Ko Murobushi Exhibition

Faux Pas/踏み外し

ウィーン、東京│2024 » 2026
2024.11.24
シンポジウム

ドゥルーズ哲学における非有機的〈生〉と時間──アルトーと映画における身体の問題をとおして

築地正明

01

私がここで試みたいのは、ドゥルーズの映画論の第二巻『時間–イメージ』(一九八五年)をひとつの核として、アルトーの「器官なき身体」とドゥルーズ哲学における「生」の概念についてあらためて考えてみることである。そのための糸口となったのは、宇野邦一の二部作『非有機的生』(二〇二三年)と『パガニスム 異教者のエティカ』(二〇二四年)である。
 問題へと入っていく前に、ごく簡単に私のアルトーに対するスタンスを示しておいたほうがよいと思われる。
 長いあいだ、アルトーの残した異様な言葉の諸断片は、私にはとうてい近づきがたいものであり続けた。それは今も基本的に変わっていない。かつて精神分裂病と呼ばれ、やがて統合失調症という名に変更されることになった病をふくめた過酷な体験をとおして刻まれてきたそれらの言葉は、「共感」のような甘い通路や入口をあらかじめ峻拒している。くわえて、アルトーの体験および言語は、あまりに、あまりにも特異な事例で、あらゆる意味での一般化を拒絶しているようにも見える。とりわけ「神の裁きと訣別するため」に書かれる、凄絶を窮めたような言葉の破片や叫びや咆哮は、依然として相応の拘束力、強制力、支配力を保持していたであろう二十世紀前半のキリスト教勢力、ヨーロッパ社会におけるカトリシズムの在り方、権力の様態をできるかぎり現実的なものとして想像できないのであれば、とうてい理解できるはずもないように思われた。同時代にルイス・ブニュエルは、カトリシズムを徹底してこきおろす内容の『黄金時代』(一九三〇年)をフランスで撮ってスクリーンに爆弾を投げこまれたというが、その後五十年にわたって作品は上映禁止となったそうだ。無神論者の哄笑、創作は、いわば命がけだったわけだ。
 アルトーもまた、当時のキリスト教社会との凄まじい緊張関係のなかで、全身を賭けて闘わねばならなかったはずだ。いずれにしても、アルトーについて無知な私が、かれに対していだいてきた漠然として摑みがたいがゆえに、それなりに執拗でもあった臆見、先入観が、ある意味でするりと壊されたのは、宇野邦一のエッセイを読んだことによる。そこには、アルトーの「危機」についての次のようなくだりがある。──「この危機は、ある未知の身体の発見とともにあった。この身体は、分厚い、不透明な岩石凍結した隕石扱い難い自動人形のように、麻痺し、凝固し、あるいは故障し変調をきたした機械のようなものである」(強調は原文)[*1]。それは「もはや器官をもたない虚無」の体験であったとアルトーは述べているが、この奇妙な表現については、のちほどまた戻ってくる[*2]
 私はそれを何気なく読んでいて、思いあたることがあった。すなわちアルトーの問題、より厳密にはアルトーにおける「身体」の問題=危機は、たしかにまったく特異なもの、異様なものではあるが、ある意味ではけっして異例な、例外的なものではない。それどころか、──身体をその諸器官とともに厳格に分節し、規定し、支配し、統御してきた神学的、医学的伝統のあるキリスト教圏の人びとにとってはとりわけそうだとは思うが──ある意味ではあらゆるところで誰にでも生じうる問題=危機でもあるのではないか、という発見だった。そのとき私は、ロッセリーニの映画『ヨーロッパ一九五一年』のヒロイン(イングリット・バーグマン)の身体とその運命のことをあわせて考えていた。同作のヒロインの身体をめぐる一連の問題は、ドゥルーズの『時間–イメージ』(一九八五年)のなかでももっとも重要なモチーフのひとつではないかと思われるのだが、そのことは、同書のなかでこの作品がくりかえし言及され、一連のロッセリーニ作品とともに、同作が「現代映画」の最初のもののひとつとして提示されていたことからもわかる[*3]
 では、相対的にはマイナーで、それほど注目もされていなかったこの作品に、ドゥルーズはなぜかくも大きな重要性を認めていたのだろうか。それは、おそらくこの作品におけるヒロインの変貌が、またその過程における身体の新しい誕生とその後の受難が、アルトーにおける身体の問題に深いところでつながっていたからである。このことに関しては、のちほど『時間–イメージ』第7章「思考と映画」とともに詳しく見る。ここではひとまず、『ヨーロッパ一九五一年』のヒロインもまた、彼女が経験したひとつの「危機」の過程で、みずからのうちに、「ある未知の身体の発見」をしていたと考えられるということを確認しておきたい。そしてその身体とは、アルトーが苦痛とともに体験し、発見し、記述していたものを想わせる「分厚い不透明な岩石凍結した隕石扱い難い自動人形のように、麻痺し、凝固し、あるいは故障し変調をきたした機械のようなもの」であったのだ。
 ところで、バーグマン演じる同作のヒロインを「自動人形」に最初に喩えたのは私ではない、ドゥルーズである。それについてもやがて見る。もちろん、同作のヒロインとアルトーのケースとでは、「ある未知の身体の発見」にいたるプロセスは同じものではないし、互いにまったくもって似ていない。アルトーにおいてそれは、かれ特有の「恐るべき精神の病」とともに発見されたのであり、その発見の経緯と内容をアルトーは詳しく記述している[*4]
 だがそれにしても、アルトーとバーグマンの身体とは、異様な連結、ほとんど無理な関係づけではないかと、一見思われるかもしれない(そもそも実在する人物の体験を映画のヒロインと対比することが奇妙に思われるかもしれないが、さしあたりそのことはドゥルーズにとって問題ではない)。『ヨーロッパ一九五一年』を観たとして、人はヒロインのことを、おそらくまちがっても「扱い難い自動人形」や「故障し変調をきたした機械のようなもの」とは思わないだろう。むしろ、ロッセリーニが企図したように、慈悲と慈愛に満ちた女性、ほとんど現代の聖女のごときものへと変貌したひとりの女性のすがたを、彼女のうちに認めるだろう。しかしそれは、まちがいではないとしても、ある意味ではごく一面的な捉え方にすぎないとも考えられる。
 ロッセリーニの同作のヒロインの場合、彼女にはまず、知覚と感情と行動を緊密に結びつける基本的な行動図式、習慣によって強化された身体の行動モデルがあらかじめ存在していた。すなわちそれが「感覚=運動図式(le shème sensori-moteur)」[*5] と呼ばれるものなのだが、それは彼女のうちで、ほとんど自動的に作動しているものであり、多忙で、有能で、優雅な、社会的地位の高い、つまりどこにでもいそうなブルジョワ夫人がこうしてひとり出来あがる。ところが彼女は、そうした図式を逸脱し、崩壊させる視覚と聴覚をめぐる圧倒的な体験を経て、「ある未知の身体」の発見へと至るのである。
 その一連の新たな体験こそがヒロインにとっての「危機」であったわけだが、このように知覚を適切な行動へと送りかえす働きをする身体の「感覚=運動図式」が失調してしまうことは、機械の故障や変調をきたした状態に十分に喩えることができる。実際、映画のなかでヒロインは、それまで彼女を理解し、支えてきた夫をはじめとする近親者たちから、次第に理解しがたい人物、手に負えない、扱いがたい奇妙な人間と見なされるようになる。彼女は、優秀なブルジョワ夫人としての社会的規範やふるまいからはずれていき、ほとんど常軌を逸した思考と行為をおこなう者として、最終的には精神病院(もしくは狂人を隔離収容するための施設)に監禁されるに至る。ついに、社会にとって本物の危険人物、精神障害者、狂人と見なされたわけである。それは彼女における「未知の身体」の発見が、アルトーにおいては「恐るべき精神の病」の体験とひとつであったことと類似するのではないが、どこかで呼応するように見える。
 しかしこのときほどヒロインが、真に自由で、生命と愛に満ちていて、錯乱、妄想、狂気といったものから遠くはなれていたことはなかったとも言える。実際にそのことをはっきりと見て取っていたのは、彼女が郊外の団地やスラムで出会った貧しい女性や子供たちである。反対に、彼女を隔離し、監禁する、正気、正常とされる者たち、すなわち現行の社会の維持者であり代表者たちであるブルジョワの夫、親類、警察、検察官、神父、医者たちほど狂気じみて見える者はいないとも感じられる。ここには、ロッセリーニによるひとつの価値の顛倒が認められる。すなわち、社会制度的に正気、正常、正義等々と見なされてきたもの(社会組織における良識、道徳)が、一挙におぞましい狂気じみたもの、生を囲いこみ圧迫するもの、それ自体病んだものと化し、逆に狂気、錯乱、逸脱、病として排除されるもののうちにこそ、真の健康、生の躍動のごときものが認められる。このような逆転は、根本のところではアルトーの体験においても同じではなかったか。
 だがこうした価値の顛倒は、そもそも具体的に何によってもたらされたのだろうか。バーグマン演じるヒロインにあっては、それは彼女のブルジョワ夫人としてのそれまでの行動を規定していた「感覚=運動図式」を崩壊させる、視覚と聴覚にかかわるシーニュ(サイン、徴(しるし))との強烈な出会いをとおしてであった。もちろん、そうしたシーニュとの出会いに至る前に、大前提として彼女にとってはもっとも耐えがたかったであろう事件、すなわち彼女のひとり息子の、自殺とおぼしい転落事故による死があった。しかし息子の死の時点では、彼女はただ打ちひしがれ、考えることも行動することもできない状態であったにすぎない。その後、自分の生活を見つめなおすために頼った従兄弟の男が、共産主義的な思想、階級間闘争による社会変革の思想を吹き込もうとして、彼女に労働者階級の貧しい人たちを紹介することになるが、それも彼女にはひとつのきっかけを与えただけにすぎない。
 変貌は、あくまでシーニュとの出会いによってもたらされる。すなわちヒロインは、ある成り行きから「工場」へと労働者のひとりとして働きに出向くことになるのだが、その場所は、「工場」という名で自分が知っていたものをはるかに超えた何ものかとして現れ、彼女を心底から圧倒し、打ちのめす。彼女は、そこではじめて眼にした光景、工場のサイレンや機械の立てる爆音に衝撃をうけ、ほとんどまともに行動することができない。いわば麻痺し、凝固し、石化してしまう。しかしそのぶん、彼女はよりいっそう事物を見、そして聞く、「見者」の状態に置かれることにもなった。行動をうばわれたこの純粋な「見者」の状態、あるいは体験こそが、ヒロインをある未知の存在へと変貌させる本質的な契機となるのだが、彼女の本当の受難(=試練)がはじまるのも、まさにそれからである。
 彼女は、息子が自死に至る以前の自分の生との断絶を身をもって生き、自身の生をまったく新たに作りなおそうとするかのように、貧しさや生活の苦しみによって打ちひしがれた人びとを救済すべく、自身にできることのすべてを行なうようになる。あたかもヒロインは、アルトーが発見したものに、まったく別の独自の経路をとおって近づいていったかのようなのだ。
 ──「私は生を信じる、私がうちたてることのできるあらゆる体系も、懸命に自分の生をつくりなおそうとしている人間の叫びにはけっして匹敵することがないだろう……」[*6]

02

では当のアルトーの体験は、いかなるものであり、それはかれに何をもたらしたのであったか。かれは自身の体験について、「もはや器官をもたない虚無」という奇妙な表現をもちいて記述していたが、そのあたりの事情について宇野氏は次のように書いている。
 「自動的に作動するかのような有機的組織や均衡は、身体においても精神においても崩壊したが、しかしこの「器官をもたない虚無」の体験は、奇妙に強度な生命力の発見を、有機的秩序の外部の生命力の自覚をともなっている。アルトーの「器官なき虚無」は、「器官なき身体」、「器官なき生命」に連鎖していく。これらは、後に指摘されるようになる「生権力」(フーコー)に対する潜在的な対抗概念として捉えることができる。「器官なき身体」は、アルトー独自の生の感覚、生への信頼(croyance)に対応し、それに裏打ちされている」[*7]
 それだけではない。「アルトーの演劇、映画においても、あらゆる実験は、この器官なき身体の試練と発見に促され、動機づけられている」と宇野氏はいう[*8]。すなわちアルトーのあらゆる表現の核心は、この「器官なき虚無」の「体験」に凝縮されてあったと考えられるわけだが、ただしそれは、「発見」であると同時に「試練」でもあったことに注目しなければならない。まず、ここで「有機的組織や均衡」と呼ばれているものは、生物全般に認められるだけでなく、一般の社会とその構成員によって形成されているものでもある。また、そのように有機化=組織化オーガナイズされたものこそを、しばしば人は、生命そのものであるかのように思いなしてさえいるだろう。現に、個体としての生物はそのような特徴を示しており、「有機的組織」は意識とは関係なく、ほとんど「自動的に作動」してもいる。しかしアルトーの苦痛にみちていたであろう体験=試練は、まさにそのような「有機的組織や均衡」こそを崩壊させるものであったと考えられる。その崩壊をとおしてはじめて垣間見られたのが、「有機的秩序の外部の生命力」にほかならない。
 ここにも、生、生命にかんする一般的な観念、常識の顛倒が認められる。すなわち、ここで語られている「生」とは、生物学的な個体やその有機的組織の内部にあるのでも、それと同一視されるべきものでもない。むしろそうしたすべての「外部」にある何ものかにほかならないということだ(それはたとえ内側にあってさえ絶対的に外に属する)。したがってそれは、あらゆる意味で個体ではなく、むしろ個体化をもたらしたり、あるいは逆に個体を解体したりする〈力〉でさえあるだろう。まただとすれば、それ自体は知覚不可能なものであり、超越論的なものでもあるはずだ。「有機的秩序の外部の生命力」とは、したがってこの世界、大地に満ちわたっている何ものかであり、それは権利上、宇宙論的な拡がりさえもつと考えられる。論文「器官なき身体の過程」では、「強度の波動」、「純粋な強度」、「無機的な強度の生命性」といった表現が、宇野氏によって縦横にドゥルーズのそれぞれ異なる対象を論じた複数の著作から引かれているが、それらはいずれも、「有機的秩序の外部の生命力」と異なるものを指しているわけではないだろう[*9]
 アルトーにおける「ある未知の身体の発見」とは、「器官なき虚無」、「器官なき身体」の発見のことであり、それが「器官なき生命」でもあるのだとすれば、それは、その器官なき身体=生命=虚無を文字通り体験すること、生きることという「試練」でもあったわけだ。すなわち「器官なき身体」とは、有機化=組織化された身体をつらぬく諸力であり、「強度の波動」、「純粋な強度」等々であり、それ自体はけっして知覚されず、無傷のまま生きられるものでもない。なぜならそれは有機的秩序を解体し、崩壊させさえするかもしれない「無機的な強度の生命性」であるからだ。それでもなお、それを生きるということは、不可能なものをめぐる「試練」であり、想像を絶する「苦痛」であり、「残酷」そのものでさえあるはずだ。しかしそこから、有機的組織化が生物にもたらす自動性(習慣、習性)とは根本的に異なる、故障し、変調をきたした機械にも似た「扱い難い自動人形」のイメージが出てくるのではないか。そしてそれこそが「未知の身体」であり、その未知の身体がいったい何をなし得るのかをわれわれは知らない……

 ところで『時間–イメージ』のなかでドゥルーズは、ほとんどの場合「精神的」という語と組み合わせてしか「自動人形」という語を用いていない(そのほかにもかれは、「心理的な」、「心的な」とも形容しているが、それらの明確な区別はなされていない)[*10]。そこには、スピノザやライプニッツへの目配せがあるようだが、端的には現実に存在する、その名で呼ばれる玩具のたぐい(オートマタ、オートマトン)と、生命的、心的なそれとの差異をはっきりさせるためだと考えておいていいだろう。重要なのはドゥルーズが、「精神的自動人形」に、いわばふたつの極限的な形象を認めていた点である。すなわち一方の極みとして、ヒトラーおよびヒトラー的なものにつき従う群衆、ヒトラー=リーフェンシュタール的な自動人形があり[*11]、そして他方の極みに、いわばロッセリーニ=バーグマン的な自動人形がある、という具合に。そして後者の系列に、たとえばブレッソン、ドライヤー、あるいはロメール、ゴダールといった映画作家たちのヒロインが合流することになるとドゥルーズは見ていた。注意しておきたいのは、その「精神的自動人形」の極みの一方は、戦前の「運動–イメージ」に、他方は戦後の「時間–イメージ」に結びついているということだ。すると『ヨーロッパ一九五一年』のヒロインは、一方のイメージの体制から他方のイメージの体制への移行を、文字通り体現していたことになる。いいかえるならヒロインは、彼女の変貌以前、つまり「未知の身体」の発見以前は、その行動力、知性、有能さにおいて、あきらかにリーフェンシュタールに近い人物であったことがわかる。ただしその有能さは、男性中心的な社会権力機構、組織、およびそれが課してくる良識への従順かつ積極的な奉仕や協力と一体をなしていた。まさにリーフェンシュタールの天才が、あくまでヒトラーとナチスの美学に忠実だったように[*12]。ロッセリーニ=バーグマン的な「精神的自動人形」は、そうした意味での行動力、知性、美学の崩壊とともにしか絶対に可能とはならない。
 『時間–イメージ』第7章「思考と映画」のなかでドゥルーズは、『ヨーロッパ一九五一年』の系譜にある、もうひとつの例として、ドライヤーの『ゲアトルーズ』(一九六四年)を今度は引き合いに出してみせる。そしてよりいっそう直接的に「アルトーにはドライヤーと共通性があったのだろうか。ドライヤーとは、いつも不条理なものの力で、理性を「取り戻した」のかもしれないひとりのアルトーだったのか」と問うている[*13]。そこでドゥルーズは、アルトーにおける「思考の無能力」をめぐる問題を独自に展開したヒロイン、ゲアトルーズの「思考不可能なものとの出会い」について次のように指摘している。それは「世界との絆のたえまない断絶」であり、「取るに足りない日常性における耐えがたいものそれ自体の把握」であり、「思考不可能なものの思考として、信じることを意識するようになるヒロインの石化、「ミイラ化」」であると。そうしたすべての危機をとおして、ゲアトルーズはただ愛することのみを信じる、未知の身体をみずからのうちに発見する。あるいはすでに(十代のときの詩のなかで)自分がそれを発見しており、生涯をとおして発見し続けていたことを悟る。
 「こうしたあらゆる意味で『ゲアトルーズ』は、新しい映画を確立し、それにロッセリーニの『ヨーロッパ一九五一年』が続くことになる」。すなわち「『ヨーロッパ一九五一年』のヒロイン、やさしさに輝くミイラ」[*14]
 「ミイラ」という語は、ドライヤーの登場人物たちの特徴を表現する批評概念なのだが、ドゥルーズによればそれは、ひとつにはアルトーに由来しており、同じ一節の先行する箇所で、「精神的自動人形は〈ミイラ〉となり、あの解体され、麻痺し、石化され、凍りついた心的力域となり、「思考することの不可能性という思考」を証言する」と述べて、両者をほぼ同一視している[*15]。そのことを踏まえて、ドゥルーズがここで、制作の順序をおそらく意図的に無視して、内容的にも大きく異なるふたつの映画のヒロインを結びつけていることが注目される。というのも、これらふたりのヒロインの根底には、アルトーにおける「未知の身体」の発見とつうじるものがあったと考えられるからだ。そしてそれは「生」そのもの、「愛」そのものと言えるような何かである。ヒロインたちを取りかこむ男性的な社会的組織は、それらを閉じこめ、抑圧し、都合よく飼いならすものとして一貫して機能している。一方、彼女たちが見出し、かつ彼女たちの有機的で有限な身体をつらぬいていたのは、まさにそうした「有機的秩序の外部の生命力」にほかならなかった。

03

ここで、ドゥルーズにおける「非有機的生」の概念の歴史をごく簡単にふりかえっておきたい。そうすることで、いかにドイツの美術史家ヴェルヘルム・ヴォリンガーに由来すると考えられるこの概念が、最終的には、一方でベルクソン的な「時間」の別名にまですがたを変えて現れつつ、他方において、アルトーの「器官なき身体」の概念と結合して、それとほとんどひとつになるか、というその経緯もわかるはずだからだ。
 ヴォリンガーの名とともに「非有機的生」にかかわる記述がドゥルーズの著書に最初にあらわれるのは、『千のプラトー』(一九八〇年)後半の、金属や冶金術をめぐるつぎの箇所だと思われる。
 ──「要するに、金属と冶金術によって日の目を見るのは、物質に特有の生であり、物質そのものの生命状態であって(une vie propre à la matière, un état vital de la matière)、おそらくいたるところに存在しているものの、普通は質料形相論的モデルによって分離され、隠されるか覆われるかして認めがたいものになっている物質的生命性(un vitalisme matériel)なのである」。つまりこうしたすべての意味において、「非有機的〉(une Vie non organique)という驚異的な観念──ヴォリンガーが北方の蛮族特有の観念と考えたもの──は冶金術の発明であり、直観なのだ。金属は物でもなければ有機体でもなく、器官なき身体物体un corps sans organes)なのである。「北方的ないしはゴシックの線」とは、何よりもまず、この器官なき身体=物体を縁どる鉱物的で金属的な線なのである」(強調は原著者たちによる)[*16]
 こうしてみるとドゥルーズ=ガタリは、この「非有機的〈生〉」という観念をヴォリンガーから引きだしてきた瞬間に、はやくもそれを、特定の美学美術史的文脈から引き剝がして(ただしもともとの意味合いははっきり残しつつ)、かれら独自の哲学概念の構成要素へと接合し、変身させていることがわかるだろう。
 そしてドゥルーズ=ガタリは、ヴォリンガーの述べる「北方的ないしはゴシックの線」のもつ非有機的で物質的な生命性について、それを有機体、有機的組織と鋭く対立させることによって次のようにも述べている。すなわち、ヴォリンガーのいう北方的なゴシックの線において「すべてが生き生きしているのは、すべてが有機的で組織されているからではない。それどころか反対に、有機体とは生を横領するものなのだ。要するに、非有機的な、強度の芽吹く生、器官なき強大な生、器官をもたないだけになおさら生き生きした〈身体〉、諸々の有機体のあいだを通過するすべてのもの」[*17]、そうしたものこそが、ヴォリンガーの「線」の本性だとかれらは言うのである。
 ただしドゥルーズ=ガタリはここで、ヴォリンガーを援用することによって単に「生」の概念を鉱物や金属といったものにまで拡張しているのではまったくない。そうではなく、「生」の概念を従来のそれ(有機体や有機的組織)から完全に切り離して、そこにまったく異なる意味を注入しているのである。そして反対に「有機体」こそを、生を横領するもの、つまり生を占有し、生を幽閉するものとかれらは見なすのだ。そして重要なのは、ここでかれらが、ヴォリンガーに由来する「非有機的〈生〉」の観念を、くりかえしアルトーの「器官なき身体」とはっきり結びつけ、両者を合一させている点である。
 続いて、今度はベルクソンとの関係で、これと同じような「非有機的生」概念の生成変化が、『運動–イメージ』と『時間–イメージ』において認められる。まず『時間–イメージ』第3章には、二種類の描写を対比する文脈で、「有機的(organique)」と「非有機的(inorganique)」というつい概念が出てきており、『ヨーロッパ一九五一年』がその具体例として示されていた[*18]。あきらかにそこでの「非有機的」(な描写)とは、次の第4章「時間の結晶」へと続く文脈から考えて、「結晶」概念につながるものであり、実際にのちの第6章では、「有機的体制」と「結晶的体制」との対比のもとで、「有機的」描写と「結晶的描写」としてあらためて語られていた[*19]
 ただしここまでは、基本的に映画のふたつのタイプを分類する説明原理として、有機的/非有機的(あるいは有機的/結晶的)が用いられているに過ぎない。しかし『時間–イメージ』第4章には、ベルクソンの論文「現在の記憶内容と誤った再認」(一九〇八年)を、かなり独創的なかたちで注釈する次のような重要な一節がある。──「結晶のなかには、時間のたえまない創設が見える。それは非時系列的な時間であり、Chronos〔ギリシア語の時間〕ではなくCronos〔ギリシア神話におけるウラノス(天の神)とガイア(地の神)の子〕である。それは世界を抱擁する非有機的〈生〉の力なのだ(On voit dans le cristal la perpétuelle fondation du temps, le temps non-chronologique, Cronos et non pas Chronos. C’est la puissante Vie non-organique qui enserre le monde)」[*20]
 ここでドゥルーズは、「時間のたえまない創設」、「非時系列的な時間」を、「非有機的〈生〉の力」と呼んでいる。これは、『時間–イメージ』全体のある意味でもっとも重要で、本質的なテーゼのひとつであるとも言えるはずである(それにこの「クロノス(Cronos)」は『意味の論理学』における「アイオーン」を包摂するものですらあるのではないか?)。「生」の頭文字がここでは、『千のプラトー』での初出時と同様、大文字で記されており、これは「強大な、非有機的〈生〉」と訳すこともできるだろう(ちなみに英訳では“the powerful, non-organic Life”となっている)。これはもはや、映画論の範疇にとどまる議論ではまったくなくなっていることに注意しなければならない。ドゥルーズはここで、「非有機的〈生〉」とベルクソン的な「時間」概念とをひとつに重ねあわせ、結合させているのである。すなわちドゥルーズにとって、ひとつの概念とはそれ自体がある種の「非有機的生」であるだけでなく、複数の概念のコラージュであり、アレンジメントでもあるのだ。

 二冊の映画論の内部での、この概念の変遷を簡単に記述しておこう。最初ドゥルーズは、『運動–イメージ』で、ヴォリンガーを参照しながら「非有機的な生の強度(l’intensité de cette vie non-organique)」[*21]という言葉を使っていたが(ここでは小文字)、その時点ではそれは、ゴシック様式ないしヨーロッパ北方の装飾的な線を解釈するものであり、ドイツ「表現主義」の映画の特徴を浮き彫りにするために用いられていたにすぎない。それは「事物の非有機的生、すなわち有機体の節度と限度を知らない恐るべき生(La vie non-organique des choses, une vie terrible qui ignore la sagesse et les bornes de l’organisme)」であり、「表現主義の第一原理」をなすものであるとされていた[*22]
 このように、ドゥルーズは『運動–イメージ』の時点では、「非有機的生」をきわめて限定された意味でしか使っていなかったことがわかる。ところがそれは『時間–イメージ』において「結晶」と「時間」に結びつけられたことで、完全にその限定を取りはらわれ、最大限拡張された意味で用いられることになったと言える。こうしてドゥルーズにおいては、概念さえもがひとつのイメージの体制からもうひとつのイメージの体制へと移行し、変貌し、生成変化する。
 もちろんこの概念の出典となったと考えられるヴォリンガーに、それを「時間」と同一視する視点などどこにもない。それゆえ「非有機的〈生〉」は、そこにアルトー(「器官なき身体」)、ベルクソン(「時間」)が加えられた、ドゥルーズ独自の概念のアレンジメントであると結論づけることができるだろう。

04

これまで、ドゥルーズの哲学における「生」の概念をめぐって、根本的な誤解がなされてきたのではないか。ドゥルーズにとって「生」とは、本質的に言って、有機体のことでも、有機的に組織化されたもののことでもない。有機体や有機的生命という観念そのものが、ある意味ではドゥルーズ哲学にとっては闘うべき敵であったのだ[*23]。ドゥルーズ哲学における生とは、それ自体において非有機的なものであり、単に無機的であるというよりむしろ、有機的に組織化されていないものすべてをふくめた意味で「非有機的」と称すべき何か(力、強度、波動等々……)であったと考えられる。
 したがって「器官なき身体」とは、有機体としての身体の側から見たときにのみ死を意味し、死をもたらしうる圧倒的な力であるということができる。ドゥルーズがマゾッホ論、や『差異と反復』(一九六八年)で論じた「死の本能」(フロイトの「死の欲動」ではない)は、そのような意味での「器官なき身体」に直接かかわる[*24]。ところが逆に、「器官なき身体」の側から見るなら、それは「死」などではけっしてなく、むしろ「生」そのものを意味するはずである。つまり「生」とは、無機的なものもふくめた非有機的なものである[*25]。この観点において、おそらくフロイトの誤りとは、「死の欲動」を無機物としての物質性への回帰(願望)を意味するもののごとく考えたことにあり、ドゥルーズは、フロイトのように、あるいは常識におけるごとく、有機的な身体、有機化された個体を「生」と見、無機物を「死」と見るのではなく、むしろまったく別に、有機組織のうちにあってさえ、なおも有機化されざるものの秘められた部分、そうした意味で非有機的なものの力の総体こそを、本質的な意味での「生」と見ていたのである[*26]
 最後の論文「内在性──ひとつの生」(一九九五年)によって、ドゥルーズは、ある種の古典的な生の哲学に回帰したかのように見なした者がいたかもしれない。しかしまったくそうではないのだ。たしかにかれは自身の哲学を、すべて「生気論(vitalisme)」だと規定していた(「私が書いたものはすべて生気論(vitaliste)だった、と自分では思っています」……[*27])。だがそれは、厳密には「非有機的〈生〉」の生気論なのであり、単に動物的で植物的なそれではなく、結晶的で、金属的で、鉱物的で、宇宙論的ですらある「生気論」なのであって、アルトーの「器官なき身体」、「器官なき生命」、または「器官なき虚無」に過激なまでに忠実であるかぎり、そこには逆説も矛盾も一切ない。そこにあるのは徹底的に特異な「生」、非有機的な「生への信頼」であって、それ以外の何ものでもない。
 まただからこそ、宇野氏の次の指摘は重要である。「それにしても確かなことは、ドゥルーズにとって問題は、決して精神–物質(身体)の二元論ではないことである。身体と非身体は決して対立概念ではない」[*28]。同じように、ドゥルーズにとって「生」と「非有機的」なものはけっして対立概念ではない。むしろ、「生」と「有機体」こそが、ある場合においては鋭く対立するのだ。
 なるほど、たしかに生物の多くは「有機体」というかたちを取っており、有機化し、自己組織化することで、より複雑かつ多様な進化を遂げることができたと考えられる。すると動物の、とりわけ人間の脳はいわばその精華であり、それは究極の「有機体」であるようにも見えるだろう。だが、と『哲学とは何か』のなかでドゥルーズは次の点をはっきりと強調している。
 「有機体すべてが脳化されているのではないし、それにあらゆる生が有機的であるわけではない。しかしいたるところに、ミクロの脳あるいは事物の非有機的な生を構成する諸力があるのだ(Tout organisme n’est pas cérébré, et toute vie n’est pas organique, mais il y a partout des forces qui constituent des micro-cerveaux, ou une vie inorganique des choses)」[*29]
 ドゥルーズはここで、たとえ「有機体」や「有機的」なもののうちにあってさえ、真に創造的で、新しさをもたらしうるものは、すべて有機体の内部の、あるいは有機体をつらぬく「非有機的生」の「諸力」の側にあると言っているかのようである。そうした「諸力」は、「事物の非有機的な生を構成」し、それによってこそ有機体は、新たなものへとみずからをつくりかえ、変貌していくことができるのだと。それだけではない、「有機体」の、とりわけ「脳」の内部は、知覚することも対象化することもできない「中間域」、「ニューロンの間隙」、シナプスの「切断」や「空隙」、「裂孔」、「合–間」等々で充たされており[*30]、それらこそが、「ミクロの脳」として、あるいはまさに「事物の非有機的な生を構成する諸力」として運動=存在しているということだ。だがそうした「諸力」は、「脳」だけに局所化されるわけではないだろう。それは「有機体」のいたるところをつらぬいているはずだ。
 いわゆる生物多様性は、様ざまなレヴェルでの、諸有機体間および無機物の間の複雑な交流、それらの間で獲得され、更新される暫定的な均衡や調和をとおして具現化されていると考えられる。だがその一方で、すでに構成ずみの有機体は、生にとっては──生そのものが獲得し、形成していったものであるにもかかわらず──、ある種の監獄であり、囲いであり、限定にほかならないとも言える。そこからせめぎ合いが必然的に生じる。生と死の間でではない、生そのものと有機体の間においてである。「生」には、みずからが暫定的に獲得したもの(=諸器官、有機組織)をさらに突き破ってもまだなお躍進していこうとするところがある(死の本能)。だからそれには、どこかベルクソンの「エラン・ヴィタル(生の飛躍)」やニーチェの「力への意志」を思わせるものがふくまれているようにも見える。ドゥルーズにおいて重要なのはしかし、それが、われわれの思考と言語活動にまで深く浸透しているということだ。一九八八年の「哲学について」と題された対話のなかで、かれはこう語っている。
 「書くという行為には、生そのものを個人を超えた何かにつくりかえよう、生が閉じ込められていたら、そこから生を解き放ってやろうという明確な意図があります。芸術家や哲学者はしばしば健康状態がすぐれなかったり、からだが弱かったり(un organisme faible)、心的な均衡がうまくとれていなかったりしますね。スピノザ、ニーチェ、ロレンスのように。けれどもかれらをついに打ちのめすのは死ではなく、むしろかれらが見つめ、身をもって知り、思考しぬいた生の過剰なのです」[*31]
 そしてそれは「かれらにとっては大きすぎる生かもしれない」とドゥルーズは述べ、こう結論する。「シーニュ、出来事、生、生気論のあいだには深いつながりがあります。それこそが非有機的生の力(la puissance d’une vie non organique)なのであり、それが絵画や文章や音楽の線のうちにも宿るのです」と。しかもかれは、ただちにそこで、「死んでしまうのは有機体であって、生ではない」ことを強調する[*32]。そう、ドゥルーズにおける「生」という概念は死をまったく知らないし、みずからのうちにふくんでさえいないのだ(絶対的内在性)。

 ドゥルーズは、これを最後というように『哲学とは何か』でふたたびまったく同じテーマをもう一度取りあげて、念をおすようにして書いている。すなわち芸術家、「かれは生のなかに、何かあまりにも大きなものを、またあまりにも耐えがたいものを、そして、生を脅かすものとその生との密着を見てとる」……と、ここではすこし表現を変え、さらに微妙なニュアンスをふくませてもいる[*33]。ともあれそれは、根本的に言ってその「生」が有限な有機的組織をはみだす諸力、強度、波動……なんといってもいい、つまりは無限な非有機的〈生〉にほかならないということだ。「器官なき身体」とはむろん、その別名である。
 要するに、本当の対立は《有機体としての生》と《無機物としての死》の間にあるのではない。対立はむしろ、多かれ少なかれすでに《個体化されてしまっているものとしての生物体(現働的なもの)》と、あくまで《前個体的なものとしての生(潜在的なもの)》の間にある。「現働的なもの」とは「産物」であり、「〔内在〕平面の外に落下する」とドゥルーズはいう[*34]。いいかえるなら、「器官なき身体」の外に落下する。
 したがって、ドゥルーズの記述は、有機体=組織を担わされたもの(すでに個体化されているもの)の側からなされる場合と、前個体的な非有機的〈生〉、「器官なき生命」、「無機的な強度の生命性」の側からなされる場合とでは、おのずと異なってくる。ドゥルーズ哲学をめぐる多くの根本的な誤解は、これらふたつのまったく異なる視点を混同することから、別の言い方をするなら、ドゥルーズ固有の《パースペクティヴィスム》を理解しないことから生じているのではないか。それは単なる遠近法ではなく、ふたつの項の間での視点の移動を可能にする自由な方法論でもあるからだ。
 結局のところ、ドゥルーズ哲学が行なってみせた最大の顛倒とは、プラトニズムのそれではなく、「生」の概念のそれではなかったか。なぜなら、どの辞典を取りだしてみても、有機体、有機組織organisme,は、生命的なものを指す言葉であるのに対して、無機的、非有機的inorganique, non-organiqueであるとは、まさにそれとは反対の、生命活動のない、無生物の、つまりは生命力の不在を意味するものとされているからだ。ところがドゥルーズは、アルトーの「器官なき身体」、ヴォリンガーの「非有機的生」によってそれをひっくり返してみせ、無機的、非有機的──これらはinorganiqueかnon-organiqueと表記され、いずれもおおよそ同じ意味であり、ドゥルーズの記述においても両者が混在しているように厳密な区別はできないと思われるが、微妙なニュアンスの違いはあり、後者の使用頻度がまさっているようである──なものこそが「生」そのものであると見なしたのだ。あるいは「生」とは、それ自体、有機物/無機物の二元論も二項対立も超え出る超越論的なエレメントとしての、非有機的なものであるのだ。
 では、「有機体」はといえば、それは死の相関物であるというより(有機体は、たとえば種を存続させるために、更新のために、ある意味では個体の死を必要としているのであり、死はその意味で有機体による発明だと言ってもいい)、「生」が複雑な進化の過程で獲得、形成していったものであるという意味において、すでに現働化されたもの、その産物であるということになるだろう(ただしそれもまた、当然新たな現働化の対象になりうる)。そうした意味で、存在する諸々の「有機体」は、あくまで「生」が獲得していった、暫定的なかたちや機能であるにすぎないとも言える。
 ところで、ベルクソンとニーチェには、多かれ少なかれ、「生」についての以上のような視点と類似した考察を見出すことができるだろう。そこには、当時の進化論との深い関係が認められ、そのようななかから「創造的進化」や「エラン・ヴィタル(生の飛躍)」、あるいは「超人」や「力への意志」といった概念も出てきていると考えられる。そしてかれらにはともに、宇野氏が明確に指摘しているように、はっきりとある種の「生物学主義」が認められる[*35]。すなわち、人間と呼ばれる生物学的身体は、神がつくったものなどではない以上、完成形などではなく、あくまで不完全なもの、未完成なものであり、最終のものでも、究極的なものでもない……という基本的発想。ベルクソンが、「哲学とは、人間的条件を超えていくための、ひとつの努力でなければならないだろう」と述べていたのもやはりそのためだろう[*36]
 ドゥルーズは、ベルクソンやニーチェを自覚的に継承しながら、その生物学主義的な含意を、のちの先端的な科学および哲学の成果(シモンドン、リュイエ?)を自身の学説に積極的に取りいれることによって中性化し、部分的に批判し、修正し、よりいっそう強化していったということもできるかもしれない。もちろん、すでにベルクソンは『創造的進化』における「エラン・ヴィタル」を、宇宙論的な生(意識)を具現化するひとつの力のごときものとして論じていたとしてもだ[*37]。また、この点で、ニーチェの哲学における「生物学主義」を自身の「存在論」、「形而上学」の観点から批判しつつ継承しようとしたハイデガーは、歴史をふくめた人間存在をその存在論の根幹におくことで、依然としてある種の人間中心主義に属しているように思われる[*38]。一方、ドゥルーズにおける「生」もまた、徹底的に存在論的な概念にほかならないのだが、その「生」は人間中心主義的なものではまったくない。それどころか、厳密にいって人間およびその他の生物体がこの地球上から亡ぼうとも、「生」は失われることも消えさることもないだろう。なぜならドゥルーズ的な意味での「生」は、つきつめて考えるなら、かならずしも有機化されるわけではなく、永遠に有機化されないこともありえたはずの何かですらあり(純粋な潜在性としての物質的宇宙)、それはひたすら「非有機的」なもの、物質、エネルギー、光などとして、宇宙のすみずみまで満ちわたっているとも考えられるからだ(時間)[*39]
 ドゥルーズの生気論ないし生の哲学において、人間はきわめて特異な存在ではあっても、特権的であったことなど一度もない。ハイデガーをひとつの起源とするフランス現代思想と比較してみても、これはきわめて重要な哲学の転回ではないか。そこには生命の起源、生命の本質をめぐる従来の生気論も機械論(現代の科学実在論をふくむ)も同時に乗り越えることを可能にする、非有機的〈生〉にもとづく「生気論」の可能性がある。

 長い道のりをたどってきたが、暫定的なものにせよ結論めいたものを簡単に示すべきときだろう。宇野邦一の最新のふたつの著作に触発され、私はドゥルーズの「非有機的〈生〉」について改めて思考することを試みたわけだが、結局なにを言いたかったのか。この問題は私にとって、そもそも今日われわれに本当の意味で「生」を肯定できるのか? という自問のようなものとひとつであった。現代において本質的な意味で「生」を肯定することはけっしてやさしいことではない。それはもはや、まったくもってロマンティックなことがらではないし、ましてヒロイックなことがらでもない。それはただひとえに、エティックな問題なのだ。
 言いかえるなら、今日「生」を本当の意味で肯定、定立するためには、おそらく「生」そのものの概念をふくむ存在論的な再検討が必要になるのではないかということだ。そしてそれは今日、たとえば石川義正が提起した『存在論的中絶』のような倫理の問題を必然的に経由することになるのではないか(その第一章「中絶の哲学史」ではプラトン、アリストテレス以来、いかに哲学が明確に優生学的思想を支持する立場でありつづけたかが示されている)。つまり古代から現代にわたる、単にテクノロジーだけでなく、権利や法の次元をもふくめたわれわれ人間の《生存》をめぐる問題にかかわる本質的な困難を避けたうえで議論される「生」など、肯定であれ否定であれ、もはやひたすら空疎なものでしかないであろうということだ。
 ドゥルーズの「非有機的〈生〉」は──脱性化されているというよりもむしろ──それが実存するあらゆる〈性〉の手前(もしくは彼方)にありつづける超越論的なエレメントでもあるかぎりにおいて、そうした問題を考えるための重要な鍵でもありつづけると私は思う。

  • 1.「器官なき身体の過程」(初出は2015年)『パガニスム 異教者のエティカ』青土社、2024年、p.243-244.
  • 2.同前。
  • 3.その後も、重要な論文「追伸――管理社会について」(1990年)などでも言及されている(PP, 240/356)。前者が原書、後者が邦訳書のページ数を指す。ドゥルーズの書誌一覧および略記号については末尾を参照。
  • 4.前掲『パガニスム』p.244.
  • 5.「感覚=運動図式」については、『時間–イメージ』のつぎの二箇所で詳しい解説がなされているが、いずれの箇所でも前後に『ヨーロッパ一九五一年』への言及がある(IT, 27/32, 62/64)。
  • 6.IT, 221/238. ドゥルーズはここでアルトーの言葉を出典を省略して引用している。
  • 7.前掲『パガニスム』p.244.
  • 8.同前。
  • 9.前掲『パガニスム』、p.246, 248, 251.
  • 10.IT, 343-345/361-363, 《automate spirituel》は「精神的自動装置」、「精神的自動機械」、「霊的自動機械」などとも訳されているし、訳すことができる。またこの語はすでに『意味の論理学』のうちに見出されるが、『時間–イメージ』におけるような具体性も、概念的な重要性もまだ与えられていない。(LS, 226-227/下巻37-38)。
  • 11.ヒトラー=リーフェンシュタール的「精神的自動人形」に関しては、IT, 343-345/361-363. また、ロッセリーニ=バーグマン的な「精神的自動人形」に関しては、IT, 220-225/236-242. を参照。
  • 12.もちろんリーフェンシュタールの美学は、ヒトラーに由来するものではなく、彼女自身のものだと主張することはできるし、それは何らまちがっていない。しかしそれでもその美学が、完璧にナチスの思想と親和的で、彼女の作品が「行動–イメージ」のひとつの頂点(『オリンピア』)を極めていることも疑い得ないだろう。ここから、戦後の彼女の立場のあらゆる両義性は由来しているものと思われる。
  • 13.IT, 221-222/238.
  • 14.IT, 222/238-239.
  • 15.IT, 217/233.
  • 16.MP, 511-512/467.「物質的生命性」と訳されている箇所は、「物質的生気論」とも訳すことができる。
  • 17.MP, 623/555.
  • 18.IT, 63/61-62.
  • 19.IT, 165-166/175-176.
  • 20.IT, 109/112.
  • 21.IM, 76/93.
  • 22.IM, 75/92.
  • 23.宇野邦一『非有機的生』講談社選書メチエ、2023年、p.368-369. この点に関して宇野氏は貴重な証言をしている。すなわち、ライプニッツ論を準備していた頃のドゥルーズは「ホワイトヘッドについての本格的な講義をすることも構想していた」が、「結局それほど深入りすることがなかった」。それは「有機体の哲学」とも称されるホワイトヘッド哲学がふくんでいる有機的なものへの傾斜や親和性と、ドゥルーズ哲学との微妙な、だが根本的な齟齬を示唆している。
  • 24.前掲『非有機的生』、p.178. 「フロイトの提唱した「死の欲動」を、ドゥルーズは「欲動(pulsion)」ではなく、あえて「本能(instinct)」とフランス語に訳し、はっきり区別を設けている」。
  • 25.同前、p.200-201. ドゥルーズとガタリ、「彼らにとって死は、あくまで「器官なき身体」の現象であり、知覚しがたい分子的次元の出来事である。(中略)死もまた「器官なき身体」の次元では生産的であり、「器官なき身体」を充たす流れを断絶しては更新するものである」。
  • 26.したがって強調しておくなら、ドゥルーズ哲学の存在論において、厳密には「死」は出来事としてよりほか、実在しえないことになる。「死」は超越とあまりにも親近性がある。有機体とその解体としての死は、一種のサイクルをなしており、一部の近年の科学には、死の存在を否定する傾向さえ認められるはずである。ただしその場合、「死」と「存在」の定義が曖昧なままであって、厳密な思考の手続きにはかならず哲学が必要となることを示している。一方、超越を徹底して廃するドゥルーズの唯物論、内在性の哲学は、この点でも一貫している。すなわち「死」は実在しない。ただしそれは、出来事として、折り目として、あるいは超越論的な襞としてのみ思考しえるものとなる。「〔…〕あの死というもの〔…〕それは理念性としての純粋な屈折であり、中性の特異性であり、ある非身体的なものであると同時に苦しみを感じないものであり〔…〕」とドゥルーズは述べて、特にブランショを参照している(PLB, 141/180)。
  • 27.PP, 196/289.
  • 28.前掲『パガニスム』p.255.
  • 29.QP, 200/302. この《すべてが有機的であるわけではない》という重要なテーゼは、先行する『襞』でも強調されている。「あらゆる身体は、その襞のうちに有機体を含んでおり、いたるところに有機体がある……それでもすべてが有機的であるわけではないのだ」(PLB, 156/199.)。
  • 30.QP, 203-204/307., IT, chap.8. note.32. ここで語られている「ミクロの脳」や「合–間」は、『運動–イメージ』第4章で論じられていた、この地球上で「生物を可能にした」とされる「原始スープのなかのミクロの間」と、はるかに通じるものであると考えられる(IM, 93/114)。
  • 31.PP, 196/288-289.
  • 32.PP, 196/289. また、堀千晶『ドゥルーズ 思考の生態学』月曜社、2022年、p.571. 注(50) で堀氏は、1982年2月2日付の講義での、ドゥルーズの次のような興味深い発言を引用している。「精神=精霊〔l’esprit〕がさすのは、ひとつの魂や諸々の魂のことではなく、物質的微粒子のことなのです」。すなわち「精神」を「物質的微粒子」と見なすドゥルーズのこうした唯物論的な態度は、かれの著作のいたるところで認められるはずのものだが、これを踏まえるなら、「精神的自動人形」の「精神」もまた、いささかも神秘主義的なものではないことがわかる。それは「物質的微粒子」から成るものであり、「非有機的な〈生〉」の生気論の一部として理解されるべきものである。ただし堀氏は同書、p.576. 注(16) で次のようにも指摘している。すなわち「ドゥルーズが、分子や微粒子と述べるとき、それは発生した個体を細かく分割して得られるものを指すのではなく、発生にかかわる「超越論的なもの」として見ることが必要である」と。この指摘が重要なのは、これこそがドゥルーズの唯物論を、単なる科学実在論から(また単なる経験論からも)根底的に分かつものだからだ。ここに、かれの哲学が「超越論的経験論」と呼ばれる所以もあるだろう。
  • 33.QP, 161/242. および163/245. あわせて、ヴォリンガーの名とともに「非有機的な強大な生(une puissante vie non-organique)」への三たびの言及がなされている172/258. を参照。
  • 34.D, 180-181/252-252. これはドゥルーズの残した最後の論文とされる「現働的なものと潜在的なもの」(1995年)の一節である。
  • 35.前掲『非有機的生』p.344-345. のなかで宇野氏は、ニーチェにおける生物学からの具体的で重要な影響を記している。とくに発生学の創始者ヴィルヘルム・ルー、優生学の創始者フランシス・ゴルトンが、ニーチェの生命観および「超人」概念の形成に影響を与えていたと考えられる。
  • 36.Henri Bergson, La Pensée et le mouvant, PUF, 1934, p.218.(『思想と動くもの』河野与一訳、岩波文庫、一九九八年、p.300.)。
  • 37.三宅岳史『ベルクソン 哲学と科学との対話』京都大学学術出版会、2012年、p.105-112を引いて、鹿野祐嗣は、『創造的進化』の宇宙論が、ボルツマンの『気体論講義』から間接的な影響を受けて構想されていたこと、またドゥルーズが『差異と反復』、『意味の論理学』で、同書を参照していたことを指摘したうえで、「『意味の論理学』の宇宙論は、『創造的進化』の宇宙論と必ずしも重なるわけではないのだが、ボルツマンとの対峙という背景とシモンドンの個体化論という媒介を考慮に入れると、両者が緩やかに結びついていることがわかる」と述べている。『ドゥルーズ『意味の論理学』の注釈と研究』岩波書店、2020年、第3章の注(261), (262), p.146-147.を参照(ただし鹿野氏は、「エラン・ヴィタル」については特に言及していない)。
  • 38.ハイデガーによる、ニーチェにおける「生物学主義」的な思考への批判、およびそれを自身の存在論へと回収していく読解に関しては、『非有機的生』p.342-343. および、そこで引用されている、ハイデッガー『ニーチェⅡ ヨーロッパのニヒリズム』細谷貞雄監訳、平凡社ライブラリー、1997年、p.72.などを参照。
  • 39.ドゥルーズは『運動–イメージ』第4章で、そのことを強く示唆してさえいる。「ところで、生物学者たちの言うところによれば、こうした〔生物を可能とした〕諸現象は、地球がきわめて高温だったころには生じることができなかった。したがって、光の拡散の障害物となる最初の不透明なもの、つまり最初のスクリーンと相関する内在平面の冷却を理解しなければならないだろう。まさにこのとき、固体の、つまり硬い幾何学的物体の最初の萌芽が形成されるのだろう。そして最終的に、ベルクソンが言うように、物質を固体として有機的に組織するのと同じ進化が、イメージを、しだいにつくりあげられる知覚として、すなわち固体を対象とする知覚として有機的に組織することになるだろう」(IM, 93/114)。

書誌

ジル・ドゥルーズの著作(またフェリックス・ガタリとの共著)、および略記号

DELEUZE, Gilles. Logique du sens, Minuit, 1969.(『意味の論理学』小泉義之訳、上下巻、河出文庫、二〇〇七年)。[LS]
──. Cinéma1 : L’image-mouvement, Minuit, 1983. (『シネマ1*運動イメージ』財津理・齋藤範訳、法政大学出版局、二〇〇八年)。[IM]
──. Cinéma2 : L’image-temps, Minuit, 1985. (『シネマ2*時間イメージ』宇野邦一・石原陽一郎・江澤健一郎・大原理志・岡村民夫訳、法政大学出版局、二〇〇六年)。[IT]
──. Le pli : Leibniz et le baroque, Minuit, 1988.(『襞 ライプニッツとバロック』宇野邦一訳、河出書房新社、一九九八年)。[PLB]
──. Pourparlers, Minuit, 1990.(『記号と事件 1972-1990年の対話』宮林寛訳、河出文庫、二〇〇七年)。[PP]
DELEUZE, Gilles, GUATTARI, Félix. Capitalisme et schizophrénie 2 : Mille plateaux, Minuit, 1980.(『資本主義と分裂症 千のプラトー』宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳、河出書房新社、一九九四年)。[MP]
──. Qu’est-ce que la philosophie?, Minuit, 1991.(『哲学とは何か』財津理訳、河出書房新社、一九九七年)。[QP]
DELEUZE, Gilles, PARNET, Claire. Dialogues, Flammarion, nouvelle édition 1996.(『ディアローグ ドゥルーズの思想』江川隆男・増田靖彦訳、河出文庫、二〇一一年)。[D]

Infomation

Shyでの討議から成立した論集『アンチ・ダンス』を踏み台に、それを「踏みはずす」思想のダンスを追求します。ドゥルーズ生誕99年でもあり、室伏鴻の愛読したドゥルーズにちなむ語り、対話が続きます

日時
11月24日(土) 17:00〜
会場
室伏鴻アーカイブShy

Profile

築地正明Masaaki Tsukiji

批評。1981年福岡県生まれ。高校三年間をニュージーランドへ留学し、現地の高校を卒業後、武蔵野美術大学に入学。一年間イギリスへ交換留学の後、武蔵野美術大学大学院博士課程満期退学。現在、大学非常勤講師。主な作品に『わたしたちがこの世界を信じる理由 『シネマ』からのドゥルーズ入門』河出書房新社(2019年)、『古井由吉 永劫回帰の倫理』月曜社(2022年)、共著に『ドゥルーズ没後20年 新たなる転回』河出書房新社(2015年)、『映像と文化』幻冬舎(2016年)、『古井由吉 文学の奇蹟』河出書房新社(2020年)、ほか共編書に、古井由吉エッセイ撰『私のエッセイズム』同前(2021年)など。