大須賀 勇
2015年6月18日に「メキシコに死す」という室伏鴻の悲報を聞き、私は自分が白虎社と共にメキシコ公演した時の事を思い出す。メキシコ市の国立民族博物館の中庭に野外舞台をつくり踊ったが、メキシコは高地で空気がうすいので肉体が激しく消耗し、倒れ込むように楽屋に駆け込み酸素ボンベから空気を吸いやっと生き返った記憶が蘇る。室伏鴻の目指した「境界線で踊る」にとって、そんな地上より少し天に近い所であり、また地上でもあるという両義的な場所、「メキシコに死す」とは、どんな因縁の物語を孕んでるのか。
土方巽からゲバラと呼ばれた男は
キューバ革命の立役者チェ・ゲバラと
同じ南米の地で散華する
「革命を目指すか 成功を目指すか」
宙に浮いた神経の秤の上で
この男は何をアジるのか
日本で出産した舞踏 “散種”と銘打ち
世界中に舞踏の種をまく男
舞台だけが踊るところではない
踊るところは到るところにある
と世間に踊り込んだあなたは
旅という舞台で
命のサイコロを振り落とす
「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」
芭蕉
トルストイが夢みた“生き倒れて死ぬ”を地で行くような信じられない室伏鴻の死から暫くして、私の中からこのうたが滴り落ちる。もうひとつのうたは、絶唱というべき芭蕉の最後のうたである。この二つのうたが、私の中で堂堂巡りのようにとぐろを巻く。旅の途中に病に倒れて詠んだ芭蕉のうたは、人生の旅を終えて何も思い残す事は無いという救いの境地はなく、夢の中まで楽園とは無縁な殺伐とした荒野が追い掛けてくるという残酷な哀切感がある。仏教的解説と相反する泥にまみれた文学的世界という矛盾を、旅という行為によって縄をなうように一つに編み込もうとした芭蕉の生き方は、室伏鴻の生き方に通じるものがある。
土方巽の「肉体の叛乱」公演に衝撃を受け、踊りの世界に入り不浄なる肉体を扱う芸能者となる室伏鴻。舞台芸術をやる為の資本源として、北は網走、南は沖縄まで、日本列島地獄巡りのキャバレー巡業を行う。セクシーショー、金粉ショー、銀粉ショーの裸商売の旅。自らが“散種”と名付けた、世界に舞踏の種をまく芸術旅。若き頃、即身仏としてのミイラに魅了され、日本の宗教の原点たる修験道の世界で修業をした事がある。室伏鴻の終生のテーマは、「芸能と芸術を串刺しする肉体とは何か」、「肉体が孕む聖と俗をいかにせん」ではないか。そしてその問いに答えようとしたのが、世界的に持って行った室伏鴻十八番の「ミイラの踊り」では。肉体から離れるのではなく、肉体の極限まで行き、生きた肉体のまゝ仏になるという綱渡りの踊りだ。生きた俗なる肉体のまゝ、旅する行為によって仏に成ろうとあがく室伏鴻の姿は、芭蕉の旅する姿にも重なる。
室伏鴻は旅の人でもあったが、同時に挑戦者でもあった。そのことを思うと、私は「ドクトル・ジバゴ」という1965年の映画を思い出す。ロシア革命の混乱に翻弄される人々を描いたこの大河小説は、原作者がノーベル文学賞を辞退したボリス・パステレナークで、監督が「アラビアのロレンス」「戦場にかける橋」でアカデミー賞を取ったイギリス人のデビッド・リーン、主演がオマ・シャリフである。私の人生を変えたこの映画から受け取ったメッセージは「人間には二つの対極のタイプがある。今までの価値観をひっくり返し新しいものをつくる革命家を目指す人と、今ある現実を受け入れ一歩一歩階段を上っていく成功者を目指す人の二つだ」というもの。室伏鴻は大駱駝艦(麿赤兒を中心にビショップ山田、室伏鴻、天児牛大、大須賀勇、田村哲朗達が創立メンバーとして参画した舞踏集団)時代に、舞踏文化史「激しい季節」という新聞を編集発行し、第一線で活躍している様々なジャンルの文化人を巻き込み、舞踏ジャーナリズムという新しいメディアをつくり、世の中に発信する。石原慎太郎の選挙戦を取材したこともある。言葉のキャッチボールをしながら「乱世大予兆皇極舞踏戦」と一面の見出しを決めたりして、舞踏の枠を超えていかに世間に踊り込むかをいつも徹夜で議論した。
大駱駝艦の「蘭鋳神戯」公演で、室伏鴻と私はデュエットを踊る。私がスペインの画家ゴヤの版画のグロテスクなモノクロの世界を踊らないかと提案したら、彼は「錆びないペニスがいい」と応じ、黒塗りと茶塗りの裸体にナイフで作った金属のペニスを股間にはめ、お互いに体中傷だらけになりながら黒白の四十八手ショーと見まがうような汗と官能のスーパーダンスを踊る。それを見ていた麿赤兒は、「金色に光る真鍮板のベッドの上に、天から光が降っている。その金属のベッドの上でからみ合う黒塗りと茶塗りの二匹の生きもの、それは喧嘩してもどんなことがあっても、天使のように悪魔のように永遠に笑い合ってる」という壮大な演出のイメージを私たちに投げかけてきた。今まで見た事もない舞踏か何かワケのわからない不思議な世紀の見世物ショーのこの場面は、あの魑魅魍魎が跋扈するする革命運動のメッカたる京大西部講堂の観客の胸の奥にある火に火をつけ地団駄踏む喝采を産み出す伝説の踊りとなる。室伏鴻の「錆びないペニス」は、今迄の踊りの概念を拡張した革命的ダンスの発火点として存在する。
その後も、その当時珍しかった女性だけの舞踏集団「アドリアーネの會」をプロデュース。「ロシアバレー団」をプロデュースし、ニジンスキーと共に賛否両論の伝説の舞台「牧神の午後」「春の祭典」をパリに仕掛けたディアギレフのように、室伏鴻も1976年「最後の楽園」公演でパリに戦いを挑み、日本初のオリジナルダンスたる舞踏が、世界の「BUTOH」として認められる起爆剤となる。それまで西洋中心だったダンスの美意識をひっくり返し、日本発の舞踏という革命的ダンスの美意識を世界に発信する。これは、西洋中心だったダンスの流れを変える歴史的大転換と云えよう。
「舞台だけが踊るところではない。踊るところは到るところにある。生きているあらゆるところが劇場となる」と、ある時、私に囁いてくれた土方巽のように、室伏鴻は、踊りのワクを越えた、現代思想のレクチャー&トークあり、音楽のコンサートあり、国際的メンバーによるパフォーマンス&サウンドのセッションありの「〈外〉の千夜一夜」と題する、今までにない新しい仕掛けとして大がかりな企画イベントを行う。終了後、私が室伏鴻に「これは“激しい季節”新聞の劇場版ですね」と云うと、一瞬、恥ずかしそうに微笑み「そうか、そりゃあいいじゃないか」「踊りの外に出て、また踊りの内に帰還する。行ったり来たりの間に、突然、劇場が産まれるんだ」「劇場はすでにあるものでなく、一瞬の雷によって産み落とされるもの」「その私生児の劇場から踊りは始まる」と答えた。
室伏鴻は何を目指して踊っていたのか。彼が腰を痛めて踊りで金を稼ぐ事が出来なくてタクシードライバーの仕事をしているという話を聞いたとき、ひとつの音楽が聞こえてきた。ロバート・デ・ニーロの出世作「タクシードライバー」(マーチン・スコセッシ監督)のテーマ音楽、バーナード・ハーマン作曲の「私はまだ眠ることができない」だ。ニューヨークの街をいろんな人種の客をのせて流していくベトナム戦争帰りの運転手役のデ・ニーロのうらぶれた破れかぶれの背中、それは、世界中のいろんな人種の客の前で踊る室伏鴻の“勝手にしやがれ”とつぶやく猫背な背中に重なる。その二人の背中には「タクシードライバー」のテーマ音楽のむせび泣くようなサックスの音色が似合う。
室伏鴻の旅は、メキシコで終わってしまったのか。だが私の耳には「私はまだ眠ることができない」とささやく室伏鴻の歌が聞こえる。公演の打ち上げで、勝新太郎の「座頭市のうた」をうたっていた時のような低い声があたりを震わす。今ある価値観をひっくり返す革命を目指し、世間に踊りこんでいく室伏鴻の旅は、そこで行き止まりなのが。それとも誰かが引き継ぎ、どんな形で噴火するのか。