1980
タイトルはアントナン・アルトーの詩篇から。「演劇とその形而上学」を筆頭に、アルトーのテキストは、当時、室伏の座右にあって絶えず参照し続けたもの。自らの舞台に、アルトー自身による「神の裁きと訣別するため」の朗読音源を流し、競演も果たしている。本作は、いわば東京での来たるべき連続公演の助走として、シンプルにアイデアを散種、発酵の機会を睨んだ試演会的性格をもつ公演。時間が空けば北龍峡に長期滞在して身体訓練に出精し、発想に磨きをかけ、日本語の手入れを怠らない。それが当時の室伏のライフスタイルであった。なお本作から、室伏は80年代にかけての一連のアクションを“LOTUS CABARET80s”と銘うち、挨拶状にこう記す。
“LOTUS CABARET80s”は、流離し、迷宮を旅するLOTUSの劇場、東洋の聖なる輪廻象徴・蓮花のCABARETを“全体劇場としての肉体”として実現しようとするものです。再び あるいは みたび肉体のルネッサンスの問われる世紀末のかたちのなかでは、Die WELT ist ein CABARETが叫ばれ、〈世界は将に完全になる。真夜中はまた正午なのだ〉というニーチェの問いかけが、私共の肉体に灼きついているといえるでしょう。
室伏鴻『挨拶状』より
(Y.O)