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1989
1989年のメモノート。「記憶と悦楽」(『室伏鴻集成』収蔵)の他、「外部という問い」、20世紀のアートシーンについての批評、海に関するテキストなどが書きつづられている。「朝から夜へと移動しながら 太陽はなぜ正后に極頂を究めるか?正午 われわれは太陽を頭頂において垂直に立つ。そしてわれわれは 脳髄を[空]にする。 昼の中の夜 われわれは眩しさで視界を失い 思考を奪われたアセファルの無時間を体験する―Dimension de L'oubli これがそうだとすれば・・。(中略)〈海と溶けあう太陽〉を見たのはひとりの詩人である。しかし、ランボーという人が全てを忘却した時〈海と溶けあう太陽〉という詩が成立したであろう。私とは、主体が海と太陽と間へと渡らせる 時―その悦楽という名の橋として 〈海と溶けあう太陽〉として 成立するだろう。ランボーのいう見者とは いつでも だから ランボーのいう如く 私とは他者なのだ。それもあらゆる未来の記憶へ向かって自己を忘却にさらす 無数の現在 なのだ。」(日記より抜粋)