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2011
8月1日から12月10日までの日記。「昨日まる一日寝たのですべてを忘れてしまった感じ。’浮き身’になって 浮遊感がある。Facebookのコメントから 大駱駝艦のファンページで麿さんの東北大震災のコメントを読まされたり、JCDNのメールでも 皆が震災について態度表明をしていて騒々しい。「無関係」になること。自分の身の持ってゆき場のなさ / 定まりのなさに やるせのない気分になったか。消耗した気分。しかし、この〈消尽〉した存在の在り処こそ〈非・場〉の感覚、或いは〈無為〉の感覚ではないのか?!昨夜も小沢へメールを書きはじめたのだったが、途中で筆を折る。2、3日してまた・・・。(中略)小沢のTextに(メモ)汚染とその恐怖 と 小沢は書いた。だからもっともっと錯乱と奇型の側に身を置けということ でなければ救われない。”救済”については、小泉の本がすでに遺伝子の”闘争”において われわれの生は充分? すでに・いつでも救済されていると言っていた。あえて奇型や身障者やFukushimaの被災者たちの側に身を置いて 闘争する 翻走する以前に われわれは翻走しているのだ 既に・・・そうして何と結びつくのか。何も選ばず 選ばれる 受動の中で いかに力を 行使=消尽するのか いかに 静かさという海に 荒れる海に 自らを還えすのか。」(8月5日)