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1986
1986年1月21日から4月22日の日記。1月21日、土方巽の死についての記述から始まる。土方の亡くなった年であることから「土方巽の思い出に」「無為・肉体」「一つの死に見舞われること」といったタイトルでの文章が書かれている。また、松浦寿輝の『口唇論』について、2月5日、港区南青山4-18-21南青山スカイハイツに事務所を構えた(株)散種の事務所開きのことなどが土方の死、フランスでの仕事の記録の合間に挟まれている。以下は1月21日の日記より一部抜粋「死臭のいっぱい詰まった書棚に目をやる。あった。フィクションと記憶がないまぜになる。僕が何事か 彼の死について記そうとすれば この事実性は この言葉によって踏み外される。こうして 記し始める時点ですべてのヒジカタタツミについての記憶は歪み。僕は彼の葬儀場の会場に僕の万年筆を忘れた。そのペンはなつかしい客の誰れそれかの手に渡ったままだ。なぜそれを思い出すのか。僕の筆があまりにも戸惑いに あるいは記憶の歪みによって筆を持つ手、*な歪み、書き付ける文字は〈真面目を〉の境位に立ち戻ることができず、文字は呪文のように、否、未だ発生以前の沈殿物としてそのあいまいさ、その付着物、その汚穢さを道連れにしたまま のたうつようにしている 記憶のはきだめ状の桶から 無理矢理にこの手首の元にまで ひきつれて来ようと。端から それがマチガイであること。 俎上(まないた)で罪障のように 語ることしか可能ではないことを。書くことの不可能性においてひとは書き綴る。誰れの、何の力に強制されてか。強制してくるそのなにものかに向かって。では 何の力を借りてか。欲望の・・・(未了)」。なお『室伏鴻集成』掲載の「無為・肉体・・・」は2月9日の日記の抜粋。