1987
1/24 パリに着き、事務的に人に会い、すぐGenovaへとんで稽古。昨年の初演に手を入れる。2/16南仏 Aix en Provanceで「エロスの涙 Les Laumes d’Eros」を上演。Bravo!なのに仕事の本数が伸びないのが不思議。おそらくButoの、それもAriadoneの自分のコレオグラフィとの喰い合いという皮肉。スペクタクルの値段など要因はあるのだろうけど、今のところBushiは食わねど
パリでカルロッタの新しいソロを見た。麿さんとは結局スレちがいで会えず。作品は新鮮味全くなし。後藤の音も一辺倒だ。彼女は相変わらず頑張って努める風のダンスから抜けず–僕はどうしても厳しい目で見てしまう。しかし結局はtheaterのオルガナイズの成功と継続する仕事の強味で批評は大方よろしかったです。こちらは旧態依然のあのような作品がButoの良心作、あるいは標準型として幅をきかせ続けることにはいい加減閉口なのだが。
すぐウィーンにとび Workshop。すでに3度目か。UNESCOの「Panta Rhei」の公演に参加した生徒の旗揚げしたグループの千秋楽によばれる。装置を省略した簡素で清潔感にあふれた作品でよくButoのテンションをものにした。模倣に終わらず、そこには新しく始めることの正当性が突出していた。パリでカルロッタを見た直後、ウィーンで思いもよらぬナイーブな新鮮な感動に出会い涙。僕の漂流も、こうした正当な出会いに一時救われる思いがする。(1987年の日記より)