舞という字は美しい。歩いていると看板に「舞」と書かれていたりして振り向けばバーのネオンだったり、扉を開ければ舞なんて彼・彼女がいたりしたが・・・舞さんと舞い上がれば 必ず墜落や転落があるからカラダにいくつ裏表があっても不足、で、
出口と入口のあたりで踏み迷って舞-踏になった・・・踏み外してダンスだ。
間のハイフンにはなにかあるのか?な―んにもない。ただハイフン、舞い上がらずとも宙吊りのカラダの孤独に見舞われる〈間〉があるというわけだ。暁には墜落があり、着水がある。・・・神話的なイメージを反復したいわけではない。昨日置き忘れた記憶をいくら探ぐってもモノは出てこない。思い出そうとして悪戦する現在があるだけだ。わたしたちの、種族の根源のようなところにまでバンジー・ジャンプできたら、できるかもしれない、踊りでそれが出来るかもしれない、って言ってるひとがいたけど、無-起源の無限の飛翔、場所なき場所の孤独の反復があるだけだ。
忘れた乙女の歩行を憶い出す、童貞の歩行が炸裂する。忘却が捩れ、喉も砕けて声が出ない。「出来あがらない」ための、これからがステージ。函とロープを用意した。そしてジョン・レノンも。
室伏鴻 チラシより