1 Pages
1996
1月18日から2月26日までの日記。『室伏鴻集成』に「疱瘡譚のフィルムは・・・」収蔵。さまざまなテキスト、さまざまな思考をワークショップや公演の間に書き記す。1月24日の日記より以下抜粋。「1.極端から極端へ 死・生の領域化がなされ、病い、闇を脱落させる。しかし、子供や悪人の肉体に何を学ぶか。〈自然〉というものの過剰をだ。病いは侵犯的である。肉体それ自体のようだ。〈もの自体〉のようだ。まだ飼いならされる以前の 〈もの自体〉とは何か、神とか、運命とか名づけてきた人間操作不可能な力=暴力のこと、〈自然〉の意志力というものではないか。EXÉS 過剰なもの、と、その制御。善と悪、美と醜、というカテゴリー分別によって〈人間〉の道徳律、規範のように合意されてきた歴史。ならば、その歴史によって匿され、排除され、抑圧されたものたち。多分新しい哲学は、ポスト構造主義のそれは、その過剰な力、自然、意志が、いかに折りたたまれ、構造化され、抑圧されるかを新たに読みとき、救出する困難なのであろう。2.どこにでもある戦争、パラドクス。形と形から外れるものの攻めぎ合い。形への愛。感傷とは、〈かなわぬもの〉への、不可能性への感傷である。 死・もの自体の露呈には、はかない、残酷で滑稽な過剰が露出して 乾いた涙と 引きつった哄笑を誘う。Non-Sense!! 無イミの到来だ」