ダンスの記録 アーカイブから展示へ
國吉写された人たち、誰が写っているかというのは分かる範囲で分かるんですが、分かんないことってたくさんありますよね。写っているのは誰なのかということなんですけど、それは一点ずつ調査をなさるんですか。
大澤これは、例えば先ほどのこういうアーティストが単独で写っている場合、もしくは少人数で写っている場合は一点一点記載しましたけれど、さすがにグループ写真だと12万点あるのでそれを一点一点できないので、まずはその内容が分かるようなイベントを記載して、データベースを一般公開する予定です。そこからまた数十年はかかると思いますけれど、精度を上げて深掘りしていく予定です。
國吉あと同じものを、例えば大辻さんが写真撮っていらっしゃいますね。武蔵美のコレクションは大辻さんが入っていると思いますけど、例えばそれらと照合するといったこともなさいますか。
大澤それは今後の作業ですね。今は、とりあえずこの12万点を何とか修復してデジタル化して記載するというところです。しかしそれは私一人でできることではないので、むしろ研究者たちがこれを自由に活用して研究していくという、そういう形になるための土台というか、その基盤をまずは作りたいと思います。
そしてこれも面白かったんですけれど、1957年にこれも有名な出来事ですが、フランスの抽象絵画の巨匠と当時はいわれていたジョルジュ・マチューという画家が来日して、そして関東・関西でその公開制作を行うんですが、これが戦後日本美術史において一つのアイコニックの瞬間として残るわけで、公開制作というよりも一つのパフォーマンスとして覚えられています。この有名なイベントにも何枚かこういうコンタクトシートが出てきて、今まで見てきた写真とはちょっと違う背景の写真があったり、実は違うところでも公開制作していたのではないかと思われるような、これはまだ解明できていないんですけれど、そういう面白い写真も出てきたので、これは今後アーカイブとしては十分活用されるものではないかと期待しています。
そして、ここで今日の我々の議題に対して何が重要かと言いますと、結局これは作品が残っている場合は多いですけど、作品が残っていたとしても結局この写真が捉えているのはその瞬間であって、そのパフォーマンス自体がある。そして、そのパフォーマンスは二度と目撃することはできないし、それをその状況、もしくは同じ状況を全く同一の条件で再現することもできないわけです。そうすると記録写真が唯一のたどれる具体的な証拠になるわけですけれど、このようなものをどのように活用していくのかというのがミュージアムに課された課題です。
そろそろ本題に入りますが、ダンスを展示するというのはその点においてはある意味不可能なことだと私は考えています。そのダンスの周辺を展示することはできますけれど、ダンス自体を展示するというのはほぼ矛盾していることであって、基本的には不可能だと思います。当然ダンスをテーマにしたクオリティーの高い展示は今までも開催されています。日本でもちろん最も実績のあるアーカイブは慶應アート・センターの土方巽アーカイブですけれど、森下さんを中心に完璧と言ってもいいほどのアーカイブをさまざまな形で一般公開されて、これまでも長く、物、そして写真、そして映像、そして資料を組み合わせた展示が公開されてきました。日本ではこれがひとつのパラダイムというか、基準になっているかと思います。
舞踏の枠を越えてダンス全般を展示するという意味では、おそらくもう15年近く前ですけれど、パリのポンピドゥー・センターで2011年に開催された「Danser sa vie」という展覧会がひとつの理想形に近いのではないかと考えています。これは当然その予算も企画チームも比にならないほど予算も潤沢にあり、関わった人たちも多かったので、そしてその設備が整っていたので、このような基本展示ができたわけです。ここでは近現代におけるダンスの表象をテーマに、映画、記録映像、オブジェ、透かし絵の人形も全部そろっていて、こういう形で広々とした空間で、ダンスの表象、身体性、各時代における様式の変化、その全て銘品を中心に捉えた展示でこれ以上のものは当面できないだろうと長らくいわれていました。
國吉イヴ・クラインの人拓ですけど、あれはダンスではないのですが、ダンスの文脈で入っていますね。
大澤もちろんそうです。実際にこれを作るときにもパフォーマンスとして一般公開されていたわけなので、『Anthropométrie』シリーズはスタジオで作られたものもありますけど、基本的に一般公開で作られていたので、それがひとつのパフォーマンスであると考えると、当然そのダンスとは関係性の近いものです。そこまで全部含めて展示が企画されたわけで、その中でもカテゴリーとしてはダンスではないかもしれないけれど、明らかにダンスの要素があるというのも全部含まれていました。
國吉これはポンピドゥー・センターが全部キュレーションもしたということでしょうか。
大澤はい、そうです。ポンピドゥーの、正確には覚えてないですけど、確か2人の学芸員がトップにいて、そしてもちろん共同キュレーターが何人かいて、そして日本からキュレーターはいなかったですけれど、資料を貸し出しました。
國吉その範囲としては、さっき舞踏とおっしゃいましたけど、舞踏だけじゃなくて、西洋と東洋の全般的なということですか。それとも伝統芸能とか。
大澤この企画の一つの着眼点というか、目的が、いわゆるダンスの一般的なカテゴリー、バレエであったり、舞踏であったり、伝統芸能であったり、そういうものにとらわれないで、もっとそもそも根源的な衝動に近いような表現であるダンスを捉えることがひとつの目的だったので、彼らはあまりそのカテゴリーは気にしていなかったです。そしてひとつ彼らの主な関心は、それがどのようにアートと関わりを持ってきたかということだったので、踊りだけの展示ではなくて、踊りとアートの関係性を問う展覧会でした。
宇野日本からはどんなものが出展されたんですか。
大澤それがやはり西洋中心主義が見事に表れて、アバンギャルドの展示とこういう展示を見るとアジア・アフリカ・南米も大体の場合はもう欠落していて、日本からはごくわずかでしたね。マヴォ(MAVO)関係、つまり村山知義の初期のパフォーマンスの写真がメインで、あとは戦後に関してはちょっと覚えてないですけど大したものはなかったです。映像の上映会や対談やさまざまな関連イベントも開催されて、そこでは舞踏関係のものも少しは紹介されていたと記憶していますけれど、展示自体は結構乏しかったです。大体そうなるんです。ダダ展とか構成主義展とかそういうアバンギャルドの展覧会においては、欧米で行われるものに日本がほとんど取り上げられてない。最近は少しずつ変わっていますけれど。
宇野イヴ・クラインの隣のあれは何か分かります?
大澤いや、覚えてないです、これは。これはもう現代のもので、90年代か2000年代のものだったと思いますけど。
宇野かなりあれだね、その関連が必ずしも分からないようにして、例えば年代別とかじゃないわけですよね。
大澤そうですね。もうテーマごとに、しかも非常に抽象的なテーマなのでそんなに。でも、それが逆に展覧会のあるべき姿ではないかと考える人が多いわけです。教科書ではなく、その場でしか作り上げられない、必ずしも一目で分からないような、そういう空間づくりが結局は歴史に残る展示を作り上げるという。
宇野かなり分厚いカタログができていますね。
大澤出ています。そして2冊出ていて、展示のカタログと、確かエッセイ集だった。
質問者1國吉さんとかもご存じでした? これ。
國吉:いえ、知らない。
質問者1さっきすごい影響力、こんな表はないとおっしゃったから、みんなご存じなのかなと思ったけど。
國吉いやいや、ただ村山知義からなんていう感じで。
質問者1なるほど。日本では、あまり舞踊の世界ではこういうものがあったというのは知らないですね。
大澤だんだん解消されていますけど、やはりいまだに日本が、まあまあ孤立しているのは事実です、ミュージアム界においては残念ながら。
そして、ここで少し話は進めますけれど、この資料展示とは別に一過性のもの、つまりパフォーマンス、踊りもそうだと理解していますけれど、物理的な作品として残らない公演をどのように記録に留めて、それを展示に活用できるかという1つの事例として、これは世界的にも有名である戦後日本の美術運動である舞台、芦屋の関西の舞台に所属していた村上三郎が1956年に発表した『通過』という通称「紙破り」のパフォーマンスがあります。これはこの写真のシリーズが残っていて、それが伝説となって、どの教科書にも載っているようなものですけれど、これも実は何度も再現されています。例えば1994年ポンピドゥー・センターの「アートと生活」、もしくは「アートと日常性」という展覧会において、こういう復元が会期中に展示されていました。そして、これも実際、村上三郎が展示会場でそのパフォーマンス自体を再現しています。
〔動画映像〕
大澤これがこの伝説となった写真と、今のちょっとくたびれてしまった村上さんのこのパフォーマンスと、これをどう見比べるか。それがアーカイブの活用を考えるときに重要な点で、当然、博物館では長らく標本の復元は行われていて、レプリカやコピーを作ること自体はひとつの研究活動であって、そこからいろいろ知識を得られるわけなので、必ずしもオリジナルのみが重要であるとは限らないです。そして、これはさまざまな意見があると思いますけれど、アートにおいてもその再現や再演にも価値が十分あるとは思いますけれど、これをどこまで行うかということですね。
さらに今度は2012年、乃木坂の国立新美術館で、村上さんの息子さんが今度これをオープニングのときにもうちょっとミニマルの形で再解釈しています。
〔動画映像〕
大澤ここまで来るともうお家芸になるわけです。それが息子さんじゃないとできないのかという、そういう問題が出てきて、結局その再演・再現も重要だし、そこから学ぶことも多いし、それはもう承知の上で言いますけれど、どこまでそれを延々と繰り返すことに意味があるのかと。そこから舞踏をはじめダンスの定義をどのようなものに企画していくべきかというところに到達しましたが、室伏さんのアーカイブに関しては、渡辺さんが既にこういう立派な資料整理作業を基に立派なアーカイブを構築されていて、誰もがウェブからアクセスできるわけです。おそらくこのアーカイブをそのまま展示にしたら、室伏さんとは最も相入れない体系的な、教育的な、一義的な展覧会になるかと思うんですけれど、それでは裏切りとまでは言いませんけれど、展覧会を企画する意味がないように思います。
では、どういうふうに室伏展を企画するとなるとどういうことができるか。やはり結局我々のもとに残っているのは周辺資料であるとしか言わざるを得ないです。室伏さんご本人は当然もういらっしゃらないし、彼の肉体、彼の動きを見ることはもう二度とないので。それを何とか残された展示で補おうと思うと失敗するように思います。そうではなくて展示空間でしかできない、室伏さんがいらっしゃらない不在である中で何ができるかと発想を変換、発想を変えたもとでいろいろ考えるべきであって。そこで今度これはどこまで話していいか分からないですけれど、渡辺さんからウィーンのオデオンシアターで室伏さんの展覧会ができるだろうという話をこの間お聞きして、さて、早速これはどういう企画ができるかと一緒に考えてみたんですけれど。ここに室伏さんの写真とこれまでの公演のチラシが並ぶだけではおそらく彼の本質的な姿は全く伝わらないわけで。このように今までも過去に資料展示は行われたわけですけれど、こういうスタイルが室伏さんにふさわしいとは思えないので、そこで何ができるか渡辺さんと話し合っていました。
そして、この会場には実は1階があって、その1階はもう寂れたというか、非常に状態の悪いバー、ほぼ廃墟とまでは言いませんけれど、こういう空間もあって、そこも使えるということで、過去にも使えたことがあるということで。この本来展示室ではない劇場の入口、ホールと、あとその下にあるこのバーでどのような室伏展ができるか、それをこの間想像しながら話していたんです。今日はそのデンダリングや図面は用意していませんけれど、私が思うには2部構成にして、こちらは割と分かりやすく、この建築も考慮して室伏さんの象徴的な写真と資料を展示するのに対して、こちらでは例えば『quick silver』など彼の代表的な作品の記録写真や映像を基に、完全に自由に解釈して、それを1つのインスタレーションとして『quick silver』から派生した、『quick silver』ではないけれど、それに関連しているその世界を1つのインスタレーションとして作り上げて、そこはもうあまり正確さやクロノロジー、正確な年代等を考えずに室伏さんの精神を自由に再解釈して、それを我々に残された記録写真と映像と音声・音源を使って展示するのが妥当ではないかという話を渡辺さんとしていました。随分長くなりましたけれど、幾つかその問題提起ということで今日お話しさせていただきました。ありがとうございます。(拍手)