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1996
1996年9月3日から1997年6月7日の日記。「中西夏之展 3/16(日)木場「講義」は既に始まっていて 満席ときく。地下への絵スケレーターに乗って下る「NAKANISHI」の整理された展示を感じる。〈隙間をつくる為の〉が それぞれ大画面を見る眼に親切な対称を与える。紫・むらさき は赤を隠蔽している。美術館に入ればすぐさま絵にとり込まれた。見慣れたNakanishiの厳選された3つの部屋 をまわる。そして 不意のアトリウム! そう、それは不意をつかれた感じであった。というのも すぐに その 吊られた4枚のパネルは 常闇形のポスターを連想させたし、おどり手への勧誘 とも見えたから・・・。既に 絵を見る人たちの立ち振舞いが パネルに作用を充足させている」(3月16日より抜粋)。「久しぶりにボクは自分のidentityについて思いを巡らせているのだ。踊り 踊り手であることからのかつてない「距たり」 / この距たりはかつてない程の過剰な 跳び越えを ボクに強要スルデアロウカ? / アッという間に 跳ばねばならぬ ニホンであろうが ドコであろうが 踊らぬという手は無い 書かぬ手も無い / 踊らなければ 書かなければ「コト」は無い。無い等しいのではなく 虚ろな嘘を タマシイの廃墟のごとくに 生みだしつづけるだろう。それはニセの真実だ。/ 踊らぬ足も 書かぬ手も 突然 発心スル 突如 成就スル。その事件の その事故のような「時」まで、それらは ただ 無いだけなのだ。/ 良いもの 格好のよいものや 事大さはのぞまない。/ 突如コトが起きるコトを ココロから願う」(11/3)。「Koへ キミが 踊って来たコト。それはまんざらでも無いのだ。うららがそれにみちびかれ 他にもたくさんの彼 / 彼女らが みちびかれ 迷路へとつき出され 置き去りにされたままだ。キミの狂気 それを どうスルのか?!」(11月3日)。「「もはや 踊る のではなく 書く 時では無いのか?」という疑問。しかしナニを書くことがあるだろう。踊ることを離れて 書くことがあるか?2月に会った時 麿さんも「キタニには書くシゴトがのこってるよ」といった。むかし ヒジカタさんもヨシオカさんも そう言ったのだが いつかは・・・と信じる己れのココロも空虚ろになってゆくようではないのか。というのは 日進日歩でも 構築されてゆくという 築城されてゆくような 論理 思考の連続性といったものはないからだ。カラタニのいう日本的「自然」、国境のみえない 見境のない 思考の たえず エフェメラルな風化と漂泊があるだけで それは「踊り」という 肉体の漂泊と同調しあって その都度 その都度の performanceの反復しえぬ反復のなかに 解消していったのだ。そう考えるほかなではないか。形式、様式を発明しようと思わぬ〈方法なしの方法〉など唱えてはみたが 、〈形式〉を追跡する力なき者の甘えや言い逃れだとしてカタがつけられてしまうのではないか!」(98年4月18日より)。「方法なき方法 は どこからはじメルことが可能か?はじまりを仮に仮想すれば それは どこからでも可能だと たとえば・・・と はじまればよい。/ たとえば Nakanishiさんの絵画 Nの断章たちは どこから 点を打たれるのであろう。気の遠くなる程の 量的な 点・点・点 そして 断・線 / それが 形なき形のために捧げられて 実在することへの 驚き 嫉妬」(4月18日より抜粋)。