日記

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年度

1990

内容

5月6日から7月11日の日記。「午後、新宿の街を散歩。蒸し暑い、太陽のない、くもり。歩きながら〈これだなあ〉と思う。日本のこの湿気。ほとんど水分で水滴が落ちる寸前の蒸気の中を歩いている風だ。風が吹く。蒸気の重いカーテンを押すようなゆるい風だ。何んも変わっちゃいないな、何んも変わっちゃいない、と呟く。いや、変わらぬは〈季節〉だろうか。靖国通りをスレちがう日本人のこえが聞こえる。車は新型、ちょっとカッコイイスポーツタイプ車が横丁から出てくる。しかし何んも変わってないな。日本人の胴長短足とその表情もそうだろうか?Disc unionで安いCDを買う。ふたたび街を歩く。何だか最初の感動が逃げてしまった。同じことだ。今やCDが安くなった。70年代にレコードの安いものから良いものを物色した頃と CDが今や同じものになっただけだ。パチンコで4000円スル。らんぶるの地下、隣の若い連中の会話が聞こえる中で。この夏に何か始めること。」(5月13日の日記より抜粋)「DEHORにこだわる。意味の外とは意味と意味の消失の間の謂だ。無意味という意味になればよろしい、がそれはいったい。いつでも既すでに差異という間を生きているのがわれわれなのだから、無理強いするものなど何もない——無為こそすべて——となるだろうか。——そうではなくて無為という抽象を生きる。それが見えざえる形なのだ。何も為されていない行為が為されねばならず、それは作為ではありえない。作為が見られれば既に無為ではないのだからだ。」(6月29日の日記から抜粋)