2005
from Flyer
《Zarathustra》には三度目の手が加えられる。お目出度い、奇妙な遭遇だ。私の放浪は、未だその果てまで届かない……が、すべては、すでに回帰している、いつも途上である。
17歳、私は「千鳥足のニーチェ」であった。「千鳥足の、酩酊するランボー」でもあった。『地獄の季節』が先か、《ツァラトゥストラ》が先だったか、はっきりしない。混ぜこぜだ。いずれにしろ彼らが酔っ払って私の中をフラついていた。私ではない……彼らが震え、彼らが私を躍らせる。……ニーチェはこう言っていた。「一度も踊らない一日にライフはない」「逆立ちして踊れ」と。
アルトーが続いて来た、「思考する豚、豚の思考の断ち切れ」。私が豚だ。私は豚の首を断ち落とす。私の日本語は乱れ、吃り、そして喋らなくなった。来る日も来る日も私は私の豚を屠り、ころがした……。豚ころがし!豚トンネル!私は山岳とディスコティックの往還を繰り返した。
外へ出ろ、私の屍骸を踏み越えて行け、とニーチェが私の「小さな耳」に囁く。酩酊する私の内側から響いてくる〈外の誘惑〉であった。私が孤独の迷宮を行くひとりの〈小さなアリアドネ!〉であった。〈ニーチェ、KIMYO(奇妙)!〉、これが私のダンスの最初の動機であり既にして主題であった。
だから数年後に、すでに踊りの迷宮の中にあった私がひとりの踊り手(それがカルロッタ池田である)との遭遇に「アリアドーネの會」と名づけたとき、それは私の〈ニーチェ、KIMYO!アンコール〉でもあったのだ。それは迷宮の内部に、さらに踏み込んでゆくべき、鳴り響くもうひとつの迷宮を穿つためであった。
KIMYOという日本語の〈掛け声〉を私は《ツァラトゥストラ》とともに、最大の感謝を込めてニーチェに送り返さねばなるまい。それは「奇妙」という意味だが、失語と沈黙の〈先〉にある発語である。それは人生に対するブラボーだ。短命で、傷だらけの私たちの生の、不条理で、不気味な事実に〈笑いと肯定〉をもたらす美学である。声を失った声が発する声、言語を呑んでしまった言語の〈合図〉を。
《ツァラトゥストラ》の東京での初演は、1980年の『Z/A ZARATHUSTRA1980』(草月ホール)であった。私はカルロッタ池田と彼女のボルドーの稽古場でこのヴィデオを見た。暗い画面には初演のダンサーたちに混ざってフランス人の男性が二人、ドイツ人女性が一人出演していた。二人のフランス人は舞台に登場してきた巨大な鉄製のミノタウロスの首を、客席から上がってきて斧で一刀のもとに切り落とした。鉄製のミノタウロスからはニジンスキーの牧神たちがコロコロと生まれ出た。Hey!アリアドネ、幼虫たち!それは後に改訂された作品とは別の、当時私が〈ロータス・キャバレー〉と呼んでいた、もう一つのスタイルの実験であった。しかし、ほとんどの場面と振付の原型が荒々しくそこにあった。
このときの男たちは二年後のフランス公演の橋渡しをしてくれたトゥールーズの弓道家のベルナールと合気道のフランクであった。もはやお二人とも大家であろう。
ドイツ人女性のブリジットは、何人かの初演時のダンサーと同じように行方が失われた……が、きっと彼女たちも踊り続けているにちがいない。踊りのなかに踊りがあるのではないからだし、踊りとは私たちの生の内側にその外を穿つときに成立するものだからだ。踊りとは皆が約束した踊りというその文法の外へ〈躍り出る〉ことの難しさと易しさを言うのであるから……。
フランスでの初演は81年のボルドー、シグマ・フェスティヴァルであった。そのとき、二度目の《Zarathustra》を発見した女性が、今回の再演のプロポーズをされたのである。DanseTendances のマリー・クロード・バイ氏だ。「Zが私の人生を決めてしまった……」と彼女は言った。もう一人のアリアドネ!彼女がカルロッタと私を個別に口説いて、奇跡のような再演が実現した。取り急いでカルロッタとともに感謝の意を表する。
さて、アリアドネは海に身を沈める。波打ち際に無限に溶けるのだ。が、アリアドネは返って来る。投身が彼女の運命の転回点である。ドゥルーズは書く、「アリアドネは首を吊る。アリアドネは滅ぶことを望む」……テーセウスからディオニュソスの方へ。アリアドネはディオニュソスの肯定に彼女の肯定を返す。皇帝は二重化された肯定となる。カルロッタが赤いドレスで踊る〈Sils Maria〉のシーンは、この回帰の、肯定への回帰の踊りである。しかし、その踊りの回帰のリズムは〈運命の切断〉によって開かれた亀裂の真ん中にもたらされる。私たちの生と同じように、痛みとその修復が踊りの手法であり、喜びなのである。それが私たちの刻まれた身体の光と闇であり、無数に移行し、照らし合う鏡であるだろう。
アリアドネは身を砕く。私たちはふたたび、くりかえし大地に投身するであろう。そして私たちの身体に新たな地図が生まれる。生の持続的な流れ、慣習的な死のように淀んだ流れを切断するように。そして、その亀裂から、あらたな持続の生成と、移行のリズムを走らせるために。
ここにはわれわれの異質な文化的領土を意図的に攪乱させるためかのように、文化的、神話的なイメージとアイデアがフンダンに、横断的に使われている。その上で日本的な意匠はヨーロッパ的なものとの亀裂を晒したまま放置される。たとえば日本の雅楽はあらかじめ後藤治の音楽によって変形され日本のダンサーたちが伝統的なものへのノスタルジーに浸ることはブロックされている。そうして私たちの身体はエキゾチズムを越えて、切断の地平へ、新たな〈異郷性の体験〉へ出てゆかねばならない。私たちがその混成するリズムである。