2013
「墓場」のみなさんへ、
お元気でしょうか。ラトヴィアのリガからベルリンへ移動してきました。ボリス・シャルマッツのmusee de la danseのイヴェントで踊って帰国したら、あとは皆とウィーンの準備です。
踊りの、踊る身体の〈根っこ〉には、何があるのか?何かあるのか?何か名づけられ、意味される力でもあるか?
何ーんもないのだ、と知るとき、すべてから切り放たれた、無意味=無根拠の、空虚の、死の〈明るみ〉に照らしだされて、私たちの無垢なる生成と変形する〈力〉の持続と瞬間が屹立すると思う。
踊る身体の過敏な神経、〈神経の秤〉(アルトー)という意味では、狂気と接するようにして醒めているそのリミットで、力の不能力とともに・・・、動くことの不可能な硬直する身体とともに動くこと、などなど・・・
ウィーンの「墓場」の振付については、横浜を凝縮させながら変形することを考えますが、皆に会ってからです。
皆に、振付のなかで振りからさらに自由になること、ケモノ性の探求を、
室伏鴻 ベルリンにて
手紙より一部抜粋