演劇、舞踏、と出自の異なる才能が集結したがゆえに、大駱駝艦では主宰の麿が振付・演出を独占せず、舞踏手各々の発想をそのまま活かす共同演出の形が採用された。
土方さんは、生き残り的なスタイルを作っていった。額縁舞台だしさ。駱駝艦は違うじゃないですか。麿さんもわれわれも若かったし、二年目、三年目の駱駝の公演が面白かったのは、皆のアイデアが稽古場で花開くわけ。麿さんが偉かったのは、それを小さくまとめないで、ワーッとやろうぜと、タフな『天賦典式』論で、皆のアイデアが面白おかしく派手になるわけね。男たちのエネルギッシュなスペクタクルを麿さんがまた好きだから。で、天児(牛大)がタタキ(註・大道具)なんだよね(笑)、ウラの仕切りが天才的だった。
室伏・談
なお“天賦典式”とは、「この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とす」、とのコンセプトで麿赤兒により命名されたという。ちなみに、本舞台は鈴村靖爾監督によって「馬頭記」のタイトルのもと、映画化もされている。
(Y.O)