1974
大駱駝艦の制作・広報を一手に担っていた室伏の、舞台外活動の集大成ともいえるタブロイド版の舞踏新聞。後に「激しい季節」のタイトルを大駱駝艦に譲る。タイトルはランボーによる。
踊りは汗をかくものであって、記事を書いたりするダンサーにロクなのはいない─そう考えるのがマットーか。ダンサーであることと新聞社をやることはフツー結びつかぬ。だから〈激しい季節新聞社〉だったのだ。『激しい季節』、それは劇団のビラでも、機関紙でもなかった。それが、“出来事”として“成ること”を企図したのだった。
室伏鴻「激しい季節復刊に寄せて」より
一面を飾る写真からして大駱駝艦の機関誌とも誤解されやすいが、あくまでも駱駝とは関係ない活動であって、製作資金は駱駝からではなく、室伏個人が集めた、と(大須賀勇・談)。室伏退団後、麿が「あの名前くれよな」といったのでOKしたとのこと。実際、通常の広報活動という機能を激しく逸脱。統一に顧慮せず、室伏の広汎多彩な探究心が粗削りなまま記事の随所に炸裂し、その過激な編集ぶりこそが、荒々しくもバロック的、かつ哄笑に充ちた大駱駝艦という存在を雄弁に反映しているがゆえに、大駱駝艦=激しい季節との誤解を生んだのでは。(Y.O)