Ko Murobushi Exhibition

Faux Pas/踏み外し

ウィーン、東京│2024 » 2026
2024.8.8–10
ワークショップ

Faux Pas/踏み外し

エマニュエル・ユイン

「人生とは、いかにして転び、そして再び立ち上がるかである」。2006年、室伏鴻をアンジェ国立現代舞踊 センターのティーチングに招聘した折、彼がノートに書きつけたメモの一部です。このワークショップでは、人生における転びと立ち上がりに関する私の作品“Múa”1995、“Augures”2012、“Nuée” 2021の抜粋を皆さんと共有しつつ、存在における自分自身の〈転び〉と〈立ち上がり〉を探求し、それぞれが即興・構成を通じて、また、私の語彙を自分の語彙と組み合わせて、〈転びと立ち上がりのダンス〉を発明します。 皆さんとお目にかかれますのを楽しみにしています。
エマニュエル・ユイン

講師
エマニュエル・ユイン
日時
8月8日(木)・9日(金)18:30〜21:30、
10日(土)15:00〜19:00
会場
中野テルプシコール
参加費
10,000円(3回通し)
お問合せ・お申込み
k_kunst_watanabe@yahoo.co.jp
080-5538-6407(渡辺)

Profile

Photo: Marc Domage

エマニュエル・ユインEmmanuelle Huynh

ダンサー、振付家、教師。造形作家や音楽家など異分野のアーティストとの共同作業を精力的に行う等、批評的まなざしでダンスの再構築を進める彼女は、ドミニク・バグエ、トリシャ・ブラウンなど多くの振付家の元で踊り、エルヴェ・ロブ、オディール・デュボック等とも共同作業を行ってきた。2004年~2012年アンジェ国立振付センター芸術監督、2018年~2021年フランス国営劇場ニームのアソシエイトアーティスト、2016年9月よりパリ国立高等美術学校にて指導を行う。

Fragments
2006 Ko Murobushi WS memo at CNDC Angers

物語るダンスを⾒ても⾯⽩くないのは、ダンスが “ダンスそのもの” ではないからなのだ。
ダンスが語りの道具に格上げされてしまっているのだ。そのことが不順である。

危うさ・異和感とは〈新しさ〉ではない。
既に在ったものに出会い、つながる感覚だ。
記憶の裏側・向こうへと通じている、既知である

だから 名前はないのだ。
〈何もしないこと─できないこと〉〈既になされてしまっている〉という感覚。
不良性/露わにするよりも隠すこと/説明しないこと
説明的なものを排除して
奇異、踏み外し、Faux Pasへ、
意味の不明性 両義性へ、
向かうこと。
では好きなように 好き勝⼿にやれば良いのかと⾔えば
コミュニケーションの界⾯・交差を、どこに⽴てるかがいつも問題だ。
即ち、意味の外に意味を外出させる為には。

すべての 筋⾁を 動かせ
そして ⾳楽に乗るな!!
すべての筋⾁が⾳楽だ
すでに鳴っているもの
それに からだを 合わせること ⾃⼰変形願望
ねじまげたり わざわざ キケンな⽬に⾝をさらしたり
冒険的であった⼦供たち
即興をやる/午后は
〈仮死〉あるいは〈不全〉
仮に死んでみせること
それは 批評であるだろう

ミイラの 贈与
宝庫である 不意打ちの 未来の本能の 宝庫である。
現在ならば 現在がすでに〈不意の〉事故=事件なのである。
誰もが この一日の為に 転倒するであろう。
誰もが 自らの皮膚を焼くであろう 裂くのであろう。
人生全てはいかに転ぶかなのであろう。
転んだら 次は起こすほかないのだから──起こしたものは
必ず転んだ歴史を持っている。