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Info

日時
1981/01/01
活動内容
企画制作
開催国
日本
ディレクター
室伏鴻

Description

たった一つの公演のために、独自の筆致で挨拶状の様々な異稿を、複数の印刷物を作るのが室伏の常。企画・制作についても同じ。その後の「散種」「室伏鴻〈劇場〉」なども含めて、たとえ内実は変わらずとも、名づけ直すことによって新たな回路を開いていくという戦略は、室伏の終始好むところのものだった。arcもその一例。1979年、神宮前のギャラリー・ワタリ(現・ワタリウム美術館)で催された画家・中西夏之の個展「arc 弓形が触れて」に由来し──中西と親しくしていたので、個展以前に構想を聞き、完成作を見ていた可能性が高い──その後の弓をモチーフとした作品群の出発点にあたっていた。土方巽とも関わりの深い中西と室伏の出会いは古く、早稲田大学在学中、仲間たちと

その頃流行っていたメールアートに倣い、皆一つオブジェや作品を袋の中に入れて郵送するという企画を考えて、それを口実にいろんな変な人に会いに行ったんですよ。ポルノ作家の清水正二郎さん(註:胡桃沢耕史のペンネームでも有名)やジャズ評論家の植草甚一さんに、何か入れてくださいと、会いに行った。私は、旗屋で欠けた日の丸(日蝕旗)を作った。それを詰めて、三島(由紀夫)に送ったのを覚えている。でも皆、三島さんは死ぬねって、変な予感があった。だから市ヶ谷に入ったことには驚いたけど、あ、やったかという感じだった。あとで『肉体の叛乱』の美術をやった中西夏之さんの個展に欠けた日の丸を届けたの。そしたら、中西さんに、そういう品のないことはやらない方がいいんじゃないですか、と言われた(笑)。反万博と思われたんだろうね。後日聞いたら、そういうことをしているよりも、土方さんの稽古場に行ったらどうか、と私に言ったと。

室伏・談


実は、中西の仕事への共鳴は土方体験以前に遡る。ハイレッド・センター。中西、高松次郎、赤瀬川原平(中西ととも土方の『バラ色ダンス』の美術を担当)の3人を中心としたグループで、それぞれの頭の一文字「高(ハイ)」「赤(レッド)」「中(センター)」から命名、優雅にして過激なイヴェントを繰り広げていた。室伏は彼らのアクションを「大変刺激的な実験」と高く評価していた。
(Y.O)

1981年元旦ををもって 背火とアリアドーネの会のプロデュース母体名を海王企画からLotus Cabaret arc(Tokyo-arc/舞踏伽藍北流峡)に変更。

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