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1984
1984年8月16日から1985年3月18日までの日記。「海に飛び込み、ひと泳ぎした後ソフトクリームをなめシャワーを浴び、夜の稽古に入る」といった、8月、夏の五太子での様子など。「形、型にはまったなかで はまりきらない余剰の過剰の過度のなにものかがあらわれてくる。それを何と名付けるか。形の外、門の外、余分−余りー遊び、少しズレをいう時の アソビのこと。そのズレに気をつけること 即ち 常闇形!!」(8月16日の日記より抜粋)。『土星の徴の下に』(スーザン・ソンタグ)、『ノマド的思考』(ジル・ドゥルーズ/立川健治訳)からの抜粋。帰国後12月に細川周平氏とWim Mertensのコンサートに行き、浅田彰、如月小春、林浩平、巻上公一らと会う。その他、1985年公演予定の「i」についての手紙の下書き、Avignonでのワークショップ、ウィーンでのワークショップについてなど。Avignonで『室伏鴻集成』掲載の「死人称の小説」を書く。土方巽宛の手紙の下書きがあるが、二ページ目をちぎり取っている。1985年「HIME」の稽古の様子。「オルゴールの話」の中の土方との会話を以下抜粋。「(前略)土方がいつまでも風だるまにこだわり、僕のPerformanceに原点への志向がある それでみやげがないのだ、と言ったこと。みやげ、それは礼節というのに近いもので、つつしんで過激化することの謂だ。 そう解して みやげなしが少なくともナイーヴな無物を志向する僕らのみやげではなかったかと反論しても── 一言 若いなあと──そうだろうか。」