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1987
2月21日から27日のウィーンでのワークショップと、3月2日から6日までのミュンヘンでのワークショップの内容が詳しく記録されている。「たとえば夕食の食卓でも、踊り Butoについての彼らの熱の奈辺にあるかを聞くことができた。たとえばドイツExpressionismのクロイツベルクへの郷愁が東洋から実現された驚きをBertlは最初に見た僕のSoloの中で受けた。さらに関節の硬直/弛緩についての極度の探究は、僕が重ねてWorkshopの中でやったように 日常的なAccident/出会い/遭遇・事件へのreactionの回収、拡大なのだ。応機に身を寄せること。また、奇異へと身をこなすこと。〈Ma〉についてはゲイリーも同じことを言っていたが、瞬間を焼きつける 又、ひきのばす、変形するという肉体的、物質的な作業が東洋の場合 身体に即している、という点。西洋的方法意識の中で排除されたMAは、運動性の中で、隙間にどれだけの身体的観察を及ぼすことが出来るかにかかっている。一つのムーブメントの中に無限の間と重なり合い、結びつきがあること その間取りのいくつものワンがある。〈MAの偏在〉Marioはデュシャンが[inbetween]について思考しているということを言った時 空間をいくつもの隙間としてとらえる肉体、それをダンスは実現する。〈アンフラマンス:極薄体〉の話になる。 不可能なものを運ぶこと すでに不可能態が現実態として運び込まれているのだ。それを写し/移すことは 変形なのだが、その移動そのものが かたち であり いのちなのではないか キューブ、あるいはフューテュリスムむらが 再認されるゆえんもわかるのだが・・・」(2月27日の日記より)