ダンスの記録 アーカイブから展示へ
宇野芸術的な意図ではないですね?
大澤ないです。ただ、彼が素晴らしいのは、やはり富士山という日本の図像学においての重要なテーマを、科学的な観点から捉えている。その冷静な目線が逆に美しい映像を生み出していて、写真にしても映画にしても我々の目で見ると実に素晴らしい芸術作品です。それを逆に、それらの無数に残っている短い記録映画を我々のセンスで現代的に再編集すると全く違うものができます。
ダンスにたどり着くまで少し寄り道しますけれども、また別の事例を挙げたいと思います。博物館ではこの気象学とは別に、湯瀬哲さんという日本有数のジャズレコードコレクターが亡くなれた後、奥さまからそのコレクションの寄贈を受け、これもまたアーカイブ化することになりました。これは先ほどの阿部コレクションと比べると画一的なものであって、基本的に音源、レコード、そして雑誌や書籍など関連資料が含まれます。レコードは、SP盤、蓄音機でかける1940年代半ばまで製作されていたシェラック製のSP盤、これが約1万枚あり、そして1940年以降量産されたいわゆるLPレコード、が2万5千点ぐらいあります。そしてディスコグラフィーや雑誌、専門図書、研究書も含めてさまざまな印刷物もありました。この場合もデータベースを作成するにあたって一曲一曲を記載して、誰がいつ何を録音して、そのバンドのメンバーが誰であって、どのような情報が得られるかというのを一点一点調べました。そしてレコードは再生機がないと結局死蔵になってしまうので、博物館に別途寄贈された90点近くの蓄音機のコレクションも同じく一点一点修復して記載して、その基本情報を調べてデータベースにし、そして、この二つのコレクションがそろって初めてできるようになったのが、2022年に東京大学総合研究博物館のインターメディアテクで開催された『音の形』という展示です。
しかし、これだけではモノは見えますけれども、基本的な体験であるレコード鑑賞はできません。死蔵はしてないかもしれないけれど、それにまだ等しい状態でこの貴重なコレクションを眺めることになります。これをどのように活用できるかということで、インターメディアテクでは蓄音機音楽会というイベントを定期的に開催していました。たまには私が1人でレコードをかけて演出して、時には現役のジャズミュージシャンを呼んで蓄音機のレコードと生演奏を組み合わせたイベントを開催していました。
なぜこのようなことを試みたかといいますと、博物館のコレクションの背景には「アクティベーション」、日本語で言えば活性化、という重要な概念があります。アクティベーションというのは、アメリカの哲学者であるネルソン・グッドマンが提唱した概念です。『Of Mind and Other Matters』という著書において、アクティベーション、特に美術、アートにおけるアクティベーションについて論じています。アクティベーションというのはどういうことかと一言でいいますと、アート作品はいくらアート作品として存在していても死蔵しているだけではアートとして機能しないと。つまりレンブラントの名画が押し入れの中に眠っていたり、もしくはそれがアイロン台として使われていたとしたら、結局それは美術として機能していないと。もう一歩踏み込みますとその背景には存在論的なアプローチがあります。存在論というのはモノの在り方、その存在の在り方を問う哲学の一分野で、あるときは哲学の根底にありました。グッドマンはヨーロッパの哲学者に対して非常に過激なアプローチを持っていて、あるモノは単にモノとして存在するのではなく、ある機能が活用されたときに初めてそのモノとしての存在意義を持つと言い切っていました。それをもって、この1950年代以降アメリカを中心にずっと議論されてきたアートの定義問題、アートとはそもそも何かという問題を解決しようとしたわけです。できたとは決して言い切れませんが、美術とは何か、それを本質的に追究するのではなく、ある物が美術として機能している条件はどういう条件であるかというのを解明しようとしたわけです。
その中でアクティベーションという言葉が、概念が重要になりまして、先ほど伝えしましたとおり美術作品が美術作品として認められるためには美術的機能を持たなければいけないと。では、その機能はどういう機能であるかというのをこの論文において解明したわけです。彼から見ると現代美術でも問題なく、いわゆる古典美術と同様に扱えるわけです。例えば現代美術の象徴であるマルセル・デュシャンの『泉』という作品がありますけれど、ただの便器であるわけで、何故この便器がアートなのかといまだに疑問を持つ方がいるわけです。グッドマンからすれば別にレンブラントの名画であろうが、デュシャンの便器であろうが、それが記号的、そして社会的、そして美的機能をその場で持っていればその場においては、そしてそのときに限って、美術作品であると言えるという論文を発表したわけです。これに関してはさまざまな反論があって、当然それを批判する、否定する哲学者も多く、今となってはグッドマンのテーゼをそのまま採用する人は決していないと思いますが、いまだにグッドマンが提唱した概念は、アート界、そしてミュージアム界において大きい影響を及ぼしています。
その中でミュージアムにおいてはアクティベーションという言葉が一人歩きしまして、さまざまな解釈のもと、ミュージアムのコレクションをどのように活性化することができるのか、それを考えるのが博物館の学芸員の仕事であるといわれるようになりました。というのもミュージアムの最も重要な役割というのは、ひとつはコレクション、収蔵すること。次は研究、コレクションの調査。そして三つ目が一般公開。つまり物を保存して、それを研究して、それを一般に見せる。ただ一般公開できるものはコレクションのごく一部です。ルーブルや大英博物館など、大きい施設になるとわずか数パーセントにすぎないわけです。そうするとグッドマンの言葉を借りると、残りの九十何%はアクティベーションされてないので、その場においては死蔵しているわけです。それをどのように有効活用できるのかというのが、近年のミュージアムにおいての大きい課題で、その中では当然デジタルテクノロジーが大きい役割を果たしていて、多くの学芸員はデジタルアーカイブ、デジタルデータベース、場合によってはデジタル、つまりインターネット上の展示でそのコレクションを活性化できると考えています。必ずしもそうであるとは思いませんが、それはまた議論したいと思います。
そして、だんだんと舞踏アーカイブの問題に近づいてきますが、近年扱ったアーカイブの中で一番大きかったのが、ここ3年間くらい調査して目録化したコレクションです。これは美術出版社という、日本では当時最大手であった美術を専門とする出版社がありますけれど、美術出版社といわれるくらいですから戦時中の統合の中で唯一生き残った会社であるわけですが、『美術手帖』など有名な美術雑誌を出版してきた、日本の出版社において最も重要な会社です。その専属カメラマンが1950年代以降撮影した写真のネガがありますけれど、そのアーカイブを東大の博物館が収蔵することになって、私はその調査と目録化を担当しました。ネガの状態でフォルダーが五百数十冊ありまして、大体12万コマの写真のネガがあります。これはある意味、戦後日本美術史を網羅できるような重要なアーカイブだと思います。
そして、ご覧のとおり随分劣化しているので、まずはフィルムを修復して、そして可能な限りデジタル化して、しかもデジタル化するときに無駄に修正というか、合成せずに傷んだ状態で、でも使える状態でデジタル化して、そして一点一点記載したわけです。例えばネガの上から4点は、基本的にフィルム自体が劣化してカーリングしてしまって平らな状態を保っていないので、まず平らにしても割れない状態にまでに湿度を加え、一定期間それを押さえて平らにしても割れない状態で1度乾かし、それを一点一点スキャンしました。
そして、このコレクションはどういうものかといいますと、まず作家のアトリエ訪問が多かった時代なので、実際にその作家がアトリエで取材に応じる姿や制作している姿を捉えた写真が多く残っています。それが35ミリフィルムに収められていて、さまざまな媒体があって120フィルムも多数ありましたが、これはどちらかというと作品の複製が多いです。これは、作品の複製は今の撮影技術からすると120フィルムがあっても役に立たないと思われるかもしれませんけれど、当然その撮影されたときから失われたものも少なくはないし、もしくは劣化したものも多いので、そういう意味ではこれらは貴重な記録です。この120フィルムも約1万コマありまして、あとはブローニーといわれるシノゴ(4×5)フィルムも1万3千コマありまして、合計12万数千コマの写真のアーカイブです。
作品やポートレートのみならず出来事の記録写真もあります。例えば1958年の日本で行われたゴッホ展。これは歴史的な出来事だったので、その開梱の時点からメディアが入って、その時の写真記録が残っているわけですけれど、こういう出来事であったり、あとは、例えば高松次郎の取材ですけれど、1966年のものですが、こういうものも結局実際に我々が見ているのはその紙面に載ったものですけれど、その背景には実はこれだけの写真があるわけです。これが編集されてトリミングされて結局(私たちが見る)この3ページになるわけですけれど、このアーカイブを全て一般公開することによって、連続写真のように撮影されたその背景にあるその全ての映像が、もしくは図像が見えることになります。これは単純にその量的に物が、資料が増えるというだけではなくて、結局その美術史の基盤となる資料体が本質的に変わることになります。というのは、単純に写真が1枚から10枚に増えただけではなくて、結局我々が今まで見ているのはその選ばれた1枚だけなのだけれど、実はその背景には、その奥には、その何十倍の写真があったということが分かると、結局そのときに選ばれた写真は、我々が知っている伝説的なアイコニックな決定的な瞬間を捉えた図像ではなくて、その10枚、20枚ある中のたった1枚にすぎないんだということが分かるからです。これは、ただひとつの記事にすぎないですけれど、戦後日本美術史において実は我々が知っている写真、見ている図像は、ごくわずかであると分かると、ある部分においては戦後日本美術史を書き直さなければいけないような事になります。
そして、これはポートレートだけではなくて、例えば戦後日本美術史において、また、アングラ文化において非常に重要な影響を及ぼした「クロス・トーク/インターメディア」というイベントのシリーズがありますけれど、その最も重要なのが1969年に開催されたもので、これは土方巽が参加するかしないかという騒動をめぐって舞踏界においても有名な話です。これもまたこのようにこれだけの未発表の写真が出てきました。そうすると何が実際に行われたかというのを理解する上で、これまでより細かく実際にその出来事を捉えることができるわけです。