距離が減少しているようだし・・・

隣人愛ではなく遠人愛を、とニーチェは語っています。最も遠人にいる他者はモンスターです。私には、『ツァラトゥストラ』は神の死、資本主義のあとのスーパーマンとモンスターにかかわっています、スーパーマンが大家社会を統合するときには、何か拒否すべきもの、排除されるもの、つまり犠牲、モンスターを必要とするのです。おぞましきものとしてのモンスター、しかし拒否は同時に魅惑と誘惑として作用します。私は拒まれ、かつ誘惑するモンスターになりたい。

08
細川──なぜステージで西洋音楽を使うのですか、『ツァラトゥストラ』では、ロジャー・ウォーターズ、ブライアン・イーノ、エリック・サティ、アイアト・モレイラ・・・・を使ってますが

室伏──ヨーロッパでは多くの人がその質問をします。「彼らの」音楽が「我々の」ダンスと一緒に鳴っているとどこか居心地悪く感じるのでしょう。私が育った東京は、実際のところ、クラシックからポップ、ニューウェイヴに至るまで、西洋音楽で満ちあふれています、私はプレスリーとレノンとともに育ちました。三島の突然の死を知ったのは──それと何となしに予感していたのですが──T・レックスをきいていたときでした。これまでにマイケル・ナイマン、フライング・リザーズ、アーチー・シェップを使いました。アメリカン・ポップ、いけませんか。日本の芸術家は日本人らしくという、慢性的エクゾチズム」を満足させる気はない。むしろ私のパフォーマンスは西洋音楽の知られざる可能性を呈示することを望んでいます。私の音楽の選択をごらんなさい。私の選んだ人々が、ある意味で、西洋音楽シーンの中で周縁化されているのは──日本のダンス社会における舞踏と同じように──偶然ではありません。私が願っていることは、二つの周縁化された芸術の衝突がひきおこすけいれん的な爆発です。

『マダム・バタフライ』と逆に、私のダンスは中庸の道を歩みません。極端に向けて!過剰に向けて!

09
細川──なぜ、日本の伝統のやり方でメイクアップするのですか、本当に伝統的日本を拒んでいるのですか。

室伏──これもよくきかれる質問だ。白塗りのメイクは確かにカブキでもみられますが、もっと古い、カブキ以前の大衆的な演劇でも見られます。それに、彼らは裸で踊りますか。いいえ、絶対に。私はさっき、身体的直接性の重要性を強調しました。

たぶんヌードはそのための最良の方法でしょう。しかし(同時に私は距離の意義深さをもくり返しました。白塗りのヌードは、通常の衣服文明へ(法、制度、モラル)肉体自体の礼賛から二重の距離をとります。後者は画一的なトレーニング(ボディビル、マス体操、ジャズダンス、ディスコダンスなど)と結びつきがちです。つまり、ファシスト的傾向とで。それがリーフェンシュタールの美学です。彼らは一つの定められた目標、一つの美学的規範に向ってトレーニングします。目標との類似性によって分類されます、コンクールです。ナンバーワンは、ナンバーツーよりも上位なのです。ブラヴォー、ミスター・アメリカ!ヴィヴァ、コマネチ!舞踏の肉体性は、セックスショーやオリンピックと逆にあります。つまり、その直接性は視覚的挑発や「平均率筋肉」でなく、我々が維持しうる距離に由来するのです。ヌードやセミヌードのモダンダンスは今日では珍しくありません。観客がステージ上のヌードになれたら、あとに何が残るのでしょうか、直接性がストロボとか、雷のようなスピーカーのような単なる※※的効果と考えられ、そのように表現される限り、モダンダンスはすぐに死ぬでしょう。肉体のラジカルな直接性は、伝統的であれ、前衛的であれ、あらゆる手段を駆使して、表層にある何百万もの毛穴を活性化することです。究極的には、舞踏ダンサーの皮膚はあぶくをたてるのです。豊饒の海に時を忘れて歴史以前の時代からぷかぷか浮いている小さな漂流物のように、流れのままに。

10
細川──ダンサーの中にはパフォーマンスの物語性を拒む人がいます。ストーリーはクラシックなダンス、バレエでは不可欠の要素でした。モダンダンスのアンチストーリーは当然、それに対する反逆の象徴です。しかしあなたの仕事にはいつも、一定の決められた(象徴的でない)タイトルがつき、叙述的フォームで内容を描写している・・・

室伏──必ずしもそうではありません。『ツァラトゥストラ』には一枚のプログラムをつけましたが、他のにはありません。叙述性は私のパフォーマンスではとても重要です。叙述性を完全に拒否できると信じているダンサーもいます。彼らは「無題」とか「サイレンスno.34」というようなタイトルをつけたがります。つまり行為(アクト)の零度、タブララサを信じているようです。踊り始めながら、ある「ストーリー」をつむぎ出しながら創造しますが、ただし一定の構造のないストーリーを。そして、それから? 最初の状態(頁)から最後の状態(頁)にむかって、作りあげていく「イヴェント・ストーリー」に満足します。いうまでもなく、彼らはハプナーの息子です。ハプナーの影響を私も否定しませんしそうやってパフォームしたこともあります。しかし完全な即興よりも振付られた即興を好みます。予め決められた構造と固定されている構造との距離を楽しみます。柔らかい構造と硬い構造ということです。振付の背後にある叙述性は求心力です。それは遠心力と等しいのです。求心力が強くなればなるほど、遠心力は増します。しかしそれが必要としているストーリーとは、必ずしも細かいものではなく、始原的で、パッション的で、誘惑的な──これまでに私が強調してきた意味で──ストーリーで、接線方向に逃走していくことを、脱構築に向けて我々自身をずらしていくことを可能にするストーリーなのです。この意味で、私のダンスは、ディスタンスに支えられたディスタンスなのです。例えば、ダンサーが蛇やミイラの(フィギュア)を作るとき、それをミミクリーやマイムのように目にみえるフォームを模倣しているのではないのです。彼はそのオブジェに「なる」、つまり物語りに「なる」のです。もはやダンサーも語り手でもありません。我々のディスタンスは肉体の距離をとった直接性と、スペクタクルのおわりにいたるまでの現前(プレザンス)によって、予め語られた物語をずらし続けるのです。そこでは、物語は粉末化します。廃墟の中のガレキしか残らないのです。どの断片も回収不可能なのです。物語はそのもとの、説明できない、沈黙のフィギュールに帰っていきます。我々は脱・創造(デ・クリエイト)するのです。リトルネロ!ダカーポ!

11
細川──ヨーロッパ人の眼にとって舞踏の「誘惑」とは何でしょう

室伏──まず、エクゾチズム。舞踏がはやりのオリエンタリズムの新しい※と取られることを特に気にはしていません。それは自然ですし、理由あることです。「メイドインジャパンの」しるしがついているのですから。でも少しずつ、人々はそのちがいに気がつくでしょう。オリエンタルファンの人の中には舞踏を拒む人も現れるでしょう。・・・舞踏は決して彼らと同化しないからです。それは彼らを拒むでしょう。肉体的直接性のおかげで、ちがい、距離はなくなるどころか、ますます大きくなっていくのです。我々はダンスを「作る」のではなく、ダンスに「なる」のです。舞踏以外のダンスでは──少なくとも近代社会においては──ダンスとアクトは分離しています。ダンスは何か物質なるものを表現し※ますると考えられているからです。その分離は、我々のアルキタイプの情緒(エモーション)の中の「ダンスになる」という本質的な欲動をさしおいて、「ドラマツルギー」「振付」「演出」というような表現の技術の機能的分業を促しました。エモーション・モーション!多くの演劇が変身の技術をもってます。ヨーロッパ演劇のマイムはその顕著な例です。シャーマンの憑依やトランスの技術、祝祭やカーニバルの大衆演芸技術が、カブキや能や文楽に残っていることは、何とはっきりしたことでしょう。それはまた遠心的なもの、法外なものの制度化、属領化、封じこめの例でもあります。彼らは職業的にダンスを「作る(メイク)(する)」。一方我々は人間としてダンスに「なる」のです。我々はダンスをダンスすると同時に、逆に、ダンスが我々を踊るのです。それで我々の(その?)ダンスは無軌道で、無鉄砲で、エキセントリックで、恐怖的で、ゾッとし、暴力的で、誘惑的なのです。なぜなら誘惑は、舞踏と同じく遊びにみちた※可能です。おわり(目標)なき、舞踏は、誘惑と同じく、最も遠くのもの、最もへだたったものに死の※※をかけてなろうとする欲望(souloir)なのです。舞踏はたちどまらざるをえないところから、あらゆるダンスが不可能と宣言されたところから始まるのです。舞踏ダンサー(は)炎のもえさかるゆりかご(で)、窒息しそうな子守唄を聞くのです。

translation
Vinci Ting
April 1983 Paris
室伏鴻