日記

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年度

2015

内容

2月11日から6月12日までの日記。「(前略)昼食休憩 1:30から ニジンスキーと狂気について。 狂気と正気の間で 狂気スレスレのボーダーで いかに 踊りが成立するか させるか。真夜中の時間。タイトル:真夜中のニジンスキー Nijinski a la minuit  〈真夜中〉とは何か。眠りと覚醒のキレ目。継ぎ目。接点。狂気と正気の結び目。Joints  / が外れると  /  〈裂け目〉」(2月27日)。「昨日Tがレストランで聞いたのだったか?「どこが世界中で好きな町か?」つい先日 メキシコシティからサンパウロへ飛ぶときに 偶然のハチ合わせで会った渡辺さんの友達のSさんも突然同じ質問をするので、私はなぜか 失礼な人、失礼な質問じゃないかと 嫌になったばかりだった。でTの質問にも 上手く答えられないのであった。絶対に この国 この都市 この村が いちばん好き と 言えるほどに交流してしまう偶然もあるだろう。付き合えば 付き合うほどに 複雑な出会いと感情が 重なり合うこともあるだろう。何だか どんなに”素晴らしい女”に出会いましたか?と訊かれているみたいだ。いや さらに その上で どの女がいちばんでしたか?と訊かれているみたいなのだ。つまり どの女と寝たのが一番良かったですか?と訊かれているような ダイレクトな質問のように思われるのはなぜなのか?それは、2、3日の逗留であっても 自分の肉体がかけられていたからだ。疲労した 旅する肉体が その村に その都市に 相まみえ 一晩 二晩 の 休らかな眠りを 眠ったからだ。旅のわらじを脱ぐ とは 裸になって無謀見に身を預けることだ。たとえ湯舟のないシャワーであっても・・・(中略)ヒトは同時に三つも四つものちがう事 異なる問いについて考える・・・が カラダは一個 脳も一つ そうだろうか。同時にいつでも 頭で考え 爪先で地面に触れ、太股や脇の下で汗をかき 別の 幾つもの ディメンションを生きている 複数の私ではないか。(後略)」(6月2日)