Ko Murobushi Exhibition

Faux Pas/踏み外し

ウィーン、東京│2024 » 2026
2024.9.21–22
ワークショップ

記録としてのフォトグラフ

成田秀彦

生徒の感想

2024年9月21日(土)・22日(日)の2日間、東京都三鷹市の私塾成田光房にて、ワークショップ「記録としてのフォトグラフ」が開催された。講師の成田秀彦氏は、1960年代に東京写真専門学校で学んだあと、細江英公氏の弟子となり、1970年代に独立した。60年近く、感光材料をもちいたアナログの作業をつづけている。美学校やアスベスト館で教えた経歴をもち、現在はphotograph塾を開講している。
一日目、成田氏は、現在、日本語で「写真」と呼ばれるものが、どのように歴史的に発展してきたのか、カメラ・オブスクラや、感光剤の発見に遡って説明した。日本語だと「真実を写す」と書いて「写真」であり大仰に聞こえるが、「フォトグラフ(photograph)」のphotoは光、graphは形成であり、光によって描かれた記録を意味する。したがって、光が描くというこの基本的な原理が大切だという。成田氏は、手元にある昔の肖像写真の実例をしめしながら、19世紀にダゲレオタイプ(銀版写真)が発明され、さらにガラス板に感光剤を塗る撮影技術が生まれ、そしてフィルムが誕生した経緯をわかっていて初めて、今日普及している写真を理解し、技術を用いることができると説いた。
その後、参加者は暗室に入り、感光材料の仕組み、化学の仕組みについて学んだ後、実際に、印画紙の上に様々な物を置き、光の違いを具現した。成田氏が繰り返し口にしていたのは、一つ一つの所作を丁寧に行う大切さと、これはデッサンであり、変わることのないお稽古であり、けっして自己表現ではないということだった。どのようなフォルムが出せたとか、よいとか悪いではなく、仕組みを理解し、グレースケールの出方を他人と共に学ぶことが糧になるということだった。
二日目は、参加者それぞれが、自宅から、印画紙の上に置く物を持参し、3通りの違いを試した。暗闇のなかでなるべく手で印画紙の表面に触れないように物を置き、光を当て、秒針を耳で聞いて時間を計測し、液に浸すプロセスを、それぞれが繰り返した。物を置いてもほとんど黒になったり、その黒も完全な黒ではなかったり、グレースケールの微細な違いや、物と物が重なったときの白の出方を目の当たりにした。このとき、同様の暗室での手作業を経るとはいえ、いわゆる「フォトグラム(photogram)」とは異なるということが説明されたのが印象的だった。
一日目とおなじく水洗後、自然乾燥をし、ドライマウント機でフラッティングし、ドライマウントした。すべての工程が終わったのは、すっかり日が暮れた頃であった。
作業のあいまの待ち時間に、成田氏が、1960年代、1970年代に撮影・現像したものを見せてくれた。グレースケールの差がしっかりとあざやかに残っていることに驚いた。今回、ワークショップで体験した印画紙による現像は、色褪せることがないという。室伏鴻アーカイブにも、同様に現像された半世紀前の舞台写真が残されているが、写真というか、アナログのフォトグラフが記録に優れ、アーカイヴ=保存にきわめて適している事実を体験する貴重な機会になった。
 わたしはふだん、今回の一連の企画のタイトル「踏み外し(Faux Pas)」と同題の評論集を残したモーリス・ブランショを中心とするフランス思想を研究している。フランス語の原典購読が中心であり、もちろん紙の書物を扱い、いまも手書きでメモの作成等は行うが、執筆であれ翻訳であれ、デジタル機器の恩恵を大いに受け、電子書籍も少なくなく利用している。そのため、成田氏が何度も口にしていたアナログが、はたして自分の分野ではどうなっているのか、アナログの言葉とはどのようなものか、書くとはいかなるものか、揺さぶられた。また、初めて写真の現像を実際に行い、目が慣れる余地もないくらい光が遮断された暗室に他の参加者とともに入り、暗闇では距離感が失われることを体感した。至近距離なのに、相手が見えない。ただ、声が聞こえる。ブランショは『終わりなき対話』に収録された「話すことは見ることではない」( « Parler, ce n’est pas voir », 初出1960)において、視覚(la vue)と言葉(la parole)を区別している。光と関係し、距離によって直接的に事物を捉える視覚に対して、光とは関係せず、なにかの覆いをとって真実を明らかにするのではない言葉の特性を、ブランショは、迂回、彷徨、リズム、夢、魅惑といったキーワードから解きほぐしていた。匿名者たちの対話という形で書かれたこのテクストの最後には、「無為(désœuvrement)」を「作品の不在(l’absence d’œuvre)」と言い換えた上で、つぎのようなやり取りがあらわれる。「――狂気の別の名である作品の不在。/――作品の不在においては、言葉の外部で、言語作用の外部で、外(dehors)の魅惑のもとに書く運動がやってくるために、ディスクールは止まる」(Maurice Blanchot, L’Entretien infini, Gallimard, 1969, p. 45)。ブランショにとって、踏み外しの一歩は〈外〉と関連しているが、神話的な遥かな時間を想起させるこの匿名的かつ非人称的な言葉の動きが、このように光の問題系とともに示されていた事実を、改めて考えたくなった。
髙山花子

Infomation

このワークショップでは、フォトグラフ(photograph)の基本原理をはじめ、材料・道具の使い方、ものづくりや表現の考え方など、基本的な「写真」についての考え方、そして「記録としての写真」について、作業を通して皆さんと一緒に考えていきます。今後、写真を撮る、あるいは鑑賞する時の、新たなガイドになればと思います。

講師
成田秀彦
日時
9月21日(土)22日(日)13:00〜17:00
会場
私塾 成田光房
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Profile

成田秀彦Hidehiko Narita

東京写真専門学校卒業。四谷スタジオを経て、細江英公氏に師事。
1973年、独立。制作活動を始める。同年、個展「地球は廻る」銀座ニコンサロンを開催し、高い評価を得る。1974年、東京写真専門学校に「成田ゼミ/現代写真講座」を開講。1976年、美学校に「成田秀彦写真工房」を開設(~2000年)。1991年、アスベスト館CORPUS講師、創形美術学校「ファインアート科、ビジュアルデザイン科」/写真実習開講(~2003年)などの活動を経て、2000年、成田光房を開設。作品制作と共に光房塾生の指導にあたる。現在は武蔵野美術大学、版画研究室、福岡教育大学などで、美術教育講座 photograph実習を開講。