日記

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年度

1991

内容

1991年12月2日から1992年5月16日までの日記。「たとえば 自分の感覚についてそれは如実であった。僕は語っている時に それが〈真実には〉何も語っていないと感じている。僕が語っている知識というものは 僕にとって何ものでもないということを知っている。僕が語るべきことはAではなくAという知についての懐疑だけだという考えとともに僕は語るのだ。僕はすでに分裂を起こしているが そうなるとさらに僕は語る自分のこえについて考えはじめているのだ。その自分のこえは自分のものではない。何かよそから来たこえだ。しかし自分の父や母は僕のこえをきいてよろこぶ。僕は実はもっと別のこえで語るときこそ僕のこえだと信じたい。僕は何ものか別のこえを持とうと試みる。その時 既に 僕のこえには 秘密の虚偽のひびきがまぎれ込んだ。僕は秘所 隠れ家をつく流のが好きなこどもだったが その時既に 僕は我が家から分裂していたのだ。私が語るとき 語っているそのこととは別に生きられている時間と場所がある。('91/12)。ゲッティンゲンでのワークショップについての記述。’8の動き’、’左右のつま先と踵 4pointに乗り降りする 腰を隠すこと 顕にすること’など。〈捉えどころのない場所〉〈必死の現在の子〉〈Egoの恥辱 屈辱〉〈欲望〉〈罪からも恥からも自由に解放された身体ー!〉〈身体にきけ〉などの記述。「孤独よりも孤絶は過激 残酷へと孤独が燃焼することではないのか? だとすれば その燃焼のさ中に於てさえ 孤絶に身を許すな!!」12月以降ミュンヘンでのクリエーション、ゲッティンゲンでのクリエーション、ベネズエラツアー、ブレーメンでの公演などについての記述。