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1993
6月20日から11月21日までの日記。「Ai Amour」の公演で移動しながら。「爽快な死 それは 同時に 青空のように澄み切った透明な生だ。いかなる共同的な意味の拘束をも 脱ぎ捨てて それは 無垢な 無意味な〈時〉なのだ。不可能なもの の 体験」(6月28日より抜粋)。長谷川六氏が「Ai Amour」のパリTheatre de la Bastilleでの公演を観に来る。公演後六さんのインタビューを受けた時のことなど。「そうしてなにかしら 接続的にプロモーションされたものの量が質にとりちがえられるのである。量から質へ という弁証法から縁の固有の質として 磨かれているものがあるのだと知れ。〈外〉を生きるとはそのことなのだが。」(7月8日より抜粋)。「ドラマトゥルギーがどうのこうのと そんなもの打ち砕くためのやっているのだ という事の 究極が 判ってはいまい。決まって’ドラマトゥルギー’など持ち出すやつに よい創造力を見たためしは無いのだ。(ドラマトゥルギーを云々するなら それこそ もっとよい Creation の Conditionを準備しろと言いたい)」(7月9日の日記 草薙うららに振り付けた「白・プレザンス」に関する記述より抜粋)。「ダンスとは 僕がダンスをはじめる前に考えていたダンスとは そういう’切り離たれた共同生’の実現であった。なぜか。幼年時、少年時を通じて その切断された連帯の感情は培われただろう。女たちは女たちの王国を生きていて それにとどくことはないのだ。」(7月21日より抜粋)。「’身体の孤児性’を判りやすく立論してゆくことで 僕の考える Butoh論はあらかた成就するのであろうということ。そして今、それらの全てが白々しく FrankfurtのKo Murobushiに関する紹介記事を読みながら 実にKo Murobushiというものの同一性に迫られている どこにいるのか判然としない自分を見出すのだ」(11月1日 Epjemereのリハーサルを終えての日記より抜粋)。