2015
室伏鴻68才の誕生日であった6月14日に、リオデジャネイロのCena Brasil Internacionalで行なわれた公演 "quick silver" が、室伏最後のソロとなった。
……“舞踏”は、神様のためにも日本人のためにも踊るものでもない。伝統的な美や様式に帰属しない・帰属できないところから始まった。私も、踊れない・踊りたくないから踊り始めたようなところがあります。昔自分が書いたものに、『僕は死のうと思って踊り始めた』というのがありました。それは、まんざら比喩だけで言ったのではないという思いがあります。なぜ“木乃伊”から始めたか、その原点に立ち帰ろうと思います。子どもの頃に見た水死体が、私のある種の原点なのかもしれません。踊りの運動性というのは、単に動き回ることではない。不動の中に運動性がきちんと折りたたまれているわけで、そういうものの原点に帰っていくということでは、絶えず実験なのだと。それは、踊り続けることだけでなく、踊らないままあの世に行くことでもいいわけです。やり残したかどうかということで言えば、絶えずやり残しとも言える。つまり、踊りには始まりも終わりもないんです。
石井達朗氏によるインタビューより