天児牛大
「強烈な個性を放つ特徴的な身体で、舞踏を世界に広めたパイオニアのひとり。背中を大きく丸め、何かを抱きながら包まれているような独特の身体表現が、ダンスの枠を超え、人々の心をとらえた。すさまじい読書家で教養人。身体と思想の融合を、踊りで真に実現した。舞踏の本懐を世界に知らしめてくれました。」
6月19日 朝日新聞夕刊に「室伏鴻さん死去」の記事ともに掲載されたわたしの談話です。
その日、永訣を知らされ、朝から1人静かにあなたを思い、献杯を重ねていたところ、コメントを求められた。
わたしの話は、空疎をうめるようにあちらこちらへと蛇行した事を覚えています。
あなたと1971年に会い、麿さんの大駱駝艦の創立にともに参画。金粉を纏い、あなたと日本各地を飛び回り、寝食をともにした数年。大駱駝艦の舞台公演で、麿さんを要に、あなたは表である制作を、わたしは裏を担う表裏が小気味よく続いた70年代。
なかでもあなたが主幹した大駱駝艦季刊誌「激しい季節」は出色です。
その後互いに異なる思いを込め、それぞれ独自の道に踏み出した80年代以降の邂逅は、海外の街や空港でした。数年に1度。
「やあ」「よう」互いの近況を語り 「じゃあ」と別れる。
あれはウィーンのフェスティバルだったのか同時期に招かれ、あなたのソロを見た。
公演後にあなたから「どう思う」と聞かれ戸惑った。
わたしはあなたと同じクリエーターでクリテックではない。
「支持する」と答えた。
日本の山岳仏教に惹かれ、即身仏の木乃伊から続く、作品「エッジ」を発したあなたの孤高は、わたしと異なる。
発露はあなたのものであり、あなたの世界だ。「支持する。」
あなたの孤高は、海外の数多異なる人々を受け入れ、彼ら彼女らを振動させる創作の場の「エッジ」であったと思える。
なんだろう。
「わたしを偲ぶのは、わたしとは関係ないよ。・・でも・・ありがとう!」
あなたの笑みと、低音の美声を聞いた。
同時代を、互いに異なっていることを自明としながら、この思っていなかった迷妄の時代をいましばらく並走出来ると思っていたことは断ち切れ、言葉を交わすことは叶わず。
笑みと美声は記憶のうちに反響している。