Space, Axis, Breathing
この共著本『アンチ・ダンス』の中で我々はアンチ・ダンスというコンセプトを提示したわけですが少なくとも僕はアンチ・ダンスこそがダンスだと思っています。しかしながら、ダンスに対する一般的な固定観念の強固さからアンチ・ダンスがダンスのマジョリティになる可能性は望み薄で、アンチ・ダンスはアンチ・ダンスであり続けるしかないという苦い認識があるということは先ず最初にお伝えしたいと思います。
僕のダンス批評の師匠に合田成男という人がいて彼のダンス論における重要な概念が5つあります。それは、空間、軸、呼吸、記憶、風景です。その内最後の2つ、記憶と風景については今の僕は批判的に考えているので今日は最初の3つ、空間と軸と呼吸についてお話します。ただ、この3つは実際には明確に区別して論じられるものではないので混然とした形でお話することになると思います。
ニジンスキーの軸(アクシス)、カントの主観的空間
ダンスにおける空間といえば、セノグラフィー、つまり、上演空間にダンサーや装置や美術をどう配置するかのことを思い浮かべることが普通なんですが、僕が言いたいのはその空間とは違う空間のことなんです。身体的な空間性を志向しているというふうに僕は思っている。この本にも書きましたが、まずバレエの「パ(pas)」の基本って、「アン・ドゥオール(en dehors)」という、足を90度に開く、このポジションが基本だと思うんですね。このポジションをやるとわかると思うんですが、要するに大地のエネルギーを下から上に引き上げていく、こういう流れが身体の中に生まれると思うんです。つまり身体にぴしっと一本の軸をつくって、大地と天の間、大地から天に向かってひとつの軸を引き上げる。そこが真ん中になるので、真ん中を中心にした右と左が幾何学的に左右対称じゃなきゃいけない。これがひとつのバレエの美学として、きちっとある。これは先程越智さんがおっしゃったように、17世紀にルイ14世が作ったバレエというか、ダンスなので。だから、フランスのいわゆる古典主義美学、ベルサイユ宮殿に象徴されるような、幾何学的な空間の美学というのは、バレエにも非常に濃密に反映されているわけです。この左右対称と、天と地の間の軸、そして地よりもやっぱり天のほうが上だという、そういうヒエラルキーの軸、この美学によって、バレエは空間を作っていく。今現在、日本でも多くの人がやっていますけど、それがバレエの基本的な空間性だと思います。でも、このバレエというのは、日本においても、やはり舞踏に比べると、ダンサーと観客をたぶん桁2つ違うぐらい生んでいるので、一般的にはバレエの美学というのが、非常に受け入れられているものであるということですよね。
ヴァーツラフ・ニジンスキーは、子供の頃から、昔のサンクトペテルブルクでバレエを習って、バレエの中でも優秀なダンサーとしてデビューした。だから、バレエの美学というのは、彼の中にもぴっちり入っているわけですが、その彼が、『牧神の午後』においてはそこから逸脱することをやったわけですね。『牧神の午後』の振付は土方巽も室伏さんも幾つかの公演の中でやっています。この振付がいったいどういうものなのかということなんですが、これは明らかに、身体が、左右対称じゃなくなっているわけですね。胸は正面に向いているけど、顔が横向き。腕はひしゃげられたまま曲げられて、膝も曲げられているという、本当に分裂したような身体。これに関してはいろいろな研究者の説があって、まだ定説はないと思うんですが、一説にはキュビズムの影響もあったと言われています。確かに、キュビズムがやったことに似ていると言えば、似ていますね。つまり正面性を排して、いろいろな角度から見た身体をひとつの画面の中にコラージュする。ニジンスキーの『牧神の午後』のフォルムと非常に近しいとは言えると思う。
ただ、ニジンスキーの『牧神の午後』は何が凄いかと言えば、それだけばらばらな動き、身体の角度がばらばらになっちゃったら普通なら単にぐにゃぐにゃになっちゃうんですけど、ぴしっと中心が、強度が、軸があるんです。この軸は彼の中に維持されて、だから、これはもうバレエのいわゆる幾何学的な軸とは違った軸になっている。そこになにがあったか。これは別にニジンスキー自身が書いたりなにかしているわけじゃないので、想像ですが、これは室伏さんが口酸っぱくワークショップとかで言っていた8の字。あるいはスパイラルとも言う。僕は端的に言ってエロティズムと言っていいと思っているんです。つまり身体の性器から上がってくる螺旋状のエネルギー。このエネルギーを身体の中に入れて、その螺旋状のエネルギーを含めた軸ですね、当然、螺旋状だから身体は軸が歪んだりするんですけど、その螺旋状の動きを統一する軸。そういうものをニジンスキーは『牧神の午後』で発見したというか、現実のものにしたと思います。
このニジンスキーの『牧神の午後』の軸がどうして可能なのかということを色々ずっと考えていたんですけど、一つヒントになったのが、実はイマヌエル・カントという哲学者だったんです。今回この『アンチ・ダンス』で既に引用しているので、お渡しした資料の中には引用しませんでしたけど、改めて、もう一回、カントの言葉を二つここで引用します。一つは『プロレゴメナ』という著作からの引用です。
ところで空間は、我々の感性による外的直観の形式である、そしてそれぞれの部分的空間の内的規定は全一の空間——すなわちそれぞれの空間がいずれもその部分であるところの空間に対する外的関係(外的感官に対する関係)の規定によってのみ可能である。換言すれば、部分は全体によってのみ可能なのである。これは純粋悟性の対象の物自体については、決して起こりうることでないが、しかし単なる現象については起きるのである。
イマヌエル・カント『プロレゴメナ』篠田英雄訳、岩波文庫、1977年、76頁
この純粋悟性というのは非常にわかりにくい言葉ですけど、わかりやすく言ってしまえば、純粋自然科学的な知性のことです。
それだから我々は、〔内的には〕相等しくまた相似ていながら、それにも拘らず重なり合わない物(例えば、右巻きの螺旋と左巻きの螺旋)の差異を理解させるには、概念によるだけでは不可能であり、〔現物としての〕右手と〔鏡中の映像としての〕左手との〔外的〕関係によってのみ——換言すれば、直接に直観とかかわりをもつ関係によってのみ可能なのである。
同上、76-77頁
もうひとつ、その前ぐらいに書かれた「思考の方向を定めるとはどういうことか」という文章の中でも、こういうことを言っています。
方向を定めるというのは、その詞の本来の意味からいえば、一つの与えられた方角から(われわれは地平を四つの方角に区分するわけだが)他の方角、とくに東方を見いだすことをいうのである。いま私が空に太陽を見てしかもいま正午であることが分かっているとすれば、私は南・西・北・および東を見いだすことが分かるわけである。しかしそのためには、私自身の主観における区別の感情、つまり右手と左手との区別の感情がどうしても必要である。私はそれを感情とよぶ。それはこれら二つの方角は、外面的には直観においてなんらの目立った区別を示さないからである。
「思考の方向を定めるとはどういうことか」
門脇卓爾訳『カント全集 第十二巻 批判期論集』理想社、1966年、11頁
こういうことを書いているんですね。僕は読んで、はっと思いました。あっと思って。右利きと左利きという、僕が勉強した限りでは、世界中で右利きが九割、左利きの人が一割らしいですけど、大体どこの国でも、そうらしいです。右利きと左利きの人というのが生まれつき必ずいるという、これは結構すごい謎で。確かに、例えば東京の街でも——この前、この企画のワークショップをやった森下スタジオ。あそこは森下の駅を降りるとすごく幾何学的な空間というか、碁盤状の空間なわけですよ。ああいうところに降り立つと、一見、もう何回も行っているところなのに、方向感覚がわかんなくなっちゃうんですよね。逆に、坂があったり、なにか路地になっている所というのは、一回行くと、結構身体が覚えてわかっちゃうみたいな。動いてわかるんですけど。幾何学的な空間になると、「え、どっちが東、どっちが西だったっけ?」みたいに思っちゃうと思うんです。これって僕だけじゃない。多分みなさん、結構そういう経験はあると思います。なにかやっぱり、右とか左の偏りというものが、じつは身体にとって、とても重要な、経験の源なんじゃないか。
つまり、カントは実は人間が感覚するというか、人間が知覚する空間というものは、その右と左というどっちかの偏りというものに、そこに経験の基礎があるということを言っているわけです。その右手、左手の区別に、カントは感情という言葉を使う。英語で言えばfeelingとなるんですが、feelingというよりは、僕はもうちょっと何か、それこそ凄くもうちょっと根本的な情動のような気がするんですけれど。とにかく、その方位の、その方向感覚、自分の中の、身体の中の方向感覚みたいなもの。そこを基礎にして空間を考えるということが、どうも僕にはすごくぴったりくる。その空間というものが、実はニジンスキーが作り出した身体の空間というものととても密接に関係しているんじゃないか。と思うのは、もう一つは、カントは右手と左手、右と左というのが、じつは形象的には同じだけれど、必ず人間の身体の感覚としては区別があるということを言っている。これは二次元では解決できないので、三次元、つまりひとつ上の次元だったらば、これはメビウス状に8の字状に空間が歪んで、違う空間、違うひとつ上の次元であれば統一されると書いている。
カントとニジンスキーって、150年以上は違うと思うんですけど、このカントの主観的な空間というのは、あくまでも近代的な、先ほど言ったバレエもそこから生まれた古典主義的な幾何学的な空間が成立したことを前提として言っている。それをなにか否定しているわけではないと思うんですね。だから、ある種、物自体としてその空間はあるけれど、われわれが感じている、一人ひとりの身体が感じている空間というのは、その物自体の空間と関係はしているけど、また別のものである、全く別のものである。こういう各人それぞれ別の主観的な空間の中でわれわれは生きているんだっていう、この直観ですよね。このカントの直観。彼は近代のほとんど最初の人だと思うんですけれど、カントの直観というのは、ダンスにおいて、150年後、ニジンスキーにおいて、すこし露わになったという印象を僕は受けています。
ジャコメッティの彫刻と空間性
この身体の軸と空間性ということで、もうひとつ参考例というか、僕がイメージする人はアルベルト・ジャコメッティなんです。見たら、このShyにもジャコメッティの写真が実はある。ジャコメッティの彫刻とジャコメッティの創作しているところ。確か僕、飲み会で、室伏さんから、彫刻はジャコメッティで終わりだということを聞いていて、なので室伏さんにとってもジャコメッティが最も重要な彫刻家だったことは間違いなかったと思います。
これは、ジャコメッティがニューヨークのピエール・マティス画廊で戦後すぐに個展をした時に、ジャン゠ポール・サルトルが書いた文章です。「絶対の探究(ジャコメッティの彫刻について)」。瀧口修造さんの訳なんですけれど、ちょっと読みますね。
古典主義の反対に立って、ジャコメッテイは彫像たちに、部分のない、想像上の空間を回復した。一気に相対性をうけいれて、絶対を発見したのだ。彼はまず最初に人間を、見たとおりに、つまり距離を置いて、彫刻することを想いついたのである。彼は自分の石膏の人物たちに、絶対的な距離ともいうべきものをあたえる。画家たちがその画布のなかの住民たちにあたえるように、彼は「十歩の」距離の人物とか「二十歩の」距離の人物をつくるのだ。しかもそれは、あなたがどこにいても、そこに止まっている。そして急にそれが非現実のなかに飛びこむのである。なぜなら、その人物とあなたとの関係は、もはやあなたと大理石の塊りとの関係に依存しなくなるからである。
ジャン=ポール・サルトル「絶対の探究(ジャコメッテイの彫刻について)」瀧口修造訳
『サルトル全集第10巻 シチュアシオン3』人文書院、1977年、217-218頁
この「絶対の探究」で、要するにサルトルはジャコメッティの細長い彫刻を、彫刻の革命だと言っている。絵の場合は額縁の中に描かれていて、それを展覧会とか美術館とかで見るんですけれど、われわれは絵を見る時は、例えば十歩の距離をおいて見ても、もっと近づいて見てみても、現実的に絵の中に書かれている人物に近付いているとは思わない。つまり額縁のおかげで、これは想像上の空間であって、現実の空間ではないということがわかっている。ところが彫刻の場合、そういうわけにはいかない。つまり現実の人間の肉体とある意味同じなので、彫刻があって、二十歩の距離で見たときと、そこから十歩近づいたときというのは、人間に近づくように、十歩やっぱり現実の彫刻に近づくというように感じてしまう。ところが、ジャコメッティの彫刻はそうじゃないというんですね。ジャコメッティの彫刻って、みなさんも一度くらい見たことがあると思うんですが、たしかに彼の彫刻は、近付いてもその彫刻に人間が物理的に近付いた気がしない。むしろ非常に遠くにあるような気がするんですね。つまり、彫刻という極めてリアルな物質に、きわめて想像上の空間を彼はつくった。
僕はジャコメッティって、彫刻だけじゃなくて、その彫刻の周囲——周囲と言っていいかわからないですけど——360度、空間を意識して、彼は彫刻を作ったと思っている。だからジャコメッティ展で、前だけしか見えないと欲求不満なんですね。やっぱりジャコメッティの彫刻って、後ろからも当然見られるし、というか見るべきだと思うので、普通の絵画みたいに、前しか見れないというふうに展示してあると、非常に欲求不満なんです。
つまりそういう、現実の空間じゃなくて非常に想像上の空間というものを、ある意味、舞台を作ったと言ってもいいような……極めて人工的な舞台を作ったといっていいと思う。サルトルは、ジャコメッティは空虚を創造した、と書いています。その空虚を創造したというのが、ジャコメッティの想像的で、凄く距離が遠くも近くもあるという、そういう印象をもたらすという例。しかもジャコメッティの彫刻って、やっぱり一本、ぴーんと、こう、軸ははっきりあるんですよね。もちろん道を歩いているのもありますけれど、基本的には一本、ぴーんとあって。その軸は崩れそうになっているくらい、ぼろぼろになりそうなものですよ。しかし見方によってはぼろぼろになっているように見えるけれど、非常に強い。だから軸と空間性の関係をイメージするために、ジャコメッティの彫刻というのは、僕はやはり非常に面白いなって思います。
ニジンスキーから土方、室伏へ——ダンスの真空と中西夏之
ニジンスキーの話からすこし舞踏、土方、室伏の話に移りたいと思います。ニジンスキーはかなり直感的にやっちゃったところがあるんじゃないかという気がするんです。そのニジンスキーの試みを、ある意味引き受けたのは、きょう越智さんがおっしゃったように、やっぱり土方、室伏ではないかと、僕もそう思っています。ニジンスキーがもしも自分がやったことをもっと方法的に再考できていれば、方法的に突き詰めていれば、彼は狂わなかった、彼は狂気に陥らなかったんじゃないかと、室伏さんは書いている。僕もそう思う。やっぱりそういう意味では、ニジンスキーが直感的に提示したものを、土方、室伏、特に室伏さんは、方法的に非常に突き詰めたというふうに僕は思っています。
その室伏さんの技術に関して、やはり幾つか話さなければいけない。アンチ・ダンスの中で書いたことの繰り返しになってしまうのですが、室伏さんの場合、やはり身体のアクシスの痙攣と、息ということがとても重要なんですよね。この息というものは、僕が考えるに、すごく不在のものに近付いていて、永遠に身体の内と外を循環していて、つねに反復してるという有機体のエネルギーなんです。この息とか呼吸というのが、室伏さんにとっては、先ほど話したスパイラルという8の字の動きと非常に関係していると思うんです。たぶんそれは、室伏さんが息というものがエロティシズムと繋がっていることをよくわかっていたからだと思います。エロティシズムが息に変容する、呼吸に変容する状態をつくり出すということが、ある意味、彼のダンスだったと僕は思っている。ここでエロティシズムというのは、身体がエロスに満ちた状態になるというのは、どういう身体の状態になるかっていうことですが、これは一言で言うと、真空状態に近い状態に体を持ち込むということだと思うんです。これは同時に、身体のアクシスが非常に露わになる状態。つまり、身体にとっては、危機的な状態であると思うんです。この真空ということが、もうひとつ室伏さんにとっては重要。
この真空、ダンスの真空ということを考えるために色々調べると、結構重要だったんじゃないかなと思うのは、やはり中西夏之の存在です。1960年代の土方の作品のほとんどは、その中西とのコラボレーションというか、中西が今で言う、ほとんどドラマトゥルクの役割をして、いろいろ土方にアイディアを投げかけて、それにまた土方が応答してということをやっていて、たんなる舞台をつくる、舞台装置をつくるというだけじゃなく、中西が舞踏にとって非常に重要な概念を、あるヒントを与えていたと思います。
「激しい季節」という室伏さんが編集していた新聞に、1976年、中西が60年代の土方というか、舞踏と自分のコラボレーションについての文章を書いています。「手当と復習」というタイトルで書いたんです。これは『美術手帖』1986年5月号に再録されています。この「手当と復習」という文章の中で、中西は、フイゴ——呼吸、人工的に空気をつくる吹子——と、フイゴとすごく関連している金属精錬、鍛治のことですけれど、金属精錬のことを書いている。イメージとして強く書いていて、おそらくこの考えというのは、当時、土方と共有していたと思う。それでそうそう、83年に、中西と土方が対談していまして、そのなかで、土方は突然、「真空の金属」という言葉を中西に投げかけて、それで中西がまたそれに狼狽えて、みたいなことがある。この真空という言葉、真空ということですよね、つまり空気がない状態っていうものですけど、この空気がない状態っていうのと踊りがどう関係しているのかということで、実はこの中西の「手当と復習」の中で結構引用されているのが、お渡しした参考資料の中で引用しました、『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(下)』なんです。
空気は自然の位置というものをもたず、いつもじぶんより濃密な物体の上にとまっている。暴力によらないかぎりぜったいにじぶんと接触するより軽いものの上にはとどまらない。〔Ar.205 r.〕
空気そのものは無限に圧縮できるし稀薄にすることも可能だ。〔E.47 v.〕
空気は空気のあいだをうごく。そしてうごくにつれて圧縮される。速ければ速いほど濃密になる。〔CA. 180 r.a〕
動いている空気は自己の運動の線にそうて重心を生じる。〔〃〕
『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(下)』
杉浦明平訳、岩波文庫、1958年、80-81頁
ほかにも空気についていっぱい書いている。レオナルド・ダ・ヴィンチは科学者的な側面もあったので、彼は自然をずっと観察していて、探究した結果の文章。科学論「空気」という章の中にある断章です。このあたりのこと、中西も「手当と復習」の中で引用しているんですね。だから真空というのは空間を非常に濃密にすることなので、逆に言うと、空気のない真空の状態をつくることが逆に空気を呼ぶというか、空気を自分の体に呼び戻すというか。そういうことって想像的なことではなくて、極めてリアルなこととしてあるのではないか。僕自身も自分の身体の感覚としてある。つまり空気が窒息した状態こそが、非常に逆説的に実は空気を欲して、その空気をぐっと、自分の身体に揺り戻す。しかも重心を生じるっていうことを言っていて。この辺、室伏さんが言っていること、ないし室伏さんの踊りとすごくリンクしているように思います。だからこの真空の状態というのは、要するに一回閉じるわけですけれど、その閉じた状態が外への回路を開くということですね。外への回路を開く、その媒介になるのが呼吸である。しかもその呼吸というのが、普通に動物がしている息とは違っていて言語を伴った呼吸であるということです。つまり、既に文法とか音韻によって、身体の構造って、あるいは喉の構造とかはつくられているので、言語によって構造化された身体がする呼吸ということ。フーコーが「外の思考」で「私は語る」という言葉に重要なメッセージを読み取ったと思いますが、これって、もしかしたら、「私は語る」ことによって、「私」から出てきた言葉にもかかわらず、その出てきた言葉は自分の「外」というか、外部的な物質として自分とは離れたものとなるということ。この自分の「外」に出てしまった言語と、自分の身体を媒介するのは呼吸である、息であるということと、やっぱり関係しているような気が、僕はしています。
身体の軸の読み合い、アンチ・ダンスの潜在的な空間
右と左ということで、もう一つ、わかりやすいかどうかはわからないんですが——僕はサッカーが好きなので、サッカーのことを考えていた。サッカーって、突き詰めていけば、身体、自分と相手の身体の軸の読み合いなんですね。とくにサッカーのテクニックで一番わかりやすいのは、切り返しっていう、右に行くかと見せかけて直ぐに左に行く、体やボールを運ぶ技術。これをすぱっとやられると、相手、ディフェンダーは動けない。動けないのはなぜかっていうと、身体に軸があるからなんです。身体に軸があるから、右にちょっとでも傾いたら身体が逆の方向に動くのは難しい。もっとわかりやすいのはPK、ペナルティーキックのシーン。ゴールの真ん中にキーパーが立っていて、右と左に同じくらいの空間があって、あれは本当にゴールキーパーとキッカーの身体の軸の読み合い。見るとわかると思うんですけれど、どちらかが先に体を右か左に重心を動かしたら、動かしたほうが負けなわけです。どちらかが先に動いちゃったら、相手は逆をとればよいので。逆を取られたら絶対動けないというのがある。サッカー選手というのは、意外と身体の軸ということについて大半のダンサーよりもわかっているのかもしれないと僕は思っているところがあります。
後は空間ということに付け加えて……。よく誤解して論じられていますが、舞踏というのは視覚的表象をある種の額縁舞台、絵巻物的に見る経験ではなく、逆に、なにか、ダンサーと観客のあいだにある第四の壁を取っ払った、ある一体の空間をつくる、ということで舞踏を論じる人もいると思うんですが、それは僕が言っている空間性とは全然違う。たしか越智さんが以前に書かれていた文章で、ディドロとルソーが二人とも近代の劇場空間みたいなものを構想していて、二人の違いは、ディドロが考えていたのは近代的な額縁舞台なんだけれども、ルソーはそれに反対して、広場の真ん中に、花で飾った一本の杭を立ててそこに民衆を集めるという、ある種、共同体的な空間を考えて、そっちのほうが本当の劇場なんだよということを言っていたと思うんです。視覚的なものに偏った額縁舞台と違うからといって、そういう演者と観客の境がなくなるような、お祭り的な、祝祭的な空間ではない。これは僕が言っている、室伏さんが言っているような、アンチ・ダンスの空間とは違う。あくまでも、ダンサーと観客のあいだには距離がある。ただ同時に、その上演空間の中に、ある種の全体性はもちろんあり、上演空間の全体性はダンサーの身体がつくる。しかもそのダンサーの身体が——僕にもときどき起こりますが——突然、観客の身体に忍び込んでくる、ダンサーの身体に入って来られるということがある。実際に触るということではないですよ。ダンサーの身体を見ていると、自分の身体にこう、なにかが忍び込んでくるような気がする。ある意味ではとても猥褻と言ってもいいような。これは一見すると、観客と演者の境目がなくなるようですけれど、お祭り的なものとは違って、やっぱり見ているほうの観客の想像力というものが介入、介在している。その上で、身体の交感というか、交流が起こっているので、これがお祭り的なものとは違うということだけは、一つはっきり言っておきたいと思います。
もう一つ、アンチ・ダンスの空間ということで言いますと、潜在的な空間であるということです。『アンチ・ダンス』でも書いたのですが、僕から見てつまらないのは、そのダンスの動きがあらかじめもうわかっている、つまりここからここへ動くのに、こういう動線しかないんだ、この回路しかないんだ、ないと思って動いているダンス。そういうダンスは見ていて非常に退屈なんです。でも、実際には、ここからここへ行くのにも、いろんな経路というものが考えられる。こういうふうに行ったりとか。いろんな経路がじつはあるにもかかわらず、そのいくつかの可能性を何も考えずに、単純にひとつの動きを、軌跡を選んでしまっているダンスというのは非常に退屈なんです。けれど、それに比べて、ここで言われているアンチ・ダンスの空間は——僕がいま言った潜在性というのは、結果的に選んだムーブメントの背後に、多様な選択肢が見えるんですよね——その多様な選択肢からダンサーが選んだということが見える、そういうダンスなんです。しかもそれは、いわゆる表象の正面性、額縁舞台の正面性を排している。実際には室伏さんの舞台でも、対峙して見ることが多かったわけですが、しかし室伏さんの体は正面だけ、正面的な存在だけではなくて、やはり360度、背後も含めて、いろんな身体の構成というものを秘めた、そういう存在だった。ダンスの身体、空間における、舞台空間における存在のあり方だったんだと思うんです。彼のダンスが他の舞踏と違うところは、顔で何も表現しないことだと思うんです。室伏さんはかなり意識的に、少なくとも自分のソロの時は、排していると思う。顔の表現を排するということは、舞台の正面性を排して、やはり360度の一つの潜在的な空間性というものを舞台に出現させるという意味合いもあったんじゃないかなと思います。
「背徳」と「抵抗」としての呼吸——エリアス・カネッティ、首くくり栲象
最後になりますが、呼吸するということで、やや飛んじゃうんですが、エリアス・カネッティの文章を引用して終わりたいと思います。このエリアス・カネッティという人は、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、1905年ブルガリア生まれの、スペインから追われたユダヤ人の家系の人で、その後、ウィーンに住んだ。この『断想 1942-1948』の最後に載っているのが、「ヘルマン・ブロッホ頌」という、同時代の、やっぱりユダヤ系でウィーンで活躍していた作家の生誕50周年記念の講演なんです。1936年ですので、すでにナチスが政権を取っていて、ユダヤ系の人たちにとっては非常に危うい状況が起きていた時です。
このヘルマン・ブロッホ頌は、結構長い講演なんですが、後半、突如、本人も「ここで、私が空気という物質——私たちはこれからこの物質にほとんど掛かり切りになるだろう——に話題を飛躍させることをお許しいただきたい。ことによると、これほど有り触れたものが一体どうして問題になるのか、と怪訝に思われる向きもあるかもしれぬだろう。」と話しているんですけれど、この講演の後半は全部、空気、呼吸についてなんです。作家と言われている人が呼吸についてこれだけ詳細に書いている文章を他に知らない。これはブロッホの文学について話していると同時に多分自分の文学についても話していると僕は思うのですが、「ブロッホの背徳は呼吸することなのである。」と。呼吸することが背徳だって言っているんです。つまりカネッティはここで、背徳というものに、抵抗、時代に対する抵抗という意味もどうやら含めているらしい。呼吸することが、なにか時代のシステムに対する抵抗だという、そういうことで背徳という言葉を使っている。「というのは、彼にとってつねに問題なのは、彼のいる空間の全体、一種の大気の統一性だからである。」この後、呼吸についてずっと色々話していて、その最後の文章を引用します。
私が最後になお語りたいのは、呼吸の無防備性についてである。人はそれについて十二分に理解することは困難である。人間はいかなるものに対しても、空気に対するほどには無防備ではない。空気の中では人間は依然として楽園の中のアダムのように、純粋無垢に、悪しき動物のことなど気にもかけずに歩き回る。空気は最後の入会地である。それは万人に等しく配り届けられる。それは割り当てられているわけではなく、いかに貧しい者でもその一部を受け取って差支えない。よしんば誰かが間違いなく飢え死にする羽目に陥ったとしても、彼はそれを——確かに僅かなものであろうが——ともかく最後の瞬間まで呼吸することだろう。
そして、私たち全員の共有する所となっていたこの最後のものが、私たち全員に共通の毒を盛ろうとしている。私たちはそのことを知っているが、しかしまだそのことを感じてはいない。というのも、私たちの芸術が呼吸することではないからである。
ヘルマン・ブロッホの作品は、戦争と戦争の間に、毒ガス戦争と毒ガス戦争の間に佇立している。ことによると、彼は今でも最近の戦争の有毒な粒子をどこかに感じているかもしれない。もっとも、これは信じがたいことであるが。しかしながら次の点だけは確かである。私たちよりも上手に呼吸する術を知る彼が、今日すでに毒ガスのために、彼を除く私たち全員の息の根を——いつ初めてそうなるかは分からぬが——止めるであろう毒ガスのために窒息していることだけは。
エリアス・カネッティ「ヘルマン・ブロッホ頌 生誕五〇周年記念講演、ヴィーン、一九三六年一一月」『断想1942-1948』
岩田行一訳、法政大学出版局、1976年、271-272頁
これは要するに、アウシュヴィッツ以前の講演なので、すごく戦慄しちゃうんです。もちろん毒ガスは第一次世界大戦で一番最初に使われたわけですが。1936年だから、まだ第二次世界大戦が本格的に始まってはいない。でもこの時期にこういうことを書いていて、しかも毒ガスのために窒息していくという、ユダヤ系の人たちの運命を暗示するようなことが書いてあるということは、驚きなんです。これは90年くらい前の文章なんですが、なにかそういう時代の状況が——トランプが大統領に再選されたからというわけではないですが——なにか時代がまた戻ってきている感覚を僕は受けたので、この呼吸ということ、呼吸することが一つのレジスタンスである、背徳であるというところには、なにかとても現代性がある。
もう一つ付け加えると、室伏さんの3年後に亡くなった首くくり栲象さん——ずっとパフォーマンスとして、自分の庭で首吊りをやっていた人です、ここ〔Shy〕にも室伏さんが亡くなってから何回か来たことがありますし、室伏さんと仲が良かったと思いますが——について僕は2年前に文章を書いたことがある(https://bigakko.jp/blog/takuzo2022_09takeshige)
。その中で引用した文章なんですが、栲象さんって、実は、舞踏の批評も書いていた人なんですよ。武内靖彦さんという舞踏家がいるんですけれど、武内さんの舞踏について、こういうことを書いている。
武内靖彦の呼吸器は遊牧民のいのりにかかわっていると思う。というのは私が呼吸器を罪と罰みたいなものと勘ぐっているゆえ都会ではどだい呼吸の基盤そのものからしてすくいようもない代物とたかをくくっているからだ。
古澤栲「第2楽章舞踏巡礼記」の武内靖彦『舞踏會の手錠―鏡裏の染』公演評『テルプシコール通信』No.39、テルプシコール編集室、1992年11.12月号、11頁
カネッティの文章を読んだ時、首くくり栲象さんのこの文章のことが……。彼があんなに首吊りということにこだわったこと、あれも、もしかすると、室伏さんと全く手段は違いますけれど、ある死体っていう状況を人工的につくることによって、逆説的に、やっぱり呼吸をしてわれわれは生きている、ということを認識させようとしていたんじゃないかと思います。
Infomation
Shyでの討議から成立した論集『アンチ・ダンス』を踏み台に、それを「踏みはずす」思想のダンスを追求します。ドゥルーズ生誕99年でもあり、室伏鴻の愛読したドゥルーズにちなむ語り、対話が続きます
日時
11月16日(土) 16:00〜
会場
室伏鴻アーカイブShy
Profile
竹重伸一
Shinichi Takeshigeダンス批評家。著書に、『アンチ・ダンス 無為のコレオグラフィー』(共著、水声社、2024年)。「テルプシコール通信」「DANCEART」「図書新聞」「シアターアーツ」等にダンス・演劇・美術評を寄稿。現在、「テルプシコール通信」にダンス論『来るべきダンスのために』を連載中。