日記

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年度

1991

内容

4月30日から9月15日までの日記。カルロッタ池田とHerveの公演「Une journee blanche」(Teatre de la Ville)を見にドイツからパリへ。公演の成功を受けて公演後カルロッタ、天児らと合流しパリで楽しいひと時を持ったことなどが綴られている。「「書くためには死なねばならない、だが、死ぬためには書かねばならない」はおそらくモーリス・ブランショであろうが、言語というものはそういうものなのだということが、既に 当然の認識として語られるようになって以来同一性と差異の戯れは〈死〉を馴化し飼いならし、微分化し、*小なものへと拡散してきた。(中略)他人の言葉で語るように書いてみて自分なりの用語が確定できないままだ。語るにおちることだ。「踊るためには死ななければならない、だが、死ぬためには踊らなければならない」というパラフレーズにしてみたかったのだ」(4月30日より抜粋)。以下デュラスについての記述あり。1「僕は 私は やせ細りたい」、2「私が男ならトサツしたくなる」、3「もう少し蒸気を」、4「怯えなのか歓喜なのか判らなくなっても」、5「〈破壊したと彼女は言う〉のだ」、6「誰が そのように操作し 操やつり」などのテキスト、archaeopteryx 化石の鳥についての考察、「スフィンクス語」、O・ワイルド『スフィンクス』よりの抜粋、「パンドラ」、「オシラ祭文」などのテキスト。「書き続けること。筆は少しづつなめらかになる 走り出すと迄はいかないが、ことばにも神経や筋肉や骨があるのだから当然の事だ。その当然の事が書くことに於いて職能化されていない。ひとつのコレオグラフィが肉体化されてゆくことと一つの文章が肉体化されてゆくことはパラレルだ。書くことによって掘り出され、掘り起こされることばの肉体、それは別のことばを呼び寄せるし、ある程度走行したところでそれは脱線する。食事の時間だ、あるいは駅へチケットの手配で走らねばならない。・・・・ そうした切断された走行がよろしき逸脱の力線を招き寄せることはしばしばだ。僕は定まった踊りのけいこ場も書斎も持たない。が、たえ間のない旅の移動の中でこそ、移動するフロア、通過してゆく舞台へとことばの肉体をひき込み、さらしてゆくことが必要なのだ。いったいそうした時に書くことの職能化とは何んなのか。同じように 踊りについてもそれを問わねばならぬ。書斎で書くこと、けいこ場で踊りを創作する それは定点を定めることだろうか、たとえ定点を持つことによって形成されるものがあってもすぐにそれは古びる。それは時間のもんだいだ!時間とは何か?時刻のことでないとすれば肉体も思考もわれわれの天体のすべてが時間の支配下にあるのだとすれば 逆に定点上にとどまることは不可能なことだ。定点も時間とともに移動する。〈時間〉こそ不可能事なのだ。時間とともに古びること、年とること、世に通常定められた観測値に順じて云々・・・・ 通常の、その何が通常通りであるのかが定まることがないのだとすれば 定めるそのこと自体が定まらぬ移動、移ろいとともにある。「行く川の流れは絶えずして・・・」 諸行無常、もののあはれこそが定点なのだと言うわれわれの伝統された定点! 流れとともに思考すること。流れとともに書くこと。流れとともに踊ること」(5月8日より抜粋)。