日記

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年度

1992

内容

9月30日から12月14日までの日記。「Bus 85に乗ってルクサンブルク公園まで出て John Casavetesの というよりBobby Dartinの”Too late blue”1961を見た。 Bobby Darlingについて(・・・・・)チョットね。どう書いてよいのか判らない位 見る前からワクワクしている。多分 ガッカリするだろう・・・是非良い映画であって欲しいものだと・・・Casavetesは見た事がないけれども、特集に組*しいる位だから ダ作ではないのだろう・・ ハラハラしながら見たというのが正直なところ。ところが やはり これは監督のせいだけではない。ボビイ・ダーリンが結構よかった。結局一曲も歌わない というところも味噌だが Casavetesという監督のしたたかさが 歌手ではないところの それでも 単に俳優としてのではなくて 人間的な というと困まるが ボビイ・ダーリンの可能性を〈歌手〉を除外したところで うまく引き出しているのだった。それで・・すごく見に行った甲斐があったのだった。見終わってナンダカ ホッとしたのだった。1961年の グラフティ真盛りに ナントシブクつくられた映画だろう。Bobbyが やっぱり プレスリィの線を行こうとしたのではないところが良いのだ。」(9/30 in Paris)。「スイスにから戻って 新書を2冊読了。”アメリカのユダヤ人” 梅棹忠夫の”実戦・世界言語紀行”。どちらも軽量だが読みごたえがあった。特に梅棹のは 今まで単行本では読んだことがなかったから 彼の考え方に直接 はじめて触れたように思う。日本語をローマ字表記に というのは すいぶん昔から言っていた彼の主張であったろうが 今 現実味を帯びて聞こえる。重みのある提言だ。」(10/9 Paris)。「バスティーユでCarlottaに会ったあと シャトレで降りて 久しぶりに Les Hallesへ出てfnacを見る。何も買わず 客の様子とdiscの動きだけを見て Les Halles横の安レコード屋によって150Fで8枚レコードを買って帰える。何を買ったかはヒミツ。メチャ安い買い物だった。中古品ではないのだから。ひとつは Sheale E ひとつは Art Blakey とJazz Messengers。しかしこの線で”スキャンダラス”というタイトルを出してくる。Art Blaykeyのアフロ・ドラムで Sheila Eを演ずること。かけはなれたところの 飛び 跳び に 力線をつなぐこと。感づかれまいとしながら 感づかれること 何が本当に こちらのノリなのかを昏倒させ 混成し 混乱させてしまうこと だ。”絶対外国人”の教え 訓えとは そのことだろう」(10/14 Paris)。浅田彰「ヘルメスの音楽」、ロベルト・グ・スッタ「カルナヴァル・非公式・マジック」などからの写し書き。ローマでのWS、山形の即身仏のことなど多岐に渡る記述がある。