Ko Murobushi Exhibition

Faux Pas/踏み外し

ウィーン、東京│2024 » 2026
2024.8.8–10
ワークショップ

Faux Pas/踏み外し

エマニュエル・ユイン

生徒の感想
ワークショップのテーマは「落ちる」ことだった。それは室伏鴻が繰り返し踊り続けたことでもあった。室伏鴻の言葉とともに、エマニュエルのターニングポイントとなった品“Múa”1995の契機になった体験、そして「落ちる」部分の振付が共有された。参加者は「自分にとって『落ちる』とは何かを考えてくる」という宿題を出され、最終日には自分自身の「落ちる」を踊った。激しく何度もあらゆる方向に倒れることを繰り返すダンス、「手錠をかけられたように」人生に引き摺られるダンス。階段から飛ぶように落ちた経験を踊ったものは、片脚でぴたりと静止していた。ほかの参加者の踊りに触発され、音楽に乗って踊る人もいた。一度だけ沈むように「落ちた」状態を持続する踊り、自らの痛みに向き合い、片足を抱えて立つダンスがあった。床から立ち上がれないという状態を踊る姿もあった。私は重力と上へ向かう力が身体にもたらすものに向き合うことにした。「落ちる」とは何なのか、参加者の間で話し合ったり、自分が踊ったことを、ダンサーが自らの言葉で語る時間をエマニュエルが重視していたことも印象深かった。
Marie Sakamoto


エマニュエル・ユインは、踊り続ける中で彼女が出会い、血肉化してきた様々な身体技法やワークの中から、Faux pasをめぐるエッセンスをわたしたち受講者へ手渡してくれた。 アイアンガー・ヨガから、床に預けた身体の重みと動きのベクトルのシンプルな動きのコンビネーション。 コンタクトの名ダンサーリサ・ネルソンから、頭の重みと、それをサポートする手の間に起こる安定と不安定を行き来するコレオグラフィー(「ひとりコンタクト」と名付けたくなる!)。 そして、エマニュエルが人生のどん底にあった時期に作った「Múa」の踊りからの振りうつし。 落ちる、再起する、そのあいだの宙吊りをWSの三日間を通して探求した。 そういえば、地震の緊急アラームが鳴り出し、一時ワークを中断することがあった。安全領域から突如として異世界に放り出される状態─Faux pasは常にいつも私たちの傍らにあるのかもしれない。 それは心身をざわつかせもするけれども、他方で「この世に生まれ落ちる」という表現もあるように、わたしたちの未知への突破口としての可能性も秘めている。 感覚や思考が波のように広がる豊かなWSだった。
古川友紀


Fragments
2006 Ko Murobushi WS memo at CNDC Angers

ミイラの 贈与
宝庫である。不意打ちの 未来の本能の宝庫である。
現在ならば、現在がすでに(不意の)事故=事件なのである。
誰れもが この一日の為に 転倒するであろう。
誰もが自らの皮膚を焼くであろう。裂くのであろう。
人生全てはいかに転ぶかなのであろう。
転ろんだら 次は起こすほかないのだから──起こしたものは 必ず転んだ歴史を持っている。
Bonne Voyage

Infomation

「人生とは、いかにして転び、そして再び立ち上がるかである」。2006年、室伏鴻をアンジェ国立現代舞踊 センターのティーチングに招聘した折、彼がノートに書きつけたメモの一部です。このワークショップでは、人生における転びと立ち上がりに関する私の作品“Múa”1995、“Augures”2012、“Nuée” 2021の抜粋を皆さんと共有しつつ、存在における自分自身の〈転び〉と〈立ち上がり〉を探求し、それぞれが即興・構成を通じて、また、私の語彙を自分の語彙と組み合わせて、〈転びと立ち上がりのダンス〉を発明します。 皆さんとお目にかかれますのを楽しみにしています。
エマニュエル・ユイン

講師
エマニュエル・ユイン
日時
8月8日(木)・9日(金)18:30〜21:30、
10日(土)15:00〜19:00

Profile

Photo: Marc Domage

エマニュエル・ユインEmmanuelle Huynh

ダンサー、振付家、教師。造形作家や音楽家など異分野のアーティストとの共同作業を精力的に行う等、批評的まなざしでダンスの再構築を進める彼女は、ドミニク・バグエ、トリシャ・ブラウンなど多くの振付家の元で踊り、エルヴェ・ロブ、オディール・デュボック等とも共同作業を行ってきた。2004年~2012年アンジェ国立振付センター芸術監督、2018年~2021年フランス国営劇場ニームのアソシエイトアーティスト、2016年9月よりパリ国立高等美術学校にて指導を行う。