アンチダンスとしての春の祭典:
ニジンスキーから室伏へ
今回、「アンチダンスは終わらない」がテーマで、その中でのキーワードが「踏み外し」と聞き、この二つのキーワードを聞いて思い出したことがある。今日はその個人的な思い出から始めてみたい。
2011年のアヴィニョン演劇祭のことだ。毎年夏に開催されるこの演劇祭には毎回異なるアーティストがアソシエイトアーティストに任命され、そのアーティストの独自色がフェスティヴァルのプログラムに反映される。2011年のアヴィニョンのアソシエイト・アーティストはボリス・シャルマッツだった。室伏鴻との協業者としても知られるシャルマッツは、「ノン・ダンス」というフランスのコンテンポラリーダンスの一つの潮流を担う振付家であり、当時としてもこの新しい傾向を担う振付家がアヴィニョンの顔になったことに関して話題になっていた。この年、シャルマッツの新作『Enfant』を含めた複数の作品に加え、同じくノン・ダンスと呼ばれたグザヴィエ・ル・ロワが作品を発表し、ジェローム・ベルが次にアヴィニョンで発表するための新作のリサーチを行っていたことが記憶に残っている。彼らは流麗な軌跡を描くダンスや律動的なダンスを踊るわけではない。一種の癖のような身振りを見せたり、身体そのものを問題化する。ダンスという慣習的なコードを逸脱する彼らのダンス作品は、「ダンス」に対するアンチと捉えられる面があり、その意味では、ノン・ダンスは「アンチ・ダンス」の一種と言うことができる。また、ダンスという概念の外に踏み出す結果としてその作品は従来の「作品」という時間的・概念的枠組みからはみ出す人間の心身の過剰な部分や、日常の時間軸の中で展開する人間の生および死に触れるが故に、フレデリック・プイヨードのような論者からは「désoeuvrement chorégraphique」(ダンスの脱作品化、無為のダンス)と呼ばれることもある。彼らは、ダンスの定石とされてきたパを踏まない。むしろダンスを踏み外すことで、身体の別の次元を露出する。
アヴィニョンで借りたアパルトマンの一室で、「今年はノンダンス・イヤーだ」と思いながら、演劇祭のプログラムを見ていたことを思い出す。そして、もう一つ思い出すのは、その時、自分のノートPCから流れていた一つの歌である。ボーカロイドという人間の声ではない人工音声が「世界の終わりに世界の隅でダンスを踊る」という内容を歌い上げていた。その歌詞の世界の中で、その歌の主体はダンスを踊ろうとしては散々躓いてきたらしい。それは単純にダンスが下手ということを意味しない。「つまらない動きを繰り返す意味を、音に合わせて足を踏む理由を探しても見つからない」と謳っているからだ。これはまさに文字通りの意味で「faux pas」躓き、よろめきに関する歌である。
他愛のないようでいて、しかし安易に聞き流せない歌詞である。「ノン・ダンス」を研究していた自分にとって、この歌詞は、コンテンポラリーダンスの先端でダンスの規範を踏み外し、単純な意味では踊らないことを選択したノンダンスのアーティストたちの思想を代弁しているように聞こえてきた。
今、このタイミングでアンチダンスは終わらないという言葉を聞いてまざまざと思い出されたのは、2011年に聞いたこの奇妙なエコーである。その後、私は室伏鴻と出会い、やがて「踏み外し」を一つのモチーフとしていたことを知る。この時、アヴィニョンで聞いたボーカロイドが歌い上げていた歌詞は、現代のダンスの核心に触れているのではないかという思いは、確信に変わった。
もはや「人間」ではないものが、躓きの、踏み外しのダンスを踊る。これはまさに室伏鴻の実践である。そのヴィジョンを強烈に伝えてくれるのは、たとえばバジル・ドガニスが室伏をとらえた映画である。どこともしれない荒野で立ち上がる炎を背景に踊る室伏は、私が室伏に抱いてきたイメージを見事に象徴化している。
私は室伏が「踏み外し」という言葉を使用する時に、モーリス・ブランショの概念を参照していることを知っているが、ブランショが高度に概念化した「faux pas」の細かな内容について知っているわけではない。ここは他の専門家に任せて、私はダンスの歴史と室伏の残した作品から「faux pas」について考えてみたい。自分にはそれしかできない。しかし、ダンスというものの本質は、実際の具体的な例の中にしか現れないのだとすれば、あながち間違った方法でもないように思う。もう少し文字通りの意味での「faux pas」について考えてみたい。
振り返ればダンスの歴史は正しい、常道のパを確立する歴史と、そのパを踏み外す歴史だったのかもしれない。そもそも「コレオグラフィ」という用語・概念も正しいパを収集・分類するという側面を多分に持っていた。ルイ14世時代に設立された王立舞踊アカデミーへの依頼を発端に確立した「コレオグラフィ」という概念は、タクソノミー、つまり分類という近代的な欲望を大いに反映している。ダンスのヨーロッパ的な美的基準の確立、はアカデミーの件にの元に、ダンスのステップは正典化されていった。『コレオグラフィ』の著者ラウール・オジェ・フイエは数え切れないほどの「パ」を分類、記述している。「パ・ドロワ」「パ・ウヴェール」「パ・ロン」、「パ・フォルティレ」「パ・プリエ」「パ・エルヴェ」「パ・バテュ」などなど、ダンス、というよりバレエと言ったほうが良いだろうが、バレエというものが複雑高度に体系化されていったプロセスをフイエの本は教えてくれる。それと同時に、人間の多様な身体はそもそも、このように記号に収まるものなのだろうかとも思わされる。正しいとされるパを踏み外した時、正しいとされるパとパの間の余白を踏み抜く時にこそ、実は人間らしさが露わになるのではないか。
近代以降の踏み外しのダンスの系譜を考えてみると、まずニジンスキーが思い浮かぶ。1913年の『春の祭典』について考えてみたい。よく知られるように、ニジンスキーはこの作品でダンサーに敢えて「誤りのパ」を踏ませた。クラシック、アカデミックのダンスの規範からすると常道から外れたパを踏まされることに春の祭典に参加したダンサーは強烈な違和感と不快感を感じていたらしい。『春の祭典』は舞台に上がるまでに100回を超えるリハーサルを必要としたと言われる。印象に残る「faux pas」は2回。一つめは生贄の乙女が選ばれる瞬間。若い女性たちが円陣を形成し、その中で興じられるゲームの最中、1人の女性が躓き、転ぶ。二つ目は、歴史上よく知られる選ばれた生贄の乙女が行う「内股のポジション」である。
アカデミーの規則にはないこのポジションをみたとき、この場面に美を感じないどころか、不快感や不安を感じた観客がそれなりに多く存在したことは想像に難くない。史実が示す通り、『春の祭典』は評価も非難も多くなされた作品である。いや、評価できた人の方が少ないのではないいだろうか。モードリス・エクスタインズが言うようにこの作品をその後に続く第一次世界大戦とヨーロッパのベルエポックの崩壊の前触れと捉えるならば、不安や不快という感情が革新性を評価しようとする動きを凌駕することは自然である。
春の祭典の「faux pas」はそれを実行する人物の死と直結している。『春の祭典』がその後、初演時のエキゾティシズムの表層を剥ぎ取りながら、多くの振付家やダンサーによって再解釈され続けているのは、ダンス作品に表立っては現れてこなかった人間の隠れた次元、「死にゆく」存在であるということを露出しているからであろう。死にゆく者の恐れや不安、集団の中のその異質性を表象する上で、コード化された常道の、安定的なパが役立つはずもない。ニジンスキーの「faux pas」の選択は、その上で最適だったのだろう。
その後、ニジンスキーが精神を病んだことはよく知られている。ニジンスキーの存在が日本で広く知られるようになった最初のきっかけはコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』だと言われるが、そこで問題とされるのは振付やダンスの踏み外しではなく、精神的な踏み外しである。そして正常とされる世界の外側に踏み外すが故に、人間の社会の本質を距離をとって見抜く視線を提供する「アウトサイダー=外に立つ者」としてニジンスキーを位置付けていた事実は記憶に留めておいてもよいだろう。そして、狂気は「désoeuvrement」の一つの経路、部分であることはフーコーが指摘していることである。『春の祭典』の凄みは、ニジンスキーの狂気じみた部分に多くを依っているといえる。
1913年の『春の祭典』を正当に評価し得た者がいるとすれば誰か。ジャック・リヴィエールは数少ない1人、というか自分はリヴィエールしか知らない。多くの批評家が酷評する中、春の祭典に「優美さ」を絶賛したリヴィエールの慧眼には驚かされる。リヴィエールはこの作品を評価するために「優美さ」というダンスを評価する擬順となる概念の方を拡張し、次のように述べた。
それ(優美さ)はまた、選ばれた乙女の踊りの中にすら見出されよう。繰り返し少女を襲う、短くそしてついに立ち消えに終わるあの痙攣的動作のうちに、彼女の示す困惑や、犠牲の瞬間を待ち受けるおそろしい苦悩のうちに、身の自由を奪われたような調子はずれの動き、そして天に向かってまっすぐに腕を伸ばし、何ものかを呼ぶように、威するように、また護るように、それを揺り動かす彼女の動作のうちに、優美さを見出すことは可能なはずなのである[*1]。
春の祭典は「芸術作品ではない」とも述べたリヴィエールはのちに、もう1人のアウトサイダーであるアントナン・アルトーと書簡を交わす人物であることをここで思い出しておいても良い。リヴィエールは狂気とdesoeuvrementを評価する感覚の持ち主であることがわかる。
さて、ニジンスキーの「踏み外し」の影響の大きさは、その後の春の祭典の再解釈の歴史からも明らかであるが、時と空間を超えて、土方巽にも伝わる。ただ土方は精神を病んだニジンスキーの「踏み外し」の方に大きな関心を抱いていた。土方は「ニジンスキーがあって、発狂の正常があって、私の踊りが始まる」と述べた。土方の舞踏はまさに「faux pas」の集積のように思われる。土方については多くの研究があり、ここでは詳細には触れないが、ニジンスキー、アルトーの「踏み外し」の系譜に日本の舞踏が連なっていることをここではひとまず指摘しておきたい。
ここで私が素朴に興味を抱くのはアンチダンス、踏み外しのダンスの精神を、ニジンスキーから、土方から、ブランショから、あるいはその他多くの哲学者や思想家から引き継いでいると考えられる室伏鴻がカルロッタ池田とともに振り付けた『春の祭典』である。初演は1999年のテアトル・ドゥ・ラ・バスティーユでカルロッタを含む7人の女性による『春の祭典』である。我々はウェブ上で2015年にラ・ロシェル・シュル=ヨンのコンセルバトワールで開催されたアマチュアダンスワークショップで試みられたトランスミッション(伝達再演)されたバージョンを見ることができる。アリアドネのメンバーだったヴァレリー・プジョルが監修したこのバージョンは、初演時の新聞評などで記述される場面などもないことから、やはり初演と区別して扱うべきであるが、アラン・マエの曲が使われている構成などは踏襲されているのではないかと考えられ、参考にはなる。
とりあえず2015年版を見てみて、印象に残るのはやはり最初の躓きの場面である。ニジンスキー版の生贄が選ばれる場面のように円形のフォーメーションを形作る女性のダンターの1人が躓き、転倒し、円の中心で踊り始める。このダンサーが生贄なのかと思ってみていると別のダンサーが円の中心に躍り出て、代わりに踊り始める。生贄は交代したのか、と思いながら見ていると、円を構成して踊りを傍観していたすべてのダンサーたちが同様に奇妙に踊り始める。おそらくこの室伏=カルロッタ版の春の祭典の犠牲者は特定の誰かではなく、肉体を持って舞台に立っているすべての者たちである。背後には、ストラヴィンスキーの原典ではなく、アラン・マエによる耳を引き裂くような高音のノイズと、春の祭典のフレーズの一部をサンプリングして反復再生している音が混じり合って聞こえてくる。白い衣装に、白い化粧を全身に施したダンサーの身体は、音楽と調和するというよりは、金属音のような音の雨に身を刺されながら、倒れ込み、死に向かっているようだ。しかし、ジャン・マルク・アドルフが「死によって胚胎させられている」と述べるように、うめきながら出産を思わせるような身振りも続けられている。古代スラブの儀式の再現という趣を持ったニジンスキー版とは異なり、最初から人間の生と死という普遍的主題が現れる。そしてそのダンスを特徴付ける身振りはやはり、定石のステップではなく、痙攣的身振りである。
人工的で、金属的で、攻撃的な印象を与えるアラン・マエの音楽が不自然な身体の蠢き、ダンスのコードを踏み外したFAUX PASを支えている。コード化されていない身体の内側、裏側、が剥き出しにされているようだ。
1999年の初演に対するリベラシオンに掲載された評論はダンサーたちの身体の状態に着目している。「そのダンスは存在の極限的な経験でしかあり得ず、その経験を扱う身体の様々な状態に深く関与している。トランスは決して遠いものではないのだ」[*2]。
しかし、より自分にとって意外だったのは、アラン・マエの人工的で暴力的なノイズ的音楽の場面と交互に現れる海の波の音や風の音の場面である。そこでは自然の音の中で緩やかに揺蕩う身体が現れる。このような身体は自分の知る室伏の作品の中ではみたことがない。カルロッタ池田との共作だからなのだろうか。私にとっての室伏の未知の側面をみたような気がしたのである。
室伏はこの春の祭典に関して短い文章を残している。
すでに、常に切り離され、切り刻まれ、別々のものにされた魂や身体の複数の場所から「サクレ」とは何かを問うこと。
室伏にとってサクレ=聖なるものはノイズと同義であるとされる。それはどのような意味なのか。アラン・マエの音楽はわかりやすくノイジーであるが、海の音はどうだろうか?おそらくそれも一種の「ノイズ」と考えている。それは室伏が「海」のイメージに対して寄せている言葉から判断できる。室伏にとって、海はカオスであり、そこには無数の遍在する無意味な炸裂と輝きがあるという。これが室伏がいうサクレであり、ノイズである。ニジンスキー版が「大地」のイメージを基礎に置いていたことからすると、室伏=カルロッタの春の祭典は「海」のイメージが基底にある。室伏が狙っていたのは、海のカオス的な性質、「無意味な炸裂と輝き」を身体に落とし込み、「踊る」ということである。
具体的にこの「踊り」について室伏は以下のように述べている。
「祈りが不能とされた場所で、くぐもり萎えた指とふるえる膝で踊ること」
「痛みを聞き届けること」
「傷ついてボロボロの別の言語で、切り離され切断する音階で、吃音で、問いかける声の縁と縁のギザギザをすりあわせ、身体の震える断面で交差し、響きあうこと」
「石の沈黙の声で語り、聴取不能にされた炸裂する耳で聞くこと」
「嗅ぐこと、動物の鼻で境界を押し広げ、わがテリトリーの外へ出ること」
「失語と恐怖に殉ずること」
「こうしたすべてが踊ることなら、踊りはそのプロセスそのものによって外の偶然へと、他者との出会いの幸運へと開かれているだろう。」
室伏がカルロッタと共作した『春の祭典』の踏み外しが目指すのは、一言で言ってこのような「外」への開かれである。
もし、今室伏が生きているならば、私はクレジットに「コレオグラフィ」という言葉を使用するのをやめるように伝えたかもしれない。室伏のやろうとしていることに対して「コレオグラフィ」という言葉は狭いような気がしたからだ。その概念が現代において拡張されているとはいえ、元々、正しいパの集積を意味する言葉を使用するのは不適のように思われてくる。作品の時間的な枠の前後に膨大に広がる人間の生と死につながっている身体を問題にしているように思うからだ。そして、やはり現代に室伏が生きているなら、室伏にダンサーではない、ありふれた身体に対して、「踏み外し」を振り付けることはできうるかを聞いたかもしれない。
しかし、それは1人の芸術家に求めるには過大な要求かもしれない。室伏なき後、生きている私ができること、なすべきことは、室伏の残した作品や言葉を素材に、私の日常的な身体の中に、この「踏み外し」の思考を実装することのように思えてならない。偶然と他者に開かれたい。私が扱えたアンチダンスと踏み外しはとても限定的なものだと思う。間違っているかもしれない。すでに自分の言ってることに飽きはじめている。他のパネリストの言葉と知見に開かれ、接続され、このシンポジウムが終わった後には、別の混成体に生まれ変わっていることが今日の目標です。
Infomation
Shyでの討議から成立した論集『アンチ・ダンス』を踏み台に、それを「踏みはずす」思想のダンスを追求します。ドゥルーズ生誕99年でもあり、室伏鴻の愛読したドゥルーズにちなむ語り、対話が続きます
日時
11月16日(土) 16:00〜
会場
室伏鴻アーカイブShy
Profile
越智雄磨
Yuma Ochi東京都立大学人文社会学部准教授(舞台芸術研究、身体論)。著書に『コンテンポラリー・ダンスの現在 ノン・ダンス以後の地平』(国書刊行会、2020 年)、論文に「Antibody としてのダンスーコンタクトゴンゾ『訓練されていない素人のための振付コンセプト』をめぐって」(『舞踊学、2020 年』)などがある。