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2007
5月22日から8月12日までの日記。モンペリエでのWSなどの記録。「死を 生きる。 死と生の間で 生きる。と言っても同じか。意気に学ぶ。どこから 吸気で どこからが呼気か 吸 / 呼 の間にあるターミナルを ため流。 表と裏があるなら 裏で生きる。裏でAxisに結ぶ 表でAxisに結ぶ。 二通りの 在り方があり 表が裏を 操作する Operateか、裏が表を統制する contrileするのかの 攻めぎ合い 我慢比べのような 自然体自然の。この時「死」とは何か。欲望・欲動を殺す から 「距離」化する 身を離す Emlotionalなもの どこに 本当の 真の 感情や欲望があるのか についての 懐疑とは何であろう?〈自己〉というものの 形成 構築されたsystemに 同一化した 欲望=感情から 差異化──即ち 分裂すること。(後略)」(7月16日 モンペリエでのWS1日目)。「批評の基点とは何か?何をもってWSをつづけ Perf.をつづけて来られたのか?〈突っ立ったままの死体〉死体とは何か。生を超え出た 過剰な生 生の彼方である。それと 欠如ではなく「実現」として考える 「作品」として。そこで、work 英語なのだが労働であるとすればよい。oeubre仏 desoeubrement無為 というブランショの考えは何か?〈歩く〉が過剰になって というのは ドストエフスキーという過剰な知 の てんかん エピレプシー や サルトルの嘔吐 でも カミュの Etranger でも アルトーの 分裂病 でも 過剰について考えてみる。どもり Begayerとは 生への わだかまりだ 異和 / 不調 何かが必要だ 変化 variation 変形 transformationが。何への、どこへの、己への 振りかえし、襞が、地図を 地形をつくるのだ。(後略)」(日にち不明 WSの記録より)。