常闇形Ⅶ
NEONあるいはNEANTの炸・裂──SiLENCEあるいは炸・裂・点」 

1981

Photo: unknown

Info

日時
1981/09/23-27
活動内容
ソロ
開催地
東京
開催国
日本
会場名
Shy
主催
Shy's
開催事業名
Shy Dance Experience No.1 HINAGATA
出演
室伏鴻

Description

地下鉄「外苑前」駅下車、南青山三丁目交差点を青山墓地のほうに折れて、すぐ。重たい鉄の折戸を開けて階段を降りると、すぐに、奥に向けて細長い三角形の頂角をスッと横に切ったような台形の空間。コンクリート打ちっぱなし。漆黒の木製の椅子と、それを集めて上に鉄のテーブルをいくつか置いただけの簡素きわまりない狭小スペース。ジャズバー「ロボネグロ」を手に入れ、改装したそれは、オーナー室伏によって実験的キャバレー「Shy」と名づけられた。普段はバー。のちには貸スペースも兼ね、進取の気性、無軌道、無節操大歓迎のライブスペースとして広く知られるように。パパ・タラフマラ(当時、タラフマラ劇場)が旗揚げ公演を、ヒカシューが別名義でアコースティックのライブを、まだミュージシャンだった町田町蔵(現・町田康)が、近藤等則、梅津和時、片山広明が、石井満隆や飯村隆彦といった60年からの先駆者たちが、その他たくさんのインディーズの雄たちが賑わした中、ヨーロッパに活動の軸足を移したため、結果、室伏の唯一の出演作となったのが本作。完全なソロ。連日別のサブタイトルを冠して催されたが、たとえばスティーブ・ライヒ「18人の音楽家のための音楽」が流れる冒頭30分。前面を和紙で覆った鉄板を背景に白い着物姿で佇む室伏。その頭部は、ある夜はガーゼで、別の夜はそこに葡萄の耳飾りをつけて最後にガーゼを果汁の紫で染め、またラテックスで型を取ったデスマスクで覆われ、と、日によって細部が異なっていた。圧巻はクライマックス。地鳴りのSEで空間がグラグラ揺れる中、消防法なぞ知らぬ存ぜぬで、木乃伊でよく使った棺桶(木箱)の中で火を焚き、燔犠大踏鑑「四季のための二十七晩」第一作「疱瘡譚」中の土方巽のソロ「癩者の踊り」で有名になった「バイレロ」を使っての危険なフィナーレ。それまでで一番近い距離で──何しろ40人も入れば超満員だ──室伏のパフォーマンスに接しえた少数の観客は、とびきり幸運だった。各日のサブ・タイトルは以下の通り。23日「炸─ひび ひびわれる ひのうちどころのない日々」、24日「裂─ひかげの好きなひなたの子・ひなたの好きなひかげの子/CABARETの聖なる種子」、25日「点─梭・菱形に走る常闇形」、26日「NEONあるいはNEANT」、27日「Y・Shy  in/out」。
(Y.O)

本公演を持って日本での活動を休止、フランスに拠点を移す。
 移動スルコト!! Fukui─Aoyama─Parisへ脱ッ

Photo

Document

001 Flyer
002 Flyer
003 Flyer

Scrap

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