日記

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年度

1998

内容

7月9日から12月31日までの日記。「春の祭典」の稽古でボルドーに滞在していた時のことなどが記述されている。「イケダとのコラボレーションとは何か──をpositioningしてしまえば済むことではないのか?!と。「フェミニン」女性性という話もした。彼女の「waiting」から私は何の触発も受け取らず、よくイミがとれない。「象徴が好き」と言ったが、サンボリズムを無効化すること イコノクラスムが語るのだからそのところを聞いてみたい。森下だって「イコンとしての身体」などと言っている始末だ。 イコン? コン? いや「牝火山」が最も春の祭典であった。「空の青」が。そして麿の作品としての「刺青」が。それをカルロッタが自力でやれる台本を書くことで 僕の役割は終わりで良いのではないか。」(7月10日 ボルドー)。「B.Aへのproposition  2.私のこえ あなたの曲のもっともSilence / noiseに近い曲をください。 1. I don't like Japanese Tradition also Instruments. バンボレオのfeelingです。 3.ケモノ・ホログラム──? 4.フェリシアーノ・Rain・Pegoo  センチメンタルに ──踊った後に聞こえてくるのはいつも失恋の歌です。 踊っている間は なにも聞こえません。私は 音の中に 溶けているのです。私はsilence / Noiseに成るのです。(歌 すべて それは 事後なのです)」(7月23日)。「「人は書くことで忘れる」から書くべきではない エクリチュールがあるというのだが 書き止めなければ忘却へ至れない「悪」がある。「人は書くことでpurifyする」がその事が「郵便的」であり 逸脱不可能であり 偶然性による 偶発性の許容 閉域の 突破・点 への「道」を切り拓く。ところで 書こうとした初発の動機に 書く事で 消しゴムで消去させるように 砂漠で書かれたエクリチュールのように消えてゆく(後略)」(12月17日)。