Why you dance?
生徒の感想
セルフリサーチ。 そこには室伏鴻さんの映像、書籍、そして稽古場が用意されているというので行ってみた。 問いが一つ。─Why you dance? ─来ちゃった。 恥ずかしながらわたしは室伏さんの踊りを見たことがなかった。そこで、たくさんあるアーカイブから適当に選んでみたのが、白州での野外インプロビゼーションの記録だったのだが、映像から室伏さんの体が迫ってきてびっくりした。あの背筋、声だか鳴き声だか、物的ボディの放擲感、表象でも隠喩でもないただある体。踊りを見ることは踊っていることでもある。このファーストコンタクトは幸運で、ほとんどセルフリサーチは達成した気分になっていたのだけれど、さらにその後、企画の渡辺喜美子さんに「iki-2」の映像を見せていただくことになった。喜美子さんは、タルいからこの辺は早回しするわね、っとサクサク見せてゆく。でも要所は押さえられているので、何回も見た人じゃないときっとこうはいかない。生前の室伏さんのお話や、偶然の出会いに至る前史のお話も大変興味深かった。最後に、共に居合わせた者どうしで即興を見せ合った。たったひとりの生の身体を見ることは、やはりとても豊かなことで、その人の踊りの来歴に先ほど共に見た映像の伊吹も感じられた。映像の中で室伏さんは呟くように叫ぶように吐くように言葉を放っていた。Who are you? 咲いた咲いた Help! Sound! pas pas pas!
古川友紀
–
いつも心地よい場をオープンにしてひたむきに作られていく室伏鴻アーカイブ。期間限定でいつもより広いスペースへと持ち出されたことで、からだごとでアーカイブを体感する場が作り出された。室伏鴻の鋭い言葉は、踊りとは何かを探りながら志す者にとって非常に刺激的だ。その彼の言葉を裏付ける身体/肉体・動きに映像で改めて接する。厚み深みある言葉を持ちながら、あくまでも身体の側につき、その際にあることを感じさせるあり様を、大画面で更に感じる。しなやかで力強い野性的な瞬間が生まれるからだと、その思考を体験するような刺激的な時空。室伏鴻の肉体は失われたが、室伏鴻の世界が立ち現れ、訪れるものがじっくりと対峙する場として迎え入れる…そんな幻想のようなことを可能にするのは、不在となったこの孤高の舞踏家のアーカイブの運営があるからこそであり、その熱量が室伏鴻のあり様と重なって感じられた
菊地びよ
–
稀有なWSに出会う。発案主催は室伏鴻アーカイブ。オドリを習い教えを乞う先生もリーダーもいない。現実の死となった室伏鴻のworkshop memo 清廉の言葉の断片、断片の映像、はある。そしてなにもない空間がある。会ったり会わなかったり偶然のように集う隣人がいる。10時から19時迄、3日間の解放区。Why you dance?蓋を外し目隠しを外し、従順の仮面を外し拘束具を外す。騙し続けてきた自らを外し呼吸する。社会からはぐれ逃れ、一個のただの生の、行方不明のままのresearchを続けたかったのだった。一日数時間の参加では足りなかった。バカな私。今更のように、27時間すら自分で自分に与えられない、群れ生きることしかできない自分を呪った。一日数時間の参加では足りなかった。不能も怠惰も含め、ひとの生き交うその場に身を置いてみる。消え生まれるものの狭間に自他を超えて居たいと痛切に思う。
小松亨
参加者と見た映像 《iki》
配布資料│Ko Murobushi WS memo
推薦コメント
–
山縣太一│俳優、演出家、振付家、ダンサー、小説家
室伏さんのワークショップメモをこの度はじめて読ませていただきました。身体からスタートしているたくさんの言葉は形を様々に変えながらいくつもの身体を作っては壊しを繰り返し終わることのない探究身で内側で起こること。外的な要因。外敵からの容易なアプローチ。答えを急がないその数式は日々変わる自身やまわりの環境によって微調整されていく。自信がない方があるよりも自身にさらに近づける。ここまで書いたことは僕が室伏さんのメモを見て自分が以前に書いた文章を強く思い出して書いたものです。読む人触れる人の身体に日常にすんなりと入ってくる言葉たち。たくさんの人に触れることを楽しい想像をしながら願います。雪のふる寒いニューヨークでふたりで煙草を吸いながら室伏さんが山縣のやってるアレ難しいだろ?と僕のメソッドをおもしろがってくれたこと。本当に嬉しかったよ。僕も動けなくなるまで考えて動くよ。
–
西村未奈│ダンスアーティスト
こんなに徹底的に自分という死体を観察して解剖して、内側にある外をまでも捉えてクールに言語化できる室伏さんは、やっぱり正真正銘のミイラだ。
室伏さんの思想や哲学やイメージや動き(や、ぼやき的なもの!)が渾然一体となった言葉が、形ある身体を突き抜けて木霊する。室伏さん、いつもこんな風に自分の身体や思考と対話していたんだ….。忍者になるための修行なのかと思うほど20代の自分には過酷だった室伏さんの集中ワークショップ。ウィーンやニューヨークで一緒に時間を過ごさせていただいた中で、「自分もミイラになりたいのに、集中力や忍耐がなくて、集中ワークショップに集中できません」というしょうもない悩みを相談すると、「あなた、本当、開きっ放しで緊張感ないからミイラではないでしょ。」と言われたけど、大丈夫。
室伏さん、自分は、このワークショップメモを食いちぎって、噛み噛みして、呑み込んで、ゾンビ目指しますから!
–
鈴木創士│作家、フランス文学者
私は十八歳だった。もう半世紀以上前のことだし、大駱駝艦のなかでどの人が室伏鴻だったのか、舞踏が何なのか知る由もなかった。私は世界を嫌悪していたし、それが人の一生で一番美しい年だったなどとは誰にも言わせない。晩年の室伏さんのブロンズの身体はレインコートで覆われていた。彼が立ち去るとき、コートの下から白いズボンが見えた。ズボンが消えていくように思った。だが不滅のものがある。彼のステージ。作品とその不在。あの白く圧縮された空間、あの幽霊の痙攣、あの転倒、あの不穏な動きのなさ、あの折り重なったパラノイア! そのなかから室伏さんの強力な思念が生まれていたのだと感じる。彼の詩、彼の暴力、彼の確信、彼の死が。
Infomation
Wondering Archive
三日間、室伏鴻アーカイブ所蔵の公演映像、インタビュー映像、WS映像、書籍などの一部を、森下スタジオ(Sスタジオ)に移動します。アーカイブ開設当初から一つの可能性としてあたためていた、Wondering Archive─漂白するアーカイブ。「漂白する肉体」として踊り続けた室伏鴻のアーカイブとして、さらにダンサーの方に開いていければと考えています。
日時
11月1日(金)、2日(土)、3日(日)
時間
10:00〜21:00
会場
森下スタジオ(Sスタジオ)