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1993
1993年7月24日から12月22日までと、1998年4月4日から4月17日までの日記。1993年のウィーンでのワークショップの記録が記述されている。WSは〈瀕死の息〉について、〈鳥の比喩〉〈弱さ 脆さ〉〈恐怖〉〈息と鳥の形象穫り〉〈水と息と8〉〈劇場性〉〈蕩尽〉などのキーワードとともに進行している。ノートの後半は1998年4月のハラッパ(メキシコ)でのワークショップのことが記載されている。「沈黙の叫び」からの派生・関連にすべてがある。舞踏とは〈突っ立ったままの肢体である〉舞踏とは〈沈黙の叫びである〉と言おう。言葉=身振り は 沈黙にかなうものでなければならない。それはすなわち からだ(という歴史)とは いつでも/すでに 沈黙によって 測られている 歴史(というからだ) 同様だ。正史=書かれたコトバたちは いつでも ふるいにかけて来たのだ 「沈黙」を。沈黙は 必ず 息を吹き入れられる 誰ら 無名の肉体によって 息を吹きかえす その、窒息から よみがえってくるその肢体 その沈黙に コトバを与えること 表象化する / 概念化する / イメージ化する / 言語化する それら全ての representationは すべてを presentできない。沈黙 それは 不可能性 である。いくつもの 多数生、多様性 としてそれを眠ってきた。(後略)」(1998/4/5より抜粋 ハラッパ)。