un coup de don
2011
2011
from Dossier
〈一切の語を支える語、一切の語によって身をかくしながらそれを支える語、……一切の語が途絶える時『雷撃のごとき一瞬』として、「稲妻のごとききらめき」として、自ら現存させる語だ。(「それがエーテルで出来たようなある透明さの上で一輪の速やか花の中で輝き、死に絶える瞬間」×『芝居鉛筆書』マラルメ全集333p)
あらためて、舞踏の核心にあるものについて語りたいと思う。否、語ることの不可能なもの、不可能な体験について語りたいと思う。思考すると同時に、私の思考をその足元から浸蝕し、崩壊させてしまうものについて。
私の根源にあって、たえず私というものを活気づけている、あの〈無〉について。
無数の死
無時間
私たちは広島で影になった銀行員のように 生きていない訳ではない
みんな そのように生きている
そういうものとして体を見れば
踊る必要は無い
広島原爆投下 肉体の消滅とともに銀行の石段に焼きついた 男の影
絶対的体験
体験の核心には触れ得ない沈黙 サイレンス
記憶の探りあい
私とあなたは本当に出会ったの? それとも出会わなかったの?
不確かなものだけが確かだ
B29の爆撃の美しさ
美しいものを見ているうちに殺られる
それを見ているうちに殺られる人間のばかばかしさ
美というものの残酷さ
踊らない踊り
全てが崩壊
崩れていくもの
あなたはあなたの沈黙について 沈黙とともに踊り始める。
黒く焼けただれたあなたの死体について、音を消失したあの音について。
私は広島の体験を持つことは出来ない
それはすべて 他の 外の体験だからだ。しかし 私は広島を語り続けるだろう。
始まりもなく 終わりもなく 既に私の核心にあるその無について、闇の光を借りて。