日記

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年度

2008

内容

2月1日から6月28日の日記。「3/29このノートは 明日のカンファレンスの準備になっていると思うが。(中略)無様に格好良く ブザマにカッコヨク 行こうよ!という感じ。ダンス・アートはカッコイイものかどうか?グロテスクや弱さを含んで、醜いステップ、外れたPasも含んで、成立させるのを天才だとすれば、そうした天才を舞踏というダンスが生んだのだとは、いえると思う。ベケットに比肩する、カフカに比肩しうる。そうして、力の去勢という問題はベケットの〈消尽すること〉や、モートン・Feldomannの〈弱音〉のPiano Cageの〈すでに演奏されているもの〉デュシャンの〈レディ・メイド〉という前衛の 手を加えないこと 手を、意志的なものからの「退避」スルコト〈手呆け〉土方巽の という 有用性への 無用なものへの「退却」と言ってもよいが、そうした Conceptは 私は仏教の「即身成仏」あるいは なにも為さないこと=無為 という行為論のなかに〈死体とともに生きる知恵〉としてヒジカタさんの〈突っ立った死体〉必死で、命がけで 突っ立っている死体と同じ知、知という 非・知へと 限りなく からだを 追い込んでゆく行為として なぜ「ミイラ」行というものがあるのかを 考えてみたかったのです。(中略)自己同一性。それは身体の変形や 医学的に実験台とされた身体 交換可能な身体 すべてが一時的な同一でしかないというような 逆・ユートピアがすでに到来しているなかでの リアリティであると。(私の銀塗りには そのリアリティにおいての 両義的な モダン と ポストモダン への 問いかけ が ある筈です。)(中略)原爆によって 或いは ホロ・コーストによって、すべてのアート・表現は 表現の根を根こそぎにされたと。つまり 自らを批評へと さらされた。すでに近代に入って 産業革命と化学の隆盛によって 自然との共和的な 牧歌的な身体は、根こそぎに デラシネにされ 表現のなかに 安定した信仰の美や拠りどころを喪失してゆく。(ランボーやボードレールが すでにそうであった。人間の故郷喪失という考えが流行さえした)そのなかでの 反動として〈祖国〉=自然 民族の血 が 虚構化されてゆく と 同時に それを証明する為の 輝かしい 強力な身体が養成され 虚構されてゆく。それがファシズムの「御用達」の身体であり 優良なる 鍛え上げられた 有用な身体 ですね。すでに 病であることは それへの 抵抗として 武器として 活用されていた。徴兵の拒否として。もうひとつは コミュニズムの 或いは アナーキズムの 養育の外に出るゲリラの身体の運動が インターナショナルなレヴェルで ありました。ダダや シュルレアリズムの止絶し痙攣する身体 横っとびして逸脱する身体です。 マリー・ウィッグマンやマーサ・グラハムやが ダンスの歴史の中で どのようにそうした身体の虚構に振り回されたかは、とても面白い歴史的問題だと思います。日本の 皇軍の身体も 当然 その「とが」その罪責を負っていると思われます。そこで批評にさらされるのは たとえば 満州へ駆り出される身体と同時に 進んで 満州へ フロンティアを求めて という「別天地」へと勇猛果敢に冒険する身体もある そうした 活力に富んで 進取の精神にあふれた真・善・美一体の身体も批評にさらされた〈原爆〉=〈敗北〉によって。 そこから 自らのロマン の根っこ 根こそぎにされた ロマンや共同性の奥の闇 暗い(ヒジカタは 井戸というのですが)そこへ降りてゆかざるをえなかった。すると、そこに 分別以前の 批評行為のとどきようのない〈闇〉に、未だ未分明の 虫けらや 胎児や 木の破片や @@の雑草や 座所の世界があらわれる。夢想のなかでは すべての〈組み合い〉が逆・ユートピア 怪奇 怪異な 化け物 幽霊の物語りとして可能です。それらの力を借りて 抵抗すること。何にか?(中略)振り付け、もうひとつは 振り付けという力の暴力性ですね。ここに もうひとつ ややこしい 共同、連帯する力の 共和性という問題があると思うのですが、〈コミュニティ〉への 或いは〈一座〉〈芸能一座〉というものへの〈党派性〉への 面倒くささもあります。必ずヒエラルキーを伴う いやでも伴ってしまうし(格好悪いことだ それは)そして、振り付けられたフォームを演技のなかで打ちくずし 別のもの 自分のもの?と言いますか にする快楽から 私は遠いのかもしれない。生成してくる力の 潜在しているもののひき出しに 振付家の手というものが 必要 有用で という時に むしろその手を欠いた場所・状態で 己の力のなかに 他の手 他の力を発見・発明してゆく事に 誠実で貧しい こういってよければ 貪欲・ハングリーな 必死の 死体までかり出してしまう力が 発揮され それこそが 己れ自身が 驚ろき=出来事として 成立・発生してゆくことだと。」